2022年8月31日水曜日

プレートテクトニクスの話 その2

私が子供のころは、石炭は、地上の森林が地下に埋もれてできたもので、石油は、地上にいた恐竜が地下に埋もれてできたものだと教えられた記憶があります。記憶違いなのかもしれませんが、ネットで検索すると、同じようなことが出てきます。

でも、現在では、いろいろな説があって、主流は、どちらもプランクトンなどが堆積し、いろいろな環境の変化で、個体が石炭、液体が石油、気体が天然ガスといった風に、大まかに分けられているようです。



プレートテクトニクスの考えで見ると、プレートに載った大陸も、長い時間をかけて、 移動し、大陸の下に潜り込んだり、海の底に沈んでいったりしてきたわけです。

そうした移動の中、ものすごい圧力がかかったり、地球内部の熱が加わったりして、いろいろな変化を起こして、最終的に、今の石炭や石油や天然ガスができたと考えられているようです。

お鍋の中に入れた水を加熱すると熱による対流が起きるように、地球のプレートも、移動し、いつかは海の底深く沈みこんでいって、内部のマントルに溶け込んでいきます。

海底にある海嶺で、海洋プレートが両側に引っ張られるために生じた地表の割れ目が直下のマントル(固体)が上昇することによってうめられ、マントルの断熱上昇のために部分融解が起こりマグマが発生し、火山活動が起こり、新しいプレートと海洋地殻が生成されることが繰り返されます。


普通、日本列島のまわりにある4つのプレートがぶつかり、潜り込んでいる状況は大地震の後などに話に出てきますが、地中にもぐりこんでいった後、どうなっていくことは、あまり説明されてこなかったと思います。


そして、新旧のプレートが移動することで大きなエネルギーが発生するので、世界のいろいろなところで地震が起きてきています。




日本列島の誕生から、世界の大陸の誕生など、まだまだ分かっていないこともたくさんあります。

まして宇宙の誕生となると、もう凡人には想像だにできない領域です。

若い世代には、時間をかけてでも、もっと解明していただきたいです。


プレートテクトニクスの話 その1

現在は、大陸が移動していることを多くの人が理解していますが、100年前には、そんなことを言ったらほぼ変人扱いでした。

太古の昔には、一つの大陸だったのが、いくつかに分かれて、今のいろいろな大陸が誕生したといわれています。

こちらのサイトにある地図に、代表的なプレートが書かれた地図が載っています。

よく聞く話としては、アフリカと南米が昔はつながっていたとか、アフリカの一部だったインドがユーラシア大陸にまで移動してぶつかったエネルギーでヒマラヤ山脈が生まれたとか有名です。

オーストラリアも南極も昔はアフリカとつながっていたので、動物や恐竜の仲間などの化石が見つかったりもしています。

興味ある人は、こちらのサイトを一読してください。

プレートの上に載っている大陸や島々が移動するわけで、伊豆半島や伊豆諸島も大昔には、もっと南にあった島々だったという説もあります。

有名な話として、ハワイも少しずつ西に移動しているそうで、1億年以内には、かなり日本の近くにまで来るという説もあるそうですが、日本海溝に沈むのかな?

日本列島の誕生も、最近新たに解ってきたことも多くて、基本的には、西日本と東日本とは別の成り立ちで、その二つの島を結び付けたのが、フォッサマグナといわれる 中央地溝帯といわれています。

こちらのサイトも興味深いです。

ここにイザナギプレートという記載があり、恥ずかしながら知らなかったので、調べてみたら実に興味深かったです。

こちらには、中央構造線の”もと”になった断層についての説明があります。

まだまだ分かっていないことも多く、諸説あるわけですが、日本列島の西側に関しては、今まで考えられていた大陸の淵よりもずっと南にあったという考えもあるようで、個人的には、それもありではないかと思っています。

例えば、福建省のあたり、台湾の西側にあった可能性もありそうです。

 邪馬台国が、あのあたりにあって、その後、イザナギプレーとともに、大陸の下に消えていった可能性を書いている人もいます。

世界中には、現在は消えてしまったプレートもあるわけで、アメリカ大陸の下に沈み込んでほぼなくなってしまったファラロンプレートも有名なんだそうです。

アメリカには、古い資料がないので、まだまだ分かっていないことも多いのですが、日本の地層などを調べると、過去に、かなり大きな地殻変動がアメリカの西海岸あたりで起きて、大津波が日本にまで到達していた可能性もあるそうです。

日本には、1500年以上前からのいろいろな資料が残っているからすごい国だと思います。

あと、プレートの移動と同じように興味深いのが、海面の上昇や下降ですね。

海面が上昇すれば、陸地の低い部分が海の中に消えてしまいますし、逆に、海面が下がれば、陸と島とがつながっていくでしょう。

海面が上昇すれば大洪水が起きて、人々は暮らしている土地を捨てて、海抜の高いところに移動しますから、苦労したでしょうね。

海面が低い時代には、意外なところが陸続きで、動物や人間が歩いて移動できた可能性はあるはずですし、イカダや船での移動も、今よりは簡単だった可能性はありそうです。

今は、岩石の研究や地層の研究、発掘されたいろいろな動植物のDNA調査などで、詳しいこともわかってきているようです。

岩石の残された磁気の記録も重要で、それから位置関係がわかってきているそうです。

まとめとして、こちらのサイトはお勧めだと思います。


2022年8月25日木曜日

大使館からのメール 9月7日(水)以降の日本入国時の水際措置の見直し

 9月7日(水)午前0時(日本時間)以降、有効なワクチン接種証明書(注)を保持している全ての帰国者・入国者については、出国前72時間以内の陰性証明書の提出が不要となります。


(注)有効なワクチン接種証明書とは

以下の厚生労働省ホームページでご確認ください。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/border_vaccine.html


有効なワクチン接種証明書を保持していない場合は、引き続き出国前72時間以内の陰性証明書の提出が必要ですので、ご注意ください。


この水際措置の見直しは、8月24日に岸田総理大臣が記者会見で発表したもので、8月25日に詳細が公表されました。詳細は以下のリンクをご参照ください。

https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcwideareaspecificinfo_2022C073.html


○問い合わせ先

 厚生労働省新型コロナウイルス感染症相談窓口

・日本国内から:0120-565-653

・海外から:+81-3-3595-2176(日本語、英語、中国語、韓国語に対応)


在タイ日本国大使館領事部 

・電話:(66-2)207-8500、696-3000 

・FAX:(66-2)207-8511 

・所在地: 177 Witthayu Road, Lumphini, Pathum Wan, Bangkok 10330 

(ウィタユ通り、ルンピニー警察署とMRTルンピニー駅のほぼ中間)


○入国前にWEB上で検疫手続きを行うことができる「ファストトラック」ご利用のお勧め

MySOS Web又はMySOSアプリで予め検疫手続きの一部を済ませておくことで、入国時の手続を簡略化・迅速化できますので、是非ご利用ください。

詳細は、以下の厚生労働省のリンクをご確認ください。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/border_procedure.html

https://www.hco.mhlw.go.jp/fasttrack/


電気の話

ウクライナとロシアとの戦争で、西側諸国はロシアに経済制裁を行い、ロシアはEUに対して天然ガスの供給を止めるとけん制しているわけですが、ヨーロッパの短い夏ももうすぐ終わり、これからは、寒い季節に入っていきます。

1970年代の北欧やドイツの冬は、セントラルヒーティングもあって、驚くほど暖かかった記憶があります。

私の見た範囲では、家庭でも大型のガスボイラーが地下にあって、温めたお湯をパイプで家中に送って、部屋の中には大型コイル状の放熱器があって、部屋は乾燥しますが、暑いくらいでした。

乾燥するのでコイルの上に水を入れた洗面器や濡れタオルを置いて湿度を保つようにしていました。

これからどんどん寒くなっていく北ヨーロッパですから、天然ガスを止められたら、大変なことになります。


世界中で原発を減らし、太陽光や風力発電をといった話ですが、水力や火力に比べて、いろいろな問題があります。

太陽光の場合、北ヨーロッパの冬は、日照時間が短いです。そして雪が降ったり曇りだったりしたら、発電できないです。

なのに、電気自動車を増やすとか言っているし、何を考えているのかよくわかりません。

電力不足なのに電気自動車とか、悪い冗談です。それに寒いところでは、バッテリーもすぐに充電が必要になり。走行できる距離も減ります。

最近は、すぐにばれる嘘とか、矛盾がバレるようなことを平気で発言する政治家や専門家が多すぎますよね。

ソーラパネルを作るのには、多くの化石エネルギーを使いますし、風力発電用の風車も製鉄には石炭や石油が必要ですし、風車に巻き込まれて殺される野鳥のことも、その辺は無視です。

ソーラパネルを設置するのは森林を切り倒して作れば、自然破壊ですし、土砂災害の可能性もあります。

電気自動車は充電用のステーションを増やしている話はしますが、充電時間については、あまり説明しないようです。

一般に普及させるためには、まだまだ時間も技術も必要ですが、今すぐにでも使えるような話ばかりです。

それに日本の会社ではなく中国など海外の会社に儲けさせようとしている政治家もいるようで、情けないというか、売国奴です。

タイの話 その9

タイは仏教国ですが、信仰の自由を認めているので、イスラム教徒もヒンズー教徒もキリスト教徒もいますし、その他にもいろいろな宗教を信じている人たちがいます。

タイはもともと土着の精霊信仰もありますし、黒魔術といわれるアヤシイ儀式をする宗教もあるそうです。

仏教は、インドからスリランカを経由して直接タイに入ってきたものもあれば、インドネシアからクメール経由で入ってきたものもあるようです。

一般的には、上座部仏教(日本では小乗仏教といわれることもあります)で、お釈迦様の教えを忠実に守っている仏教といわれています。

日本の仏教の多くは大乗仏教といわれる、お釈迦様の教えを拡大解釈する仏教ともいえるようです。

タイの仏教は戒律も厳しく、僧侶は、いろいろな制限を守って修行しています。

日本と違うのは、妻帯どころか女性に触れることが禁止されていますし、食事ができるのは、檀家から提供された食事を午前中に食べることなどです。

日本の僧侶が結婚して子供がいて、毎日晩酌をしていると知ったタイ人はびっくりします。

1080年代の日本のバブルのころに前後して、日本から多くの日系企業がタイにもやってきましたが、日本の宗教団体もたくさんタイに来ています。

創価学会や立正佼成会などは有名で、かなり信者も多いそうですが、エホバの証人とかと旧統一教会なども来ています。

カルトなのかどうかはわからないですが、山岸会という農業団体もタイに来ています。

その中で、旧統一教会が、タイで大きな問題となり、布教活動が禁止されたり、指導者が逮捕されたりしました。

理由は、タイの健全な家庭や家族を破壊する教えだということで、教祖夫妻を自分の唯一無二の父と母と思えという教えで、本当の両親の話など聞く必要はないとの教えが問題になったと記憶します。

財産はすべて教団に出し、教団のために家を出て活動しろといっていたようです。

当時は、「一和」という高麗人参を売る企業が中心となって、布教活動をしていたようで、バンコクのショッピングモールやスーパーマーケットには必ず「一和」のカウンターと信者だろう販売員がいました。日本人だったのかも。

ネット情報では、この件で、旧統一教会は、長い時間をかけた裁判の結果、布教が認められるようになっているようです。信者の説明は気持ちが悪いですので、飛ばし読みをお勧めします。

日本でもそうですが、旧統一教会は、政治家への接近やメディアへの接近を図って、イメージアップと収益の増加を目指しているようです。

タイには、在日韓国・朝鮮人が昔からかなりいて、日本人としていろいろな商売をしていますが、彼らの中にも、いろいろな宗教の信者がいるのかもしれません。

日本とタイとはよく似ていて、旧統一教会は、日本人をカモにしているし、タイ人でも騙されている人はいるのではないかと思います。

日本人は、韓国人のために心身も財産もささげるべきだとか、バカげたことを言っていますが、その基礎になっているのが、嘘だらけの歴史教育ですね。

韓流などのバックにも旧統一教会がいる可能性もあるのではないかと疑っちゃいます。

テレビなどの業界にいる仲間たちと協力して日本人を騙し搾取です。

日本だと焼肉関係は、昔から部落関係や在日関係といわれてきました。

タイの日本食関係にも在日の人たちはかなりいるようです。

タイでは韓流のドラマやKPOPが流行するのと同時に、韓国のインスタントラーメンやいろいろなパクリ商品がスーパーに並んでいて、今や日本のモノよりも多いです。

そのうち、いろいろなモノが韓国起源で、日本がパクったとタイ人に嘘を広めるのではないかと恐ろしくなります。

アメリカのTRUE WORLD FOODSという会社は、アメリカの日本レストランやお寿司屋さんに日本のマグロや鮮魚や和牛を下ろしているそうです。

ヨーロッパや東南アジアへの輸出しているのではないかと思います。

旧統一教会の関連組織

韓日人教会、原理研究会、世界平和宗教連合、世界平和教授アカデミー、世界平和女性連合、世界平和青年連合、日本青少年純潔運動本部、真の家庭運動推進協議会、国際勝共連合、世界日報社、光言社、一心病院、世一観光、一和、トゥルー・ワールド・フーズ、ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ、世日クラブ、清心国際中高等学校、仙和芸術高等学校、鮮文大学校、清心神学大学院

かつての呼び名

世界基督教統一神霊協会ー統一教会ー勝共連合

日本人を間違った歴史観で騙し、日本人から搾取して、韓国や北朝鮮に送金をする人たちは、日本の敵ですね。

2022年8月24日水曜日

永久の命の話

20年くらい昔、インターネットの掲示板に人類はアフリカを起原にして、世界に広がって来たのだから、人類は、みんな同じ先祖を持っているといったような書き込みをしたら、アフリカ起源説以外にもいろいろな起源説があるから、人類が一つの起源とも限らないと反論する人がいました。

そう言われて考えてみれば、複数の起源があって、もしかしたら別々の起源を持っていたとしてもおかしくはないかもと思いました。

例えば、海から陸に上がった生物は、何種類もあって、それぞれが進化していって、偶然、同じようなお猿さんになり、そこからそれぞれが進化し、アフリカだけでなく、世界のいろいろな場所で何種類かの人類になると考えるのも面白いと思います。

今わかっていることがすべて正しいわけもなく、例えば、宇宙からは、絶え間なく、隕石が地球上に落ちてきて、そこに生命体や生命の起源になるような物質があってもおかしくないと思います。

宇宙からRNAがやってきたという話も面白いです。

で、地球上から宇宙に話を拡大すれば、その宇宙も太陽系の先には銀河があって、その先にも、もっと巨大で広い宇宙があるかもしれません。

だから、そんな限りなく無限に広がっている宇宙を考えると、そこから地球にやってきているものすべてが、同じ生命だと考えることも可能なわけで、それこそが、永久に連続している命です。

ですから、やれ、南極の氷が解けるとか、森林が減っているとか、二酸化炭素が増えているとか、小さな話で、もっと大きな宇宙を考えたら、増えたり減ったりしながら、常に宇宙にとって最善のバランスは保たれているはずだと思っちゃいます。

栄えるものは栄え、滅びるものは滅びて現在があることは間違いないです。

絶滅危惧種を救うとか、外来種を駆除するとか、小さい小さい話です。でも、人間が生き続けていく以上、人間にとって不都合なことは、無駄な抵抗だとしても、可能な限り、防御し、減らしていくことは当然でしょうね。

人間か人間に危害を加える野生のイノシシかという究極の選択なら、人間を救ってイノシシを殺すのが正義だと思います。

イノシシでもイルカでも同じ命じゃないかとか言っているのは、正しい主張ではないと思います。人間が生きていくことがすべてでいいと思います。人間に直接的に害を及ぼすものは、敵です。

でも、共存できるのであれば共存がもっと正義だと思います。

タイの話 その8

 タイが好きな日本人は多いです。観光で来て好きになる人もいれば、駐在員としてきて好きになる人もいます。

駐在員は基本的に駐在する期間が決まっているから、その時が来れば本帰国となり、中には2回3回と駐在する人もいるそうです。

タイに日系企業が活躍を始めて長いですから、駐在員の子供たちも成人して、再び駐在員になったり、自分で何か事業をとか考えてタイに滞在する人たちもいるようです。

とにかくいろいろな日本人が滞在しているタイですが、昔からよく聞く話に、誰誰さんは、軍や警察に顔が利くといった話です。

実際に、大物軍人とか警察高官を知っている日本人もいますし、知ってはいるけど、それほどの大物でもないといったこともあるらしいけど、タイでは、さほどの高官でなくても、ある程度の権力を持つ場合もあります。

でも、一般論としては、持ちつ持たれつで、そういった大物を知っている人は、それなりの投資もしているようです。

日本でもそうらしいのですが、サービス業などでは、その地区に力を持つ人を知っていた方がいろいろと便利なようで、タイでは、それが軍人や警察官や政治家となります。

風俗のお店とか、大きなクラブなどには、必ずと言っていいほど、大物がバックにいたりします。用心棒が、軍人とか警察官ですから、何かトラブルがあれば、解決してくれます。

このところニュースで話題になっていますが、軍や警察の高官になると、部下を自分の家のお手伝いさんや庭師や運転手として使うことも当たり前にあるそうです。

今回は、警察官の女性が、ある女性を軍人にしてやるからうちでお手伝いをしてくれといって、実際に軍人にして、自分の家でお手伝いさんとして使っていたところ、何かの事情があったのかどうかはわかりませんが、最近、お手伝いさんに暴力をふるうことが増え、その映像が表に出て問題になっています。

なんでも警察官の女性が警察官になったいきさつにも疑惑があって、その警察官の女性の愛人が、大物政治家で、その権力で警察官にしてもらい、お手伝いさんを軍人にしたのもその大物政治家の伝手だったという疑惑も出ているそうです。

タイでは、軍人や警察官が、副業や裏の商売をしていることもしばしばですし、いろいろなスキャンダルも出てきます。

昔からタイ人の間では、軍人はお酒が好きで、警察官は女性が好きだと陰口を囁かれています。実際には、どちらも両方好きな人が多いと思いますけどね。

これはタイ人だけに限った話でもないようですが、女性は、制服の男性や権力を持つ男性に弱いようです。もっと弱いのは金持ちの男性かな?

不整脈の話

 子供のころは、短距離走よりも長距離走が好きでしたし、柔道をやった時には、校舎の階段をⅠ階から屋上までダッシュしたりうさぎ跳びで上がったり、それなりに激しい運動をしても、特に異常を感じることはありませんでした。

バンコクで暮らし始めてから、突然のめまいとか息苦しさを感じることが複数回あって、バンコクの総合病院で検査を受けました。

検査の結果は異状なしだったけど、その後も気分が悪くなることが続き、ある時など、夜中に急に息苦しくなって、自分で救急車を呼んだくらいで、改めて精密検査を受けました。

その時の精密検査で、「心臓に異常がありますね」といわれ、目の前が真っ暗になりました。

英語での説明でしたが、RBBBという、心臓の神経の一つがブロックされている異常だということはわかりましたが、詳しいことは、いくら説明を受けてもわかりませんでした。

ネットで何でも調べられる現在と違い、40年ほど前の異国では、ただただ不安でした。

その後、不安の迷路に迷い込んだ話は、また別の機会に書くとして、その時から、心電図をとる機会があるたびに、このRBBBを必ず指摘されます。

バンコクで鬱状態で苦しんだ末に、タイ人の医師から、精神的なことは、やはり日本に帰って専門医に診てもらった方がいいとアドバイスをもらい、悩んだ末に帰国して、日本で精神科に行き、医師からのアドバイスで、心臓に不安があるのなら、まず心臓の専門の医師に診てもらった方がいいといわれたわけです。

それで、日本の総合病院の心臓専門医に診てもらいました。結果は、同じく、RBBBだということで、先天的な欠陥だけど、生命の危険はなく、日常生活は問題なくできることを説明してもらいました。

考えてみれば、気が小さく、心配性で、ちょっとしたことにもクヨクヨするけど、心臓が苦しくなったり、痛みを感じたりしたことはないわけです。

ドキドキするのは、だれにでもあることでしょうしね。

先生も、人間いつかは死ぬわけで、RBBBを持つ人でも持たない人でも、明日死ぬかもしれないし100まで生きるかもしれないわけだから、あまり考えすぎない方がいいといわれました。

ここが意外と大切なポイントで、「人間はいつか必ず死ぬことに間違いない」と気が付くと、むやみに死を恐れなくなるような気がします。

新型コロナでもそうなんですが、高齢者とか持病を抱えている人たちでしたら、誤飲性肺炎やインフルエンザと同じように、気を付けないと死ぬかもしれないけど、健康な人なら、よほどの症状がでるまでは、普通に気を付けて生活しているだけでいいような気もします。

心配のし過ぎは、かなり心身に悪いと思います。

余談ですが、心臓の検査の時には、通常の心電図だけでなく、トレッドミルという、今ならスポーツジムに必ずあるようなランニングマシーンのようなもので、その上で歩く速度を変えたり、傾斜をつけたりしながら心電図を取るわけですが、その時に、研修医たちが集団で部屋に入ってきて、「この心電図の異常がわかるかね」とか担当医から質問されていて、気が散りました。

その後、幸いにも不安神経症も治って、心臓の異常を感じることなく生活してきましたが、10年ほど前から、突然、脈が飛びようになりました。

音楽でいうところの一泊休み状態で、自分で脈拍を測ると、規則的に脈が打っているのが、突然、止まって、またすぐ規則正しく打ち始めることを何度か繰り返すことがありました。

これも最初に気が付いたときは、ショックというか、びっくりして、近所の医者に診てもらったほどです。

心電図を取り、RBBBですねと言われ、脈が飛ぶのは、いろいろなストレスとか悩みとか、原因はなかなか特定できませんが、失神するとか、何か重篤な症状がなく、日常生活ができるのであれば、さほど気を付ける必要はないでしょうとのことでした。

バンコクでの生活が長くなってからは、日本に帰国している時の方がストレスもあるようですし、加齢とか、両親の他界とか、いろいろとあれば、体調にも変化は出るのが当然でしょう。

そうした冷静な判断ができればいいのですが、こと健康に関しては、神経質になってしまうし、特に心臓に関しては、考えすぎてしまいます。

2022年8月23日火曜日

時々見る夢の話

 子供のころからあまり夢を見ることはなかったのですが、大人になってから時々見る夢があります。

海外での生活が長いためだと思うのですが、空港に着いたらチケットがないとかパスポートがないとか、焦りまくる夢です。

今はEチケットの時代ですから、昔のようなチケットは必要ないのですが、探しているのは、昔ながらのチケットです。


チケットが見つからないとチェックインができません。予約している便に乗れないから、必死で荷物をひっくり返して探すのですが、どうしても見つからないという、ハラハラドキドキする夢です。

同じような夢にはパスポートが見つからないバージョンもあります。


誰かに追われている夢もたまに見ます。これも嫌な夢で、目が覚めた時にドッと疲れています。

高いところから落ちていく夢もあります。これもこわいです。空を落下する夢とか海中に沈んでいく夢です。

要するに不安ばかりを感じているからなのでしょうね。海外での暮らし、それも最初に経験した貧乏旅行の時には、いろいろと不安ばかりでした。

残金1万円の時に、もう1万円しかないどうしようと思うタイプです。

まだ1万円も残っているからと思えるようになりたいものです。

世の中には、赤道に近い地域に住んでいる人たちを中心に、何とかなるさと楽観的に物事を考える人たちもいるようです。

私のDNAには、南国の豊かさではなく、北国の厳しい冬の経験が詰まっているからなのか、「備えあれば憂いなし」とか考えてしまうのでしょうね。

どちらかといえば完ぺき主義で、いい加減なことはあまり好きではないので、能力もないのに完璧を望むからストレスがたまり、迷路に迷い込んだ経験もあります。

世の中不安のタネはいっぱいあって、ガンになるかもしれないとか、交通事故に遭うかもしれないとか、騙されて全財産を失うとか、考え始めたらキリがありません。

どうしても見つからない場合でも、チケットがなければ、新しいチケットを買う方法もあるし、パスポートがなくなったら、すぐには無理でも、現地の警察署に紛失届を出して、大使館で新しいパスポートを申請するなり、日本に帰るだけなら、「帰国のための渡航書」を発行してもらうだけです。

後戻りできない失敗もありますが、ほとんどのことはやり直しがきくことが多いですから、焦らないこと、いろいろな情報を集めてみることが大切ですよね。

中学生のころ見て夢精した性的な夢なら、毎日でも見たいけど、寝汗をかくような不安な夢は、見たくないです。

魚釣りの話 その2

 子供のころは近所の小川とか池でフナとかコイを釣っていましたが、自転車に乗れるころになるともっと遠出をして魚釣りができたわけです。

一級河川でのボラの子供のオボコやイナとかウグイとか手長エビとか釣りましたが、海釣りは、父に連れて行ってもらう以外はしませんでした。

やっぱり海づりは見るだけでも楽しかったし、釣り船に乗っての釣りも楽しかったです。

それに川魚は、においがきつくて苦手でした。

臭い魚のランキングもありますが、やはりほとんどが川魚のようです。私の経験で、触っただけで臭かったのは、ダツでした。

このダツは、口がとがっていてとても危険で、刺されて亡くなった方もいるそうです。

砂浜からの投げ釣りでは、父は、イシモチとかキスとかクサフグを釣っていましたし、釣り船からの釣りでは、私も、それまで見たことのなかったカレイとかコチとかカワハギとかベラとか、珍しい魚をたくさん釣りました。

エサは、最初はミミズでしたが、海釣りにはゴカイとかジャムシとかイソメとか袋ムシなどを使いました。サンマの切り身なども使った記憶があります。

日本での思い出としては、少し離れた漁港でのサビキでアジやサバの小さいのを釣ったのは楽しかったです。

漁船が戻ってくると、1回で何匹も釣れましたが、漁師さん達から邪魔だ邪魔だと追い払われました。

日本では小物ばかり釣っていましたが、タイに来てからは、小物ばかりではなく大物も釣りました。

タイでは、漁船をチャーターしての海釣りで、めちゃくちゃ暑かったけど、楽しかった。

数を釣るのなら、近海でのイトヨリとかハタなどが、入れ食いで面白いように連れました。

もう少し大物を狙うときには、船で沖に1時間以上出て、イカとか小魚を針につけての泳がせ釣りでサワラとかオニガマスとかレインボウを狙います。

男の夢としてトローリングをしたいのに、漁師の船長さんは、燃料代の無駄だといって、すぐにやめてしまいます。

トローリングのために、いろいろとルアーなどもそろえていたのに、漁師さんのおすすめは、地味なタコベイトなんですよね。

バンコクの近くの海は、シャム湾なので、どちらかといえば波が穏やかで水深も浅い海です。といっても突然のスコールの時には、沈没の危険もあります。

一方プーケットの方の海は、インド洋なので、ちょっと沖に出ると水深も深く、海が荒れたら恐ろしいほどの波がたちます。

ですから、アメリカとかオーストラリアのトローリングで巨大なブルーマリーンを吊り上げるのを夢見るのなら、シャム湾よりもプーケットに行った方が可能性はあります。

シャム湾でも、セイルフィッシュは釣れるし、2メートルを超えるようなサメも多いです。

プーケットの近くのインド洋では、セイルを釣り上げたのを見たことはあります。

その時は、初めて見たのですが、海でのフライフィッシングで、ティーザーという針のついていないカツオのハラミを船から流す人が、セイルに食いつかせて、食いついてきたタイミングで、思いっきりエサを引き抜くと、魚は、どうしたんだと、興奮状態になって、またエサを探し、食いついてきます。

それを数回くり返し、エサをひっこ抜いたタイミングで、フライを投げる人が、魚の前方にフライを投げ込むわけです。そのコンビ間の息が合わないといけないのでむつかしいわけです。

魚も、カッカすると猪突猛進で必死です。フライにヒットすると海面に飛び跳ねるので、かっこがいいです。

それで、いかに細いラインで獲物を釣り上げるかの競技となります。

こちらの人の映像を見れば、だいたいの感じは理解できると思います。

お金があって、時間もある、大物釣りが好きな人たちは、世界中飛び回っているようです。

魚釣りの話 その1

動物を見ても、食べ物を得るためには、木の実や花の蜜をとったり、小動物を捕まえたりしてきています。

日本でも遺跡からは、木の実とか貝殻などが見つかっています。貝塚などを見ると、ものすごい量の貝殻で、毎日貝ばかり食べていたのだろうかとか考えてしまいます。

矢じりなどを使っての狩猟は、陸上でも海や川でも、かなりの技量も必要になります。優れた技量の人やいい道具を作れる人は、多くの獲物を得たことでしょう。

素潜りで貝や魚を捕ることも覚えて行ったでしょうし、釣り道具を考え出した人がいたのはすごいことだと思います。

弓矢でもそうですが、弓と矢を組み合わせて、より遠くにいる獲物を狙うわけで、槍を投げる方法に比べると飛距離も正確さも増したことでしょう。

魚釣りの場合には、最初は、手釣りで釣り糸と針だったでしょうね。そのうちに釣竿を考案した人が出てきたのだと思います。

釣り糸は草木の繊維とかを縒って作ったのでしょうし、釣り針は魚や動物の骨で作ったのでしょう。

自分が原始の時代にタイムマシーンで行けたとしたら、何ができるのだろうかと考える人はたくさんいるわけで、小説とか映画とかにもなってきています。

無人島に流れ着いたら、どうやって生きていくかというのは、なかなか困難なことだとわかると思います。

飲み水と食べ物で、もう死んじゃう人がかなり出そうです。

運よく飲める湧き水とか清流を見つけ、ヤシの実とか、野生のバナナでもあればいいけど、小動物を捕まえることとか、魚を捕まえることは簡単ではないと思います。

子供のころは、田舎だったこともあって、竹とツルで弓矢を作ったりしたし、竹の先をとがらせて、槍を作ったりもしました。

釣り針がなくても、貝とかカエルなどを糸に縛ってザリガニを釣ることはできますが、釣り針とテグスというのは、すごいと思いますね。

子供のころの魚釣りは、竹竿にテグスとウキと板鉛の重りと釣り針で、エサはミミズでした。

でも、ここで大きな問題が出てきます。それは、釣り竿に釣り糸を結ぶ方法と釣り糸に針を結ぶ方法です。

ウキは釣り糸にゴム管を通して、重りは、釣り糸にいた重りを巻き付ければいいのですが、釣り竿に釣り糸を結ぶ方法を知らないと、すぐに釣り糸が釣竿から外れてしまいます。

釣り針は、糸付きのモノを売っているから、それを釣り糸に結び付ければいいのですが、こちらも結び方を知らないと、すぐに外れてしまいます。

魚釣りの基本中の基本は、糸を結ぶことを覚えることから始まります。

針だけでなく、サルカンを使ったりして仕掛けを作るときにも縛り方が必要になります。

釣りの先輩がいればすぐに教えてもらえますが、自分一人で考えるのは大変なことです。

同じ場所で、同じような道具で同じエサで魚釣りをしても、釣れる人と釣れない人が出ます。

仕掛けとかウキの位置とかエサのちょっとした違いもありますが、持って生まれた運もあると思います。

釣る場所をコロコロと変える人とか、すぐに飽きちゃう人もいますし、エサを付けられない人や魚を持てない人もいます。

私の場合には、気が付いたときには、父に連れられて魚釣りをする父を見ていたというくらいで、魚釣りが身近で、見様見真似だったり、父に教えられたりで、魚釣りが大好きになりました。


大使館からのメール 抗議集会

 ・インターネット上の情報によれば、8月23日(火)及び24日(水)に、以下の場所において、反政府グループ等による抗議集会が行われる見込みです。

・不測の事態に備え、抗議集会が行われている現場周辺には近づかないようにするなど、ご自身の身の安全を確保してください。

・集会場所周辺では、交通渋滞や交通規制等も予想され、また政治集会予定は、急遽変更や追加等の可能性がありますので御注意ください。


【バンコクにおける抗議集会】

1 日時:8月23日(火)9時30分頃から

場所:首相府前

 

2 日時:8月23日(火)14時頃から

場所:戦勝記念塔前(BTS戦勝記念塔駅(Victory Monument Station)近く)から首相府前までデモ行進

 

3 日時:8月23日(火)17時頃から

場所:民主記念塔(ラチャダムヌン通り)から首相府前までデモ行進

 

4 日時:8月24日(水)14時頃から

場所: ラチャプラソン交差点(エラワン廟のある交差点)

 

5 日時:8月24日(水)14時頃から

場所:首相府前

 

○情勢次第では、周辺地区にまで影響が出る可能性もあります。最新の関連情報の入手に努めるとともに、周辺への興味本位での立ち寄りは絶対に避け、また付近にお住まいの方は外出を控えるなど、安全確保には十分注意を払って下さい。


(問い合わせ先)

○在タイ日本国大使館領事部

電話:(66-2)207-8500、696-3000

FAX:(66-2)207-8511

所在地:177 Witthayu Road, Lumphini, Pathum Wan, Bangkok 10330

(ウィタユ通り、ルンピニー警察署とMRTルンピニー駅のほぼ中間)


2022年8月21日日曜日

タイの話 その7

タイのテレビニュースで時々報道されるのに、結婚式当日とか間際に逃げ出す新郎とか新婦の話があります。

花嫁が逃げ出す話としては、映画「卒業」が有名ですよね。

逃げ出す側と逃げられた側とでは、全く別のお話だと思うのですが、あの映画の影響は、その後のいろいろなドラマなどにも影響を与えているし、現実にも同じような話は起きてきているのでしょうね。

タイの場合には、結婚式はかなり派手にする人も多く、結婚に関する行事もあるので、それなりに費用もかかるし、友人知人、親戚縁者への連絡など、手間暇かかるわけです。

それを突然キャンセルされたら、困惑するだろうし、怒り爆発する人たちもいるわけです。

タイの場合には、結婚披露宴の費用とか新婦への貴金属や現金などを用意している場合もあります。

最近は、二人の記念写真や記念ビデオなどにもお金をかける傾向があるそうです。

逃げるのは理由があるわけですが、タイの場合には、昔から重婚というのがかなりあります。

私がタイに来たばかりのころから、テレビドラマや日常会話の中に、お妾さんにあたるタイ語がかなり頻繁に登場してきています。

タイ人の中には、結婚届を出さない人もかなりいるし、結婚後、お妾さんを持つ人もいて、中には正妻とお妾さんが同居していることもあるそうです。

田舎の方では、10代のころ籍を入れない結婚も多いそうで、子供ができたら別れ、子供は親や祖父母に子供を預けて、また次の人と結婚とかかなりあるそうです。

タイ人の女性の中には、出産経験があっても、ものすごく体形が細くて、まさか子供がいるとは信じられない女性も少なくありません。

だから、日本人だけでなく、タイ人でさえも、まさか子供がいるとは思わないで結婚をする人もいるそうです。

たとえ結婚前に女性の裸を見る機会があったとしても、妊娠線とか乳首の色や大きさなどから子供がいると理解できる男性ばかりでもないわけです。

男性にお妾さんがいるように、女性でも、複数の男性とお付き合いをしている人もいるわけで、結婚話が出てきたことで、それまでの安定が壊れてしまうと、困っちゃう人もいるのでしょうね。

おなかの中に別の男性の子供がいたり、妊娠しているといっていたのに、実は、妊娠は嘘だったり。

男と女の間には、いろいろな問題が起きてきたりもしますし、キツネとタヌキの化かしあいというか、真実を隠す場合もあるわけです。

国際的な結婚詐欺なんかも有名で、 欧米の航空会社のキャプテンだとか、医者だとか、軍人だとか、IT企業のCEOだとか、まあ、いろいろな肩書で、女性を騙すナイジェリアなどの組織もあるそうです。

もちろん、昔ながらの夜の世界で知り合った美女などに騙されて、高級車などをプレゼントする助平社長さんも有名ですけど、一番悪質なのは、ハニートラップに引っかかって、国の秘密を外国に流している政治家や役人でしょうね。


人相の話

人間だけでなく、ほとんどの生き物には、個性がありますよね。

動物だけでなく植物にも個性があるし、同じ血統でも、いろいろな姿かたちのものがあります。

人間でも兄弟姉妹、いろいろな性格ですし、顔だちもいろいろです。一卵性双生児にしても、顔だちはそっくりなのに性格が違うことはあるようです。

人間は、いろいろと不安ですから、昔から宗教とか占いを信じる人が多いわけですが、まわりから見たら、インチキだと思うようなことでも、真剣に信じている人はいます。

信じるものは救われる部分もありますから、騙されているのか、それとも宗教なのかといった問題は、いつの世の中にもあります。

オウム真理教というカルトがあって、とんでもないことをしていたわけですが、教祖の麻原彰晃が空中浮揚をしているという写真がテレビなどで流れ、信じちゃった人もかなりいたようです。

今の世の中なら、写真や映像の合成は素人でもできる時代ですが、当時は、そんなことのできる人は個人ではほとんどいなかったわけで、実際のところは、本人が、何度も練習して、椅子の上で座禅を組みながらジャンプしているところを下の方から撮影したと思われます。

本当に修行僧が宙に浮くことができたのなら、もっと安らかな瞑想している顔立ちだと思います。

人間は修業をすることで、普通の人にはできないことができるようになることもありますから、インドとか中国には、超人がいろいろといるそうです。

人間は、奇跡や超自然現象に弱いから、いろいろな宗教には奇跡に関する逸話も多いですよね。

人間がハマるのは宗教だけでなく、賭け事にはまったり、お酒や麻薬にはまったり、異性にはまったりします。

はまっても抜け出せればいいのですが、抜け出せずに、底なし沼状態に陥る人も少なくないわけです。

人間は不安なので、古今東西、権力者なども、占いにはまる人がいたそうです。

いろいろな占いがありますが、天体の動きに関する占いが多く、世界的な遺跡などにその証拠が残っていますよね。

透視とか八卦占いとか、タロット占いなど、根拠がよくわからない占いもあります。

あとは、人間の人相とか手相とか、ある程度のデータに基づく占いもあります。

手相などは、年齢とともに変わるそうですし、顔だちも変わりますよね。

全く別人のようになる人もいれば、あんまり子供のころから変わらない人もいます。

でも、子供の顔つきは、だれが見ても子供だとわかるし、老人の顔も老人とわかります。

同じ日に同じ親から生まれた4匹のメス猫を飼っていますが、毛の色も違いますし、顔だちも違います。

毛の色は、年齢とともに多少変化するものと、ほとんど変化しないものがいます。

顔立ちには、それぞれの特徴があります。気の小さそうな顔立ちもあれば、獰猛そうな顔立ちもあるし、変わり者らしい顔だちもあります。

人間にも、人相の悪い人はいるわけで、全員ではないにしても、やっぱりか、と思うような行動をとることもあるわけです。

基本は、親からの遺伝にしても、環境とか経験で、人間の顔かたちも変わっていくこともあるのでしょうね。

人相が悪いくらいが、まわりからなめられないのかもしれませんが、私は、やはり、優しそうな顔立ちの人が好きです。

人相の悪い人は苦手です。



2022年8月20日土曜日

父の話

「かりそめ天国」で養蜂の話が出ていて、昔、父親が、急にミツバチを飼い始めたことを思い出しました。

とにかく多趣味な父親で、魚釣りだけではなく、和船を漕いだり、網を仕掛けたり、定年退職後には漁師に弟子入りして、太刀魚とかサバなどを捕っていました。

鶏やヤギも飼っていましたので、私は、牛乳ではなくヤギの乳で育ったとも言えます。

花を育てたり、メダカを育てたり、インコやカナリアなど小鳥を育てたり、いろいろとやっていたので、それを無意識のうちに見て、いろいろなことを学びました。

父は、味噌醤油から、豆腐やこんにゃく、沢庵や梅干しや梅酒なども得意でした。

ミツバチは、煙を嫌がるので、専用のふいごの中に新聞紙を入れて火をつけ、不完全燃焼させた煙を吹きつけながら巣を開けます。

網のついた帽子のようなものをかぶって、手袋をして、ミツバチに刺されないようにするわけですが、注意しても多少は刺されてしまいます。

ミツバチは、ほかのハチと違って、一度刺すと、針を人間の皮膚に刺したまま、それを残して飛び去りますから、それで死んでしまうそうです。

刺されたところを見ると、針の上の部分にはスポイトのような膨らんだ部分があるので、そこをつかまないように注意しなければなりません。

そのふくらみの中には毒が入っているから、それをつまんで毒を体内に注入すると、かなり腫れて痛いです。

ふくらみの下の針だけの部分をピンセットなどでつかんで抜けば、ほとんど痛みもなく腫れたりもしません。

ミツバチの毒はさほど強くはないですし、何度も刺されているうちに、痛みも腫れも弱くなってきます。

巣の中には、ファイルケースのような感じの巣板が吊り下がっているわけで、それを引き上げてみると、その巣板の両側にびっしりと蜜蝋によってできた例のきれいな模様の巣が現れ、そこに蜜とか幼虫などが入っています。

その巣板を巣から出して、小さなドラム缶のような器具を使って蜜を遠心力で取り出すわけで、巣板は、一度に何枚も入れて、器具についたハンドルを回し、回転させて、蜜が底から流れ出す仕組みです。

採れた蜜には幼虫とかゴミとかも混ざっているので、きれいにして瓶詰にします。

季節によって、ミツバチが集めてくる蜜が違いますから、その季節にたくさん咲いている花の蜜が集まります。

ミツバチの敵は、病気や天候とか外敵とかいろいろとあって、運が悪いと、見事に全滅してしまいます。

基本的には、追い払ったりしないかぎり、近くの人を刺したりしませんが、近所の人から、洗濯物にミツバチのフンや花粉が付くなどの苦情はありました。

でも、添加物ゼロの蜂蜜やロイヤルゼリーを口にできるのは、なかなかの贅沢でした。

父から学んだことは数えきれないほどありますが、「備えあれば憂いなし」は、骨の髄までしみ込んでおります。

父の得意は電気関係でしたので、子供のころから父がいろいろなモノを修理するのを見て、専門の勉強をしたわけではないけれど見よう見まねで、簡単な修理などは自分でしています。

あと、父からの遺伝なのか、道具道楽というか、いろいろな工具とか道具を買ってしまいますから、家はガラクタがいっぱいです。


2022年8月18日木曜日

外国語の話

 世界中にはたくさんの言葉がありますが、それぞれ特徴もありますから、外国でも日本でも、その真似をして笑いあうことがあります。

日本ですとタモリが、おかしな、それっぽい外国語を話して笑いを取るのが有名ですが、タモリよりも先に、藤村有弘さんが有名でした。

ものまね 外国語 fake languages telegram ver. 1973

藤村有弘さんは本当に面白かったです。

タモリ対談では、お二人の掛け合いを見ることができます。

ちょっと違いますが、トニー谷さんという天才もいました。

どこの国に行っても、そこの国の人たちの特徴を強調して英語を話すと、めちゃ受けます。

万国共通で、外国人が日本人の話す英語をまねるのも多いです。

日本にもいろいろな方言があるように、どこの国にも方言がありますし、多民族国家も多宗教国家もありますから、異なる民族をからかったりすることは、日常的にあるようですが、深い意味はなくて、冗談の範疇のような気がします。

最近の日本は、すぐに差別だとかヘイトとか言い出す人が多いですが、悪質でない限り、まあいいじゃんと思ってしまいます。

ドイツ語のRは有名ですが、同じドイツでも、北部のRは、南部のRほど強くはないですし、巻き舌は、アラブ諸国とかインドとかも有名ですよね。

アメリカ人の話す英語でも、アフリカ系の人たちやイタリア系の人たちやスペイン系の人たち、中国系の人たちの話す言葉には特徴があったりもしますが、アメリカで生まれ育ったら、特徴が薄くなる傾向はあると思います。

時代とともに言葉は変わっていくので、一つの言葉で、その時代背景が解ったりもします。

インターネットで検索すれば、いろいろな特徴ある英語を聞くことも可能な時代で、楽しいです。

外国語を話すときには、多少の下ネタとかジョークを含めると、ほとんどの場合には、より仲良しになれると思いますが、中には、そういった話を嫌悪する人もいますから、よく相手を見ないと大変なことになってしまいます。


2022年8月17日水曜日

タイの話 その6

 タイに滞在する人には短期旅行者や長期旅行者、そして仕事での滞在や留学などがありますが、ビザを免除されている短期旅行者以外は、滞在ビザが必要になります。

日本や近隣の国のタイ大使館やタイ領事館でタイの滞在ビザを目的に応じて申請します。いろいろな書類が必要となるので、簡単ではない場合もあります。

ノービザや観光ビザの場合には、もっと長く滞在したいと思うときには、イミグレーションで延長申請をしたり、一度近隣国などに出向して、また入国しなおすことが一般的でした。

こうしたやり方が、近年規制され始めて、何度も繰り返すことが禁止されているようです。

オーバーステイや不法滞在には罰金や最悪強制送還が待っています。

就業ビザや留学ビザは、基本、書類がそろえば1年の長期滞在が可能ですし、毎年延長申請も可能です。

タイの場合には、就業ビザがあっても労働許可証を持たずに仕事をしていたら不法就労で捕まります。

労働許可証は、イミグレーションではなく、労働省で申請や延長をします。

タイには、自分で手続きをするだけではなく、専門の業者もいるので、お金はかかりますが、手続きをすべてやってくれます。

タイに滞在してみて、タイが気に入って、もっと長く滞在したいと思う人もいるわけで、いろいろな合法・非合法な手で、長期滞在をする人がいます。

そして、そうしたタイに長く滞在したい人を騙そうとする詐欺師もいるそうです。

どこの国でも国際結婚ですと、配偶者ビザが認められます。

タイの場合には、昔は、男女同権ではなく、男社会で、外国人女性とタイ人男性の結婚の場合には、外国人女性にすぐに滞在ビザや永住権や希望があれば国籍まで意外と簡単に与えていたそうです。

もしもタイ人女性と外国人男性との結婚の場合には、かなりハードルも高くて、外国人男性の収入によっては、配偶者ビザが下りない場合もあります。

配偶者ビザをもらっても、労働許可証がなければ仕事ができないのも、不思議です。

以前は、外国人男性と結婚をしたタイ人女性には、不動産を所有する権利もありませんでしたが、いまだ法律が改正されているようです。

この配偶者ビザが長期滞在などに便利なので、日本でも外国人が時にはインチキで偽装結婚をしているそうです。

外国人の中には、日本人よりもずっとズル賢く、法律の穴を見つけて悪用する人たちがいることを日本人は知るべきだと思います。

配偶者ビザの場合には、労働許可証とか永住権の申請時に、条件が優遇されます。

タイには、退職者ビザなどもあって、一定の年齢以上ですと、持ち金制限額以上の証明があれば、1年ビザが取れるようです。

とにかく、海外での滞在の基本はビザですから、ビザに関しては、他人から聞いた話を全て信じるのではなく、自分で、大使館などに確かめてみることをお勧めします。

そうしたことを自分でできないのであれば、きつい言い方になりますが、団体旅行以外は海外に出ないで日本で暮らした方がいいと思います。

タイの話 その5

日本とタイとの友好の歴史は400年以上とも言われていますから、いろいろな分野での交流も盛んです。

日本の大学にはタイ語学科のあるところもありますし、タイからの留学生や日本語を学ぶ語学留学生も多いです。

タイで滞在を始める人のほとんどは、初めてタイ語と接する人が多いわけですが、今のタイには、タイ語を教える学校もたくさんありますし、タイ語に関する本が、ものすごくたくさん売られています。

私がタイに来たばかりのころは、日本語とタイ語の辞書などは限られていましたので、最初は、英語とタイ語の辞書を使いましたが、日本人が増えてきてからは、日本語とタイ語の辞書も豊富で、医療関係や建設関係や製造関係の専門語用語辞典などもあります。

日本人にタイ語を教える教室は昔からありました。

先輩の方々が作られた、カタカナ・タイ語の冊子などもありました。このカタカナ・タイ語は、短期間でタイ語を覚えるには有用でも、正しいタイ語の発音ではない場合もあるので、その後、カタカナ・タイ語をバカにする風潮が、タイ語を学校で学んだ人たちの間ではじまりました。

どんな国の言葉でも同じだと思うのですが、その国の子供たちは、母親など、まわりからの言葉を聞いて、まず耳から覚えます。

耳から聞いた言葉を徐々に話せるようになっていくわけですが、最初は幼児言葉で発音も明瞭ではないですし、話せる単語も少ないわけです。

そして、学校に行く前後で書き言葉を覚えます。そのころには、聞くことも話すこともどんどん上手になって書くこともできていくわけです。

大人でも同じで、外国語を聞く力が重要だと思います。

日本人の場合には、英語は学校である程度勉強しているので、基礎ができていますが、英語以外の言葉を勉強するときには、とにかく聞く力がないと、なかなか上達しないと思います。

ドイツでゲーテ協会に行ったことがありましたが、授業はすべてドイツ語なので、最初は、先生が何を話しているのか全くわかりませんでしたが、徐々に耳が慣れてくると、ドイツ語が発音が明瞭であることもあって、意外と聞き取れるようになっていきました。

タイに滞在している人の中には、学校に通わず、耳から聞いたタイ語だけでタイ語を覚えている人たちもかなりいますが、タイ語の読み書きができなくても、タイ語を聞いたり話したりするのが上手な人も多いです。

もちろん、学校で読み書きを勉強している人たちは基礎ができているし、あるところからの上達はすごいわけですが、最初は、なかなか目に見えての上達はないわけです。

話す力や聞く力では、耳から覚えたタイ語の使い手にはかなわない場合もあるわけです。

冗談半分で、昔から言われているのは、外国語を覚えるのなら、その国の人とベッドを共にしてベッドトークをすることだそうです。

言葉には、いろいろな方言もありますし、流行り言葉もありますし、古語もあるし、宗教に関する言葉もあります。

タイには中国系のタイ人も多く、彼ら独特のタイ語もあります。

その辺も聞く力がないと、理解できないこともあります。

タイ人にはビジネスマンを中心に英語を話す人がかなりいますから、英語が話せたら、不自由なく仕事も日常生活もできることが多いと思います。

タイ人の中には、外国人とはタイ語よりも英語で話をしたがる人さえもいるようです。

最近のタイ人には日本語を話す人もかなりいますから、タイ人から軽蔑されるような話は慎んだ方がいいと思います。

日本語だけでタイに何年も滞在して、ほとんど不自由はないと豪語する人さえもいるそうです。

あと、日本人はタイ語に関しても、昔からマウントを取る人はいるわけで、自分が優れている自慢はいいにしても、他人をバカにしたりするのは、いかがなものかと思います。

2022年8月16日火曜日

チェンマイ総領事館からの注意喚起メール

  本日未明、チェンマイ市において、邦人男性が暴行を受け傷害を負う事案が発生しました。


・本日(8月16日)午前3時30分ごろ、邦人男性が暴行を受け傷害を負う事案が発生しました。

・被害男性は、昨日夕刻から複数の飲食店で飲食し、本日午前2時ごろ、店舗外で待機していたトゥクトゥクの案内により、別の飲食店に移動しました。

・当該飲食店で飲食を終えた後、会計時に法外な金額を請求され、手持ちの金額を支払ったものの、不足分をATMで引き出して支払うように言われ、外に出て逃げようとしたところ、暴行を受けました。

・このような悪質なぼったくり店が存在しています。

・このような被害に遭わないためにも、深夜時間帯の一人歩きは厳に慎んでください。


(問い合わせ先)

○在チェンマイ日本国総領事館

電話:+66-52-012500

Fax: +66-52-012515


タイの話 その4

 タイに短期・長期滞在する人が、タイの何が好きかは、もちろん個人差のあることですが、男性の場合には、ゴルフとかマッサージとか夜の街とかがあるのではないかと思います。

食事も、屋台から高級レストランまで、本当にいろいろとあるし、おいしいものもいっぱいですし、素晴らしいホテルもあるし、ビーチリゾートや地方都市の自然の素晴らしさもあります。

マリンスポーツが好きな人も多いようですし、本当に魅力いっぱいの国だと思います。

今回はゴルフのお話をしようかと思っています。

私の場合には、生まれて初めてゴルフクラブを握ってゴルフボールを打ったのは、1973年ロンドンの打ちっぱなしでした。

ゴルフが好きだという親しい友人が誘ってくれました。初めての人はまずボールにクラブが当たらないことが多いといわれましたが、何とかボテボテでしたがボールを打つことができました。

その次にゴルフボールを打ったのは、なんとシンガポールのセントーサゴルフ場で、練習もしていないのに、無茶苦茶で、まわりに迷惑をかける愚行なんですが、1977年当時は平日であったこともあり、ゴルフコースに人がほとんどいなくて、一緒に回った人とキャディーさん以外にはほとんど迷惑をかけなかったのではないかと思っています。

最初はイン・アウトともに70前後を叩いたと記憶しています。

タイに滞在してからの何年かは、よくゴルフに行きました。

当時は、とにかくどこでもグリーンフィーも安かったですし、一番近い、今のチャトゥチャック公園のところにあった鉄道省のゴルフ場は、グリーンフィーが100バーツくらいだったと記憶します。

ただ、手入れが悪くて、フェアウェーがデコボコで、雨の後など、ぬかるんでいるところもあって、大変でした。

バンコク近郊には、多くのゴルフ場があって、陸軍のゴルフ場とか空軍のゴルフ場とかもあり、一般人でもプレイが可能でした。

でも、市内は朝から交通渋滞で30キロ以内でも1時間以上かかることもしばしばでした。

空軍のゴルフ場の一つは、ドンムアン空港の一角にあり、コースを横切って飛行機が通るときには、プレイを中止して飛行機が通り去るのを待ちました。

よく行ったのは、当時としては一番有名だったナワタニゴルフ場やフアマークスポーツクラブ、ローズガーデンなどでした。

バンコク近郊のゴルフ場は、とにかくフラットで、アップダウンがないから、変化はバンカーと池という感じで、木々もそんなに茂ってはいませんでした。

だから飛距離が出る上手な人はいいスコアが出るので、お気に入りのようでしたが、私は、基本ができていないし、体が硬いし、馬鹿力のみでしたので、はっきり言ってへたくそで、なかなか100を切れませんでした。

ゴルフは、少額の賭けをする人が多いのですが、私は、毎回負けるし、かけ事が嫌いなので、ほとんどかけをしないゴルフで、まわりからは嫌われました。

結局、ほとんどが100前後でしたが、一度だけ、まぐれで41・43の84が出たことがあって、それが生涯ベストスコアです。

その後、暑いし、一日つぶれるし、一緒に回っていた人たちは、どんどん上手になっていくしで、ゴルフはやめてしまいました。

ゴルフをやってわかったことの一つが、普段は冷静な人がカッカしたり、信じられないようなインチキを平気でする人がいたり、他人の迷惑を考えずにマイペースでのんびりとプレイをする人とか、ほんと、隠れている性格が出ることも多いと思います。

常夏の国のゴルフは暑いですし、時々、スコールもやってきます。水分補給をしながらでないと、倒れる人が出るくらいです。

当時は、池の中に人がいて、池ポチャを待っているのがおかしかったです。落ちたボールを拾ってくれ、チップをあげるだけでボールが戻ってきます。

シンガポールとかタイとか、南国には、池の周りでワニを見た伝説があります。毒蛇は実際にいるようですし、水トカゲもいるそうですが、ワニは、嘘じゃないかと思っています。アメリカでは、実際にワニが出たところもあるとか。

毒蛇は木の上から落ちてくるそうで、怖いですよね。

私は、ビールは苦手なのでゴルフの後のスイカジュースとかココナッツジュースは、おいしかったです。

そして、ゴルフの後のタイ式マッサージやサウナは、極楽の気分でした。

お酒の好きな人は、そのあとのカラオケや日本人クラブというのもコースになっていたようです。


2022年8月15日月曜日

タイの話 その3

 一般の日本人が海外旅行をするようになったのは、やはり1970年代になってからだったのではないかと思います。

1ドル360円だったのが、徐々に円高になって、海外旅行もお安感が出てきたことが大きかったでしょうね。

最初は韓国や台湾やグアムやハワイなどだったと思います。

農協ツアーといわれた地方の農家の人たちの海外旅行も増えてきて、お土産に洋酒とか洋もくとか高級プランド品をいっぱい持った人たちが空港にいました。チョコレートとかドライフルーツなども。

そして、企業の海外進出も増えて行って、海外駐在員も激増していきました。

タイには、繊維関係や自動車関係などの進出が早くて、私が初めてタイに来た1976年に盤谷日本人商工会議所が発行したタイ国経済概況を見てみたら、以下のような企業が活躍していたようです。

商事・貿易が75社、現地製造が103社、製造会社駐在員事務所が31社、土木・建設・施工が10社、航空・運輸が6社、金融・保険・証券が22社、広告・印刷・書籍が9社、旅行が7社、ホテル・レストラン・サービスが13社、検査・不動産・百貨店が7社、政府関係機関が8、団体が2となっています。

と300近くの会社や団体がありました。

1977年の泰国日本人会の会員名簿を見ると、正会員が2371名で、準会員が98名、賛助会員が207社となっています。

タイとのかかわりを持つ日本人にも、駐在員から旅行者から国際結婚や留学など、さまざまです。

そして、タイが初めての外国である人もいれば、ほかの国々に滞在した経験を持つ人もいます。

ほとんどの日本人にとっての海外は、まさに異国で、見るもの聞くもの食べるもの、みんな珍しいわけですが、特に初めての旅行とか初めての駐在であれば、その驚きは、ものすごいようです。

タイには、戦前からタイで暮らす人たちも多くて、いろいろな歴史がありますから、日本人が必要な日本食材や書籍やサービスも古くから意外と充実しています。

今でも昔でも、マウントを取る日本人たちというのはいるわけで、一流会社の駐在員が、個人企業や国際結婚をしている日本人を見下すとかは有名な話です。

あとは、タイが長い人がまだ来たばかりの人を見下すとか、タイ語や英語のできる人が、できない人を見下すとか、欧米の滞在経験のある人が東南アジアしか滞在したことのない人を見下すとか、もう日本人として恥ずかしくなるようなことも実際にあるわけです。

有名大学の卒業生たちの集まりとか、県人会とか、宗教団体とか、まあ、日本の縮図のようなところもあるそうです。

住んでいる場所とか、家族構成とか、持ち家やコンドミニアムの自慢とか、SNSの普及で、いろいろな自慢多くなっているようです。

まあ、自慢することは悪いことでもないと思いますし、マウントを撮りたくなり気持ちも理解できますが、大切なことは、「そこに愛はあるのかな」でしょうね。

バブル以降には、旅行者でもないし、仕事をしているわけでもないといった謎の人たちも増えてきたし、現地採用といわれるジャンルの人たちも増えてきています。

日本で犯罪を犯して海外逃亡をする目的地の一つとしてもタイやフィリピンは有名です。

以前は、物価も安く、滞在に必要なビザも簡単だったりして、一説では、10万人を超える日本人がタイで暮らしているともいわれていましたが、コロナもあったし、物価も高くなったし、ビザの制限も厳しくなっているしで、たぶん、かなり減ってきているのではないかと思います。

コロナも終わりつつあって、タイに旅行する日本人も増えてきているそうですし、タイで仕事をして滞在したい人も増えているそうなので、また、日本人が増え始めていくのでしょう。

犯罪に巻き込まれたり、病気やケガをする日本人がいませんように。

2022年8月14日日曜日

タイの話 その2

 今でこそ、タイ料理も有名になったし、パクチーが好きな日本人も増えましたが、70年代には、タイ料理が好きな人もパクチーが好きな人も少なかったです。

タイ語を話す日本人も意外とたくさんいるようです。

当時は、日本から友人知人がタイに来たら、パクチーとプリックヌー(タイの小粒な唐辛子)による洗礼が、一般的で、辛い時には、牛乳がいいとか、甘い飲み物がいいとか言われていたものでした。

キックボクシングは、60年代から日本のテレビなどで有名で、沢村忠の真空飛び膝蹴りとか、一部の人の間ではかなり人気でした。

あれはインチキだという話も出ていて、タイでの70年代の反日運動の時に標的の一つとして話題になったこともありました。

実際に、当時リングに上がったことのあるタイ人留学生などに話を聞いたことがありましたが、やはり、簡単な台本があったとか。

当時から、格闘技界では、タイは有名で、日本人や欧米人なども、タイ式ボクシング(ムエタイ)を学びに来ています。今でも、交流が盛んですよね。

もう一つ、早くから有名なのが、タイのニューハーフで、日本の2丁目界隈の人たちの間で、タイは、早くから有名だったようです。

一般的には、タイは風俗も有名で、巨大ソープランドとか、日本人クラブとか、70年代から有名でしたが、女性を求める日本のおじさんだけでなく、若い男性を求める日本の女性とか、若いニューハーフを求める日本のニューハーフとか、かなり幅が広いようです。

ニューハーフといえば、性転換の手術とか豊胸手術、美容整形もあるので、そちらの世界でも、タイは有名になっていったようです。

あと、芸能界でもタイは早くから有名で、テレビ番組などは、ロケがやりやすいこととか、スタッフも仕事の後の遊びが楽しいと人気だったようです。

ボランティアの界隈でも、タイは、カンボジアなどの難民キャンプやバンコクの巨大スラムの問題とか、地方の貧困などで、こちらも早くから、いろいろな団体が活動してきています。曹洞宗ボランティアは、早くから有名でした。

世界中でやっていることですが、政治家などが、いろいろなモノやお金を配っている写真を撮って、選挙に利用するとか、慈善と偽善は、いつの世の中にもあります。

大麻とか覚せい剤やけん銃などもタイは昔から有名で、闇社会との関係を持つ人たちも多いそうです。

バブルのころは、フィリピンと同じようにタイから日本の温泉街や地方都市へ、たくさんの女性が働きに行ったそうです。

そして、いまではベトナムが有名な外国人研修生も、以前は、タイ人も多かったです。

とにかく、いろいろな人たちの努力もあって、タイは、日本ととても近い国となっていますよね。

タイの話 その1

 私が初めてタイに来たのは、1976年の1月、コペンハーゲンからの南回りのロイヤルヨルダン航空でのトランジットでした。

ドンムアン国際空港は、本当に小さくて、イミグレーションのカウンターが3つだったと記憶しています。

荷物は、巨大などんぶりを逆さにした底の部分から出てきた荷物が、ステンレスの斜面を滑降して、ヘリの部分に止まって、回転する仕組みでした。

トランジットですから、ホテルも送迎も食事も無料で、係の人の指示に従ってフォルクスワーゲンのワゴン車に乗せられて、スクンビット通りにあったチャバリットホテルに一泊しました。

チャバリットホテルは、聞いた話ではベトナム戦争当時、アメリカ軍の宿泊施設だったとか。

とにかく真冬の北欧からでしたから、めちゃくちゃ暑かった印象でした。

疲れていたし、当時は、早く日本に帰りたいだけで興味もなかったので、コーヒーショップでの食事以外は、部屋でゴロゴロとしていました。

その時には、まさか、またタイに来るとは思ってもいませんでした。

次にタイに来たのは、1977年の9月でした。その時でも、こんなに長く暮らすようになるとは、想像だにしていませんでした。

当時は、普通の日本人のタイに関する知識は、ほぼ皆無といっていいくらいで、ベトナムとかシンガポールは知っていてもタイを知らない人が多かったので、日本に帰国してタイで暮らしているといえば、タイはどこにあるのかとか、タイではどんな言葉を話しているのかとか、タイの料理はどんな感じとか、質問攻めにあいました。

でも、当時でもタイには日本人が2000人以上暮らしていましたし、日系の会社もすでに数百社活躍していました。

日本とタイとの友好の歴史は山田長政でも有名なように長く、日本への留学生や研修生も多かったので、日本人女性と国際結婚をするタイ人も多かったです。

当時は、ドンムアン空港から市内に入るスーパーハイウエイの両側には、運河というか、池というか、水たまりがずっと続いていて、そこで魚を捕まえている半裸の人がいつも数人いました。

市内に入る手前のディンデーン地区には、大きなごみ集積場があって、ごみを分別している人たちもいました。

当時は、高速道路もなく、ディンデーンからパトゥーナームを通って、シーロムまで行くのにものすごい交通渋滞で、びっくりしました。

当時は、夜間外出禁止令が出ていて、ディンデーンのあたりには検問所がありました。

ベトナム戦争は終わっていましたが、カンボジアとかラオスはまだ混乱していましたし、タイでは、1976年の10月に大きな反政府運動が起きて、治安は、そんなに良くなかった時代でした。

交差点のところには小さな交番のような建物があって、当時の交通整理のおまわりさんは、白いアフリカ探検隊のようなヘルメットをかぶっていたのがかわいかったです。

当時は、主な交差点は信号機よりもお巡りさんによる交通整理で、ひどい時には、10分くらい動きませんでした。

タイは、あとになって、有吉君などでも有名になったように、バックパッカーたちがヨーロッパへの行き返りによく滞在していたところで、いくつかの小説などにも描かれたところです。

当時のバンコク中央駅から、中華街にかけての安宿が舞台でした。カオサーンが有名になる前の時代でした。


2022年8月11日木曜日

ドラマ「六本木クラス」の話

 ドラマ「六本木クラス」は、Netflixで大ヒットした韓国ドラマ「梨泰院クラス」を日本に置き換え、リメイクした物語だって聞いたから、あんまり興味もなかったけど、ほかに見るドラマも多くないので、見ていました。

韓国ドラマ「梨泰院クラス」は見ていないので、比較はできません。

主演の竹内涼真君はあんまり好きではないけど、香川照之さんのオーバーアクションは嫌いではないです。

平手友梨奈さんのことは、欅坂46のメンバーで出演した紅白でパフォーマンス中にケガをしたとか、内村光良さんが平手友梨奈のファンすぎる件くらいしか知りませんでした。

でも、このドラマの中で彼女が演じている麻宮葵は、その顔立ちやファッションがなかなか魅力的ではまりました。

毎回彼女の演技が楽しみです。

プリンターの話

 昔のパソコンは、ある意味印刷機でしたので、プリンターをセットで購入しましたよね。

専用のワープロでやっていた文書を作る作業をパソコンでやって、作った文書をプリンターで印刷し、フロッピーディスクに保存することが一般的でした。

年賀状作りも多くの人に利用され、カラー印刷を自分でできるようになりました。

一般的にはインクジェットプリンターというカラーインクを使ったプリンターで、使用するインクは、黒と赤と黄色と青(「マゼンタ」、「シアン」、「イエロー」)が一般的です。

プリンター自体も、最初のころは需要も少なかったから値段も高かったですが、それに加えてインクも高かったです。

インクは消耗品ですから、使っているうちに印刷がかすれたりして、新しいインクカートリッジと交換します。

個人使用なら、そんなに頻繁に交換しないですが、仕事で使う人は、これがかなりの支出となるので、何とか安く済ませたいと思うのが人情で、タイでは昔から、互換性のある海賊版のインクが売られていました。

もちろん、純正のインクでないとプリンター本体が故障するとか言われていましたが、実際には問題なく使えていたようです。

当時からプリンターメーカーは、プリンターを安く売って、インクで儲ける作戦で、やり方が汚いのではないかと批判する人もいました。

そして、タイでは、それでも交換が面倒だと、外付けの巨大インクボトルとそれをプリンターにつける装置が売られ始めました。

私自身は、プリンターを使うことがそんなに多くはないので、インクを使い切るのではなく、長く使わない時期が多く、インクが乾燥してしまって印刷できないトラブルが多かったです。

だから、レーザープリンターが普及してきて値段が安くなってからは、ずっとインクの乾燥しないレーザープリンターを使ってきています。

ネットでこんな記事を見つけました。

エプソン製プリンターには「一定期間使用後に動作を停止するプログラム」が隠れており「修理する権利」に逆行しているという指摘

これはエプソンに限ったことではなくて、私が使っていたキャノンでも、廃インク吸収パッド問題があったことを思い出しました。

ソフトを使ってプリンターの使用期限をリセットするというのが当時のネットでは話題になり、どこからそのソフトを入手できるかなども書かれていましたので、好奇心からやってみたこともありました。

こちらの人が、そういったやり方を説明しています。

今は、いろいろな意味で、ネットにも規制がかかっているし、法律も厳しくなっているから、アブナイ情報をなかなかゲットできないですが、好奇心が強い人たちは、いつの世の中でも頑張っています。

著作権も厳しい世の中ですが、基本、商用利用などには厳しくても、個人の趣味での使用に関しては、もっと自由にしてほしいな。

2022年8月10日水曜日

ディスコテックの話

 今はクラブといわれているそうですが、昔は、ディスコとかディスコテックといわれていた、踊る社交場ですね。

私は田舎生まれですし、70年ごろの地方都市にはディスコといわれるような場所はなかったと思いますが、笑死が知らなかっただけなのかもしれません。

東京には、有名なディスコもあって、一部の若者たちは、青春を謳歌していたようです。

70年ごろの若者といえば、新宿西口に代表されるフォークゲリラに熱くなった人たちと、ディスコにたむろする遊び人、そして、そんなことには関係ない人たちに分かれていましたね。

ちなみに反戦とか社会を風刺するようなフォークソングは、吉田拓郎に代表される商業主義フォークへと変わっていきました。

私は、北欧やドイツやロンドンではディスコに行ったことがあります。シンガポールやバンコクでも行きました。

当時のヨーロッパでは、ディスコが若者たちの日常生活に入り込んでいる印象でした。

大音響で当時のヒットソングが鳴り響く中、踊るのは気持ちがいいですし、女性と踊るスローテンポの曲なんか、夢心地でした。

Disco Hits of the '70s & early '80s

Most Popular Song Each Month in the 70s

OLIVIA NEWTON JOHN  RIP

北欧は、冬でしたので白夜、ディスコに入る午後10時ごろはまだ薄明るくて、ディスコから買える午前2時には、もう夜が明けるといった感じで、まさに非日常でした。

80年代のバンコクには、体育館のような巨大なディスコが何軒もあって、いろいろと騒がしかったです。


不景気の話

 第2次世界大戦後の世界ほど、多くの人々にとって景気のいい時代はかってなかったでしょうね。

貴族とか特権階級にとっての好景気の時代はあったでしょうけど、大衆は、みんな貧しかった時代が続いてきたと思います。

もちろん、今でも餓死している人たちがいる地域や国もありますが、貧しいとはいえ、飢えてはいても、餓死まではしない人が多いのではないかと思います。間違っていたらごめんなさい。

それと、植民地も減り、差別や抑圧も、徐々に減ってはきていると思います。

とはいえ、やはり、労働者階級は、いつの世も、楽な生活はできない人が多く、特に自然の厳しい地域や国では、悲惨な人たちも少なくなかったわけです。

生きていくためには、姥捨て山とか、間引きとか、歴史の暗部もあったわけで、それは、世界中の自然の厳しい国では見受けられたことでもありました。

殺されないまでも口減らしのために、身売りされることも多く、貧乏な家庭に生まれたら、男はヤクザ、女は淫売になるしか生きていけないといわれたこともあったようです。

階級制度も世界中で見られてきましたが、階級のもっと下という人たちもいたわけです。

昔から芸能は河原乞食から生まれたという人もいて、いろいろな事情から村に住めないから河原で生活していた一団が食べていくために歌を歌いながら物乞いをしたり、寸劇をしたりしていたところから発展したともいわれています。

世界的に、労働者階級を描いた小説とか、演劇なども生まれてき、それを労働者階級が見て応援してきました。

日本ですと、戦後、労音とか、労演とかいった組織もあって、歌ですとロシア民謡とか、フォークソングとかもよく歌われていたようですし、演劇も、労働者の苦悩を描いた作品も多く、それが、映画とともに、左翼の運動を支えてきていたようです。

芸能人には左翼が多いですよね。

労働者階級や社会的なマイノリティーを集めることで、大きな組織を作ることができるので、それをカルト宗教などが利用してきています。

批判するのは誰にもできることで、数をそろえれば力になります。

世の中をよくしていくことは大切ですが、反日活動家やおかしな宗教に利用されることだけは避けるべきだと思います。


2022年8月8日月曜日

ドラマ「拾われた男」の話

 ドラマ「拾われた男」が面白くなってきている。

出演者が、素晴らしい人たちばかりで、物語もいろいろと変化に富んでいて面白いんだけど、俳優として有名になっていくくだりとか、京都での共演女優への恋心とかから、アメリカに行っている兄が脳梗塞で倒れて、会いに行く話になって、めちゃくちゃ面白い。

アメリカでの話は、まるでアメリカのドラマ仕立てで、移民社会の話とか、不法滞在の話とか、高額医療費の話とか、いろいろとあって、興味深いわけです。

主人公の兄は、アメリカ留学中に大金を落としてしまって、大学に通うこともできなくなり、ビザも失効してしまい、不法滞在・不法就労となるわけです。

不法滞在の問題は、世界的な問題で、アメリカでも日本でもヨーロッパでも、頭の痛い問題となっています。

滞在したい側にはそれぞれの理由もあるわけですが、法律違反は法律違反で、基本は、見つかればどこの国でも強制送還です。

不法滞在や不法就労では、社会保障などを基本受けられないわけで、日本のようないい加減な国は例外です。

アメリカですと、もしも病気になったりすれば、高額医療費を支払えない人も多く、日本にいる家族にとっては、青天の霹靂状態になります。

海外への留学にしても旅行にしても、楽しいこともたくさんありますが、事件に巻き込まれたり、病気やケガをすることもあるわけで、そういったことも想定しておかないと、悲劇も生まれます。

日本では、アメリカやアジアに長期滞在したいと思っている人も多く、語学留学から、現地採用での就職などもあるわけですが、ビザや労働許可が、簡単に取れるわけでもなく、中には、不法滞在や不法就労をする人もいるわけです。

一度海外での暮らしを経験してしまうと、その非日常の心地よさに、日本で生活できなくなってしまうこともあるわけです。

外国人との恋愛なんかも、言葉の違いや習慣の違いも、最初は新鮮で、相手が魅力的に見えたりもするわけです。

それで、滞在が長くなる人も少なくありません。

非日常が日常に変わり、考え方や習慣の違いから言葉の問題なども、徐々に、頭の痛い問題を生むようになることもありますが、元の独身の気軽さに戻れない人もいるわけです。

海外ではいろいろな問題に悩むこともありますが、大きいのは病気やケガなどの医療関係と、高齢化問題でしょうね。

日本だって、これからどうなっていくのはか不安ですが、とりあえず、現在ならば、まだまだ外国と比べると社会保障は素晴らしく、病気になったりすると、日本に帰りたくなる人も多いのではないかと思います。

海外で高齢になる不安もなかなかのものです。

海外生活は、隣の芝生に見えるかもしれませんが、最低でも、合法的に滞在しないと、問題は多いです。

そんなことを仲野太賀さんと草彅剛さんの演じるアメリカでの離れ離れだった兄弟の話で、いろいろと考えさせられました。


2022年8月6日土曜日

ドラマ「雪女と蟹を食う」の話

 ドラマ「雪女と蟹を食う」を見ていると、いろいろな過去を思い出します。

私は、ヨーロッパにいたころは、「KITA」とか「KAZE」と呼ばれていましたので、ドラマの主人公の「北」に親しみを感じてしまいます。

5話で出てきた野宿の話で思い出したのは、ヨーロッパでした野宿のことです。

1回目は、スウェーデンからドイツに向かうためにストックホルムから南に50キロほど離れたところにある港Nynäshamnに行ったときに、ドイツに渡るフェリーがその日にはなくて、翌日だとわかり、港の近くの岩山で野宿をしました。

もう夏だったので、夜は遅くまで明るかったし、朝は早くから日が昇り、ウトウトしただけでした。

朝からカモメがうるさいし、おなかが減って、まいりました。

そして、ドイツに渡った北ドイツのリューベックでユースホステルが満員で泊まれなかったので、近くの木陰で再び野宿をしました。

ホテルの名前がわからず、道に迷い、お腹を空かせていた主人公に声をかけて、食事をおごった謎の女性では、旅の途中で、お世話になった人たちのことや、名前を知らないで親しくなった女性のことなども思い出しました。

謎の女性が、自分が困っていた時に親切にしてくれた人が言った言葉、「お礼はいいから、だれか困っている人を見たら助けてあげてください」というのも、私は、常に心掛けていることの一つです。

以前、ドイツでは、いろいろな人に親切にしてもらったからと、タイで困っているドイツ人を居候させたことがありましたが、悪い男ではなかったけど、部屋にある私がコレクションしていたお酒をすべて飲んでしまい、許可も取らずに失礼な奴と出て行ってもらいました。

旅は、非日常ですから、いろいろなことが起きます。

2022年8月3日水曜日

日常生活の話

 「踊る!さんま御殿」に出演した東京オリンピック柔道の金メダリスト高藤直寿さんが、趣味のオンラインゲームにはまっている話をしていました。

とにかく練習後の疲れたときでも深夜まではまっていて、興奮して時々大声を出し、奥様から叱られているそうです。

めちゃくちゃはまっていても、実力はそんなでもなく、柔道でもゲームでも、苦手なことや嫌な練習を繰り返し毎日することが大切だと持論を語っていました。

そうなんですよね、勉強でも運動でも遊びでも、なんでも繰り返すことが大切だと思います。

最近は、スポーツジムで体を鍛えている人たちも多くて、理にかなった練習法で、ものすごい筋肉になっている人たちもいますが、見せる筋肉と使える筋肉は違うと思います。

ボクシングなどの格闘技の選手には、ものすごい筋肉の選手もいますが、実際の競技で素早くて破壊力を生む筋肉でないと、あんまり意味がないと思います。

昔の大相撲の力士なんかですと、子供のころから船の上の作業で足腰を鍛えたとか、米俵を担いだり、農作業で体を鍛えたという話もありました。

日常生活の中で体を鍛えるのは、偏りもあって、見栄えのいい筋肉につながらないかもしれませんが、鍛えられることに間違いはありません。とにかく、毎日のように同じようなことを繰り返すわけですから。

日本人の暮らしの中で、畳の生活というのは、とにかく立ったり座ったりの反復がすごくて、言ってみれば、一日中スクワットをしているようなものです。

ランドセルを背負っての登下校も、1キロも歩いたら、かなり足腰が鍛えられます。

都会など、通勤時の階段の上り下りなども、すごい運動です。

毎日毎日、布団の上げ下げとか同じことをするのはうんざりですから、ベッドのある生活が快適ですが、ベッドの暮らしや車の暮らしをするから、お金を払ってスポーツジムで体を鍛えなければならないともいえそうです。

毎日の家事も、見方によっては素晴らしいトレーニングです。

2022年8月1日月曜日

日本人の話

現代の畳は、部屋に敷き詰められていますが、本来の畳は、莚(むしろ)・茣蓙(ござ)・菰(こも)などの薄い敷物の総称だったそうです。

だから、使わないときには丸めたり、折り畳んだりして部屋の隅に片付けていたそうです。

この使わないときには畳んだり丸めたり、コンパクトにするというのが、日本人の得意な分野ですよね。

日本の昔ながらの家には押し入れがあって、普段使わないものをしまうだけでなく、毎朝、布団をたたんで押し入れに入れて、部屋を広く使えるようにしています。

和室で使うテーブルも足を折り畳んで、部屋の隅に立てかけておいて、必要な時に取り出してテーブルとして使うものもあります。

座布団も重ねてしまっておくことができるし、座椅子もたためますし、コタツも使わないときには床下に収納します。

日本人は、モノを小型化するのも得意ですが、モノを折り畳むのも得意です。

スペースを有効に使う知恵も持っています。

日本家屋は、ふすまを取り払うと広く使えて、冠婚葬祭などに使えるようになっています。

日本人は、常に創意工夫をして、無駄を省き、自然との共存共栄を考えてきています。

もう一つ、日本人は、自分専用の食器を使います。

私が知らないだけかもしれませんが、自分用の箸を使う民族は他にいないのではないかと思います。

お茶碗も湯飲みも自分専用があります。

これを子供の時から当たり前のようにしているから、所有物の観念がしっかりしています。

モノに所有者の名前を子供の時から書きます。

他人のものと自分のモノをいい加減に混同して使うようなことはしません。

日本の習慣や価値観のすべてが正しいとか優れているとは思いませんが、素晴らしいものが多いのは間違いないことです。

素晴らしいものを捨て、くだらないものに走るのは愚かだと思います。

海を渡る話

 日本列島はどうやって誕生したのかとか、日本人はどこからやってきたのかといった話はいつの時代にも人々を魅了します。

ユーラシア大陸の東の果ての沿岸部分が、徐々に大陸から離れて行って、日本列島や日本海ができたといわれています。

だから一部の生物は、その時から日本列島で生きていたといわれていますが、人間は、いつ頃どこから来たのかは、いまだにいろいろな説があって、結論は出ていませんが、シベリア方面からと中国や朝鮮半島からと南の島々からといわれていますよね。

時々テレビでも特集されますが、台湾から沖縄諸島にどうやって人々が渡ってきたのかという考証があって、木や草で作った小舟で海を渡ったのではないかといわれています。

潮の流れを利用したり、風を利用したり、いろいろと知恵を絞ったのでしょうね。

世界中で、巨大な権力を持つ国から、敗者となって逃げていく人々は半島に集まるといわれています。それも追手から逃れるように山岳地帯で暮らす人たちもいます。

そんな人たちの中には、海の向こうに島があることを知る人も出てきて、そこに行けば幸せに暮らせるかもしれないと夢見るのではないでしょうか。

ただ海があるから簡単には渡っていけません。

どうやったら海を渡れるのかを考え、試行錯誤し、計画し、準備をする、好奇心と体力を持つ人たちが、海を渡っては失敗し、それでもあきらめず、いつか海を渡って目的の島にたどり着いたのでしょうね。

徐福伝説とかイスラエルの失われた10支族伝説とか海を渡って、日本に来た人たちの話もいろいろとあります。

今と違って、海を渡るのは命がけですし、渡ってしまったら帰ることもできないわけで、覚悟を持って新天地を目指した人たちですから、やはり能力も高く、それをわれわれ日本人は受け継いでいるのだと思います。

中国や朝鮮半島やシベリアから、海を渡って日本に来た人たちも日本に同化して、今の日本を作ってきているわけで、最近の外国人とはかなり違っていると思います。

今はDNAや遺伝子の研究も進み、どんどんいろいろなことがわかってきています。

嘘は必ずバレますから、研究を妨害する人もいるそうです。

ヒッチハイクの話

行きたいところまで、知らない人の車にただで乗せてもらうのがヒッチハイクです。

私が生まれて初めてヒッチハイクをしたのが、北ドイツのハンブルグでした。

スウェーデンから客船で北ドイツのリューベックにわたり、そこから大都市のハンブルグに行って、ハンブルグのユースホステルで、いろいろ話を聞いて、生まれて初めてのヒッチハイクに挑戦しました。

とにかく距離を稼ぐためには、日本なら高速道路の入り口とか幹線道路で車を捕まえることになりますが、ドイツの場合には、アウトバーンの入り口に向かいました。

毎朝、ユースホステルからヒッチで移動しようとする若者たちがいるので、彼らについてバスに乗ったり、歩いたりして、ヒッチハイカーたちに有名なポイントに行きます。

ポイントについたら、順番があるわけで、早く着いた人から車を止めやすいところに陣取り、あとは順番に並びます。

私の場合には、とりあえず南に向かうということで、紙に500キロほど離れた大都市フランクフルトと書いて、それを掲げて車を待つわけですが、車を運転する人にとっては、選ぶ権利があるわけで、まあ、普通は、一人旅か二人旅の女性優先となります。

自分より後ろに並んでいる女性の方が簡単に車に乗ることなどは日常茶飯事だと徐々に悟ります。

男性を乗せるのには乗せる側にもリスクがあるわけで、男性二人とか男性三人だと、もうほとんど不可能に近いわけです。

車が自分の前に止まってくれたからといって、目的地まで行けるとは限らず、どこどこまで行くんだけど、それでもいいかといったこともしばしばです。

私の場合には、車には乗せてもらえたのですが、フランクフルトではなく、ブレーメン方面に走り、なんと、オスナブリュック付近のアウトバーンで、突然下ろされてしまいました。

ひどい話で、アウトバーンの上を歩くことは許されないわけしたけど、歩くしかないから、歩いていたら、上空のヘリコプターから何か叫ばれて、たぶん、下に降りろと言ったことだと解釈し、下に降りられるところを探して、アウトバーンから離れました。

それで、まわりに何もない田舎道をどこかにバス停でもないものかと歩きましたが、どこまで行っても何もないし、とにかく背負っているリュックは重いし、おなかも減ったし、もう疲れ切って、道路わきに座ってしまいました。

それで、少し元気を取り戻したらまた歩くといったことを10キロ以上やって、やっと家があるところまで来たので、そこで座っていたら、おばあさんが近づいてきて、家に誘ってくれました。

こういった時に、人相がいいのは得ですね。

おばあさんの家に入れてもらって、温かいお茶とお菓子をご馳走になり、おばあさんは、戦争に行っていたと思われるおじいさんの写真を見せてくれました。

ドイツ語はまださっぱり分からなかったので片言の英語での会話でした。このおばあさんの親切もドイツが大好きになった理由の一つです。

それで、ヒッチハイクはこりごりで、その後は、列車を使うことになりました。

オスナブリュックは70年代でもすでに駅前にはトルコ人がたむろしているようなちょっと不気味な町だったので、ミュンスターに行って、そこで一泊しました。

その次にヒッチをしたのは、だいぶ後になってからの翌年、ロンドンからドーバーまででした。この時は大成功でした。

当時から、男性でも一人でヒッチハイクをすることは、決して安全ではなく、交通事故だけでなく、事件に巻き込まれたりする可能性もあり、特に性犯罪には気を付けたほうがいいといわれていました。

でも、いろいろな人とお友達になることもあるし、うまくいけば、いい思い出になりますが、時代とともに、禁止されているところも増えているそうです。



リュックサックの話

 60年代にジャックスというフォークバンドがありました。


このメンバーに谷野さんがいて、彼と友人たちがスウェーデンでの体験を面白おかしく話してくれました。

当時のスウェーデンといえば金髪女性がフリーセックスというイメージでしたから、それまでは、ビートルズの影響でインドに行ってヨガをとか思っていたのに、そうだ、北欧に行ってからインドに行こうとなったわけです。

その前から五木寛之の小説などで、ヨーロッパ放浪という言葉も魅力的で、いろいろな本を読んで、ナホトカ航路で日本を離れ、シベリア経由でヨーロッパに行く計画を立てました。

旅に出るには、準備が必要で、田舎の無知な若者ですから、まずは、リュックサックを買いました。

当時は、まだパックパッカーという言葉もなくて、縦長で腰ベルトのついたかっこいいリュックなど見たこともなく、リュックといえば、登山部の人たちが背負っていた横長でキャンパス地のキスリングといわれていたリュックでしたので、それを購入しました。

そして、いろいろと本の中から必要と思われるものをピックアップして、徐々に準備を進めていったわけです。

ヒッチハイクをするのが旅の定石と思い込んでいたので、寝袋も買ったし、衣類も寒さに備えていろいろと揃えました。

今から思うと、いろいろな意味で時代遅れだったようで、キスリングのリュックは、重いし、横長で背負った状態では狭いところを通れないので、カニ族といわれたように横歩きをしたり、両手に持って歩くところもあったりして、とにかく疲れました。

欧米人などは、みんな縦長のバックパックを使っていて快適そうでした。パックパックには30センチくらいの国旗を付けている人たちも多かったです。

とにかく、最初の目的地はスウェーデンのストックホルムで、そこに滞在していた谷野さんを訪ねたわけですが、日本では、「少年たちよ、スウェーデンに行くしかないぞ。」と酔っぱらっていろいろと武勇伝を話を聞かせてくれたのに、いざ、ストックホルムで再開したときには、「そんなリュックを背負って山にでも登りに来たの」と冷たくあしらわれました。

そうなんですよね。すでにヒッチハイクで旅する時代から、目的をもって、快適なところに滞在する人たちも増えて、時代は変わり始めていたわけです。

でも、同郷で、谷野さんと一緒に「休みの国」というバンドをやっていた高橋照幸さんが、ストックホルムではいろいろと親切に面倒を見てくださり、何とかくじけないで、旅を続けることもできました。

リュックの中にはどこに行っても自炊ができるようにと20センチほどのフライパンを持ち歩いていました。