2017年11月6日月曜日

ベトナムの民話から 「蚊が生まれたワケ」


 昔々、国中で一番美しい奥さんを持った男がいました。

 男は、美しい奥さんを喜ばせる為でしたら、何でも喜んでしました。しかし、彼の奥さんは、なかなか喜ばない性格の女性でした。

 彼女が興味を持っているのは、自分をより美しく見せる為の、高価な宝石であり、着るものでした。

 男は、けして貧乏ではなく、小作人をもち、快適な家を持っていましたが、この女性は、満足というものを知らない女性でした。

 ある日、彼女は、よくない風邪をひいて寝込んでしまいました。

 男が、一生懸命に看病したかいもなく、この美しい女性は、死んでしまいました。

 男は、嘆き悲しんで、亡骸を荼毘にふすことを拒みました。男は、夜も寝ないで、亡骸を抱いて、泣き続けました。男が、考えることは、どうしたら、彼女を生き返らせる事が出来るかということだけでした。

 朝が来た時、男は、一つの決心をしました。彼女を生き返らせる万能薬を持っている神様を探しに行くことでした。

 彼は、大急ぎで、彼の土地と家を処分して、小さな船を手に入れ、積めるだけの食糧を買い込みました。そして、彼女の亡骸を、大事にゴザで包んで、船に乗せ、直ちに神様を求めて、船を出しました。

 川を何日も掛かって下り、やっと海に出ました。彼は、海岸にいる人々に、どこに行ったら、死人を生き返らせる万能薬を持っている神様に会えるのか教えてくれと頼みましたが、みんな知りませんというばかりでした。

 彼は、あてもなく船を進めました。

 あるひどい霧の夜、彼の船は、座礁してしまい、進むことが出来なくなってしまいました。

 彼は、霧が晴れるのをじっと待ちました。霧が晴れると、そこは、どこか知らない、まったく人気のない海岸でした。遠くには、頂上が、雲に包まれて見えなくなっているほどの高い山が見えました。

 男は、昔から、神様は、人気のない高い山の頂にある、洞穴の中にいるといわれているのを思い出して、何とか、船を岸までつけることにしました。

 やっとの思いで、船を岸につけ、近くの木に船をロープで結んだ男は、急いで、高い山の頂を目指して、走りはじめました。

 山道は、鋭く尖った岩が、ころがっており、急な坂道を登ることは、大変なことで、男の足には、マメができ、やがてそれが破れて、血だらけになりました。

 しかし男は、頂上を目指して、休む時間を惜しんで、走り続けました。

 頂に近づいてくると、道も広くなって、傾斜も緩やかになって来ました。

 そして、ついに男は、頂にある洞窟を見つけたのです。

 彼は、最後の力を振り絞って、洞窟の狭い入り口に頭から、這って入っていきましたが、入った瞬間気を失ってしまいました。

 男が、気がついた時に、男の前には、一人の白髪で、真っ白なあごひげをはやした老人が、座っていました。

 男は、ぼんやりした頭でも、この老人が、普通の老人ではないことがわかりました。おそらく、この老人こそ、捜し求めている、神様に違いないと思いました。

 男は、老人の膝元に這い寄って、妻のこと、今までのことを話しはじめました。

 自分が、いかに彼女を愛していたか、そして、彼女が、死んでしまってから、いかに彼が悲しみ、彼女を生き返らせてくれるだろう神様を求めて、探し回ったかを説明しました。

 老人は、彼を優しい目で見つめながら、首を横に振りながら静かに話しはじめました。

 「お前が、いかに彼女を愛していたか、また、大変な苦労をしてここまで来たことから、お前が勇敢な男であることはよく分かるが、お前の死んだ女房は、自分勝手で、わがままな女だ。いいかい、お前の女房は、もう死んでしまって、この世にはいないのだよ。この現実を素直に受け入れて、過ぎ去ったことは、忘れて、お前自身の新しい人生を生きることだ。」

 しかし、男は、泣きながら、何度も何度も、神様に彼女を生き返らせてくださいとお願いしました。「彼女のいない人生なんて、自分には、何の意味もありません。どうかわたしの願いをかなえてください。」

 老人は、もう一度男に話し掛けました。「よく考えてみることだ。お前の女房が生き返った後、お前が、もっともっと、苦しむことになるのだよ。」

 男は、「たとえ、彼女が生き返って、わたしに対する気持ちを変えたにしても、もう二度と神様にお願いすることはありませんから、どうぞ、彼女を生き返らせてください。」と頭を下げました。

 老人は、ため息をつきながら、「本当にお前は、かわいそうな男だ。仕方がないからお前の望みをかなえてやることにしよう。船に戻って、お前の右手の人差し指を、針で刺して、お前の血を三滴、彼女の口に含ませなさい。そうすれば、お前の女房は、生き返るはずだ。ただし、これだけは覚えておきなさい。もしも、お前の女房が、お前に対して不誠実で、お前を苦しめる時が来たら、同じように彼女の右手の人差し指に針を刺して、血を三滴返してもらいなさい。」といって、姿を消してしまいました。

 男は、大急ぎで、洞窟から抜け出して、ふもとを目指して、全力で走り出しました。もう、疲れも足の痛みも感じません。足から血を流しながら、走り続けました。

 船に辿り着いて、男は、老人にいわれたように、右手の人差し指を針で刺して、自分の血を三滴、彼女の口に含ませました。

 するとどうでしょう、老人のいったように、愛しい彼女が生き返ったではありませんか。生き返っただけではなく、前よりも一層美しくなっていました。

 彼の喜びは、たとえようもありませんでした。男は、彼女に、今までのことを説明しました。しかし、彼女は、何の反応も示しませんでした。そればかりか、男が、土地も家も売り払ってしまったことを知った彼女は、大変怒りました。

 確かに、今では、たった一艘の小船があるだけですが、彼女は、生き返ったことに対する喜びよりも、何の財産もない貧しい夫とこれから一緒に暮らさなければならないことを嘆きました。

 住む家もなく、船での生活をすることになった二人は、生きる為に、村人から頼まれたものを、目的の場所まで運ぶ仕事をはじめました。

 その日も、男は、頼まれた荷物を届ける為に、港に碇を下ろして、荷物を届けに船を出て行きました。残された女房は、することもなく、ぼんやりとまわりの景色を眺めていました。丁度その時、かなりのお金持ちの商人の持ち物と思われる、たいそう立派なジャンク船が入って来て、隣に碇を下ろしました。

 女性は、美しいジャンク船を眺めて、「わたしも、こんな船で生活が出来たとしたら、どんなに素晴らしいことかしら。」と心の中で考えました。

 ジャンク船の持ち主の商人は、偶然に窓からその女性を見ていました。

 女性のあまりの美しさに、商人は一目ぼれをしました。

 女性が一人でいることを確かめた商人は、急いでデッキにあがって、女性に呼びかけました。

 呼びかけられた女性は、呼びかけて来た男の服装から、美しいジャンク船の持ち主に違いないと見抜いて、恥じらいも礼儀も忘れて、優しい声で呼び掛けに応えました。

 しばらく話しているうちに、商人が、自分の船を案内したいので、こちらに来ませんかと誘いました。

 彼女は、何のためらいもなく誘いを受けました。船は、外側だけでなく、細かな所まで、お金の掛かった素晴らしい船でした。

 商人に案内されて、商人の船室を見た女性は、豪華な家具や美しいカーテンを見て、ため息をつきました。「今の惨めな生活から、このような豪華な船の生活に変わることが出来たとしたら、どんなに素晴らしいことでしょう。」と、心の中で考えました。

 そこで、彼女は、自分のことを、夫に先立たれた、誰の世話にもなっていない、一人ぼっちの哀れな女性だと商人に自己紹介をしました。

 それを聞いて、商人は、その場で結婚を申し込みました。女性は、神様が予言したように自分の夫のことなど忘れて、もちろん喜んでと答えました。お金持ちの商人は、女性が心変わりをしないうちにと、急いで碇を上げて、港を出て行きました。

 そんな事を知らない男は、船に帰って来て、誰もいないことに驚いて、まわりの船の人に、自分の女房が、どこに行ったのかを尋ねてまわりました。

 まわりの船の人から、大きなジャンク船に乗ったお金持ちの商人について行ったことを知った男は、自分の運命を嘆きました。

 その時になって、あの時、神様が何のことをいっていたのかを理解しました。

 男は、神様の言葉にしたがって、この女性を探し出して、自分の血を返してもらおうと決心しました。

 男は、彼女を探して、いろいろな港に立ち寄りながら生活をしましたが、彼女の乗っていったジャンク船を見つけ出すことは出来ませんでした。でも男は、諦めずに、彼女を探し続けました。

 一年後、男が、彼女が彼から去っていった港に入ってゆくと、そこに大きなジャンク船がとまっているのを見つけ、その横に船をとめました。

 下から、上を眺めると、丁度彼から去っていった懐かしい彼の女房の声がして来ました。

 デッキで美しい絹の着物を着て、たくさんの宝石を身につけた彼女が、ちょうど出かけてゆく、やはり高価そうな着物を着た商人にお別れをしている所が見えました。

 商人が出かけていったのを見届けた男は、誰にも見付からないように、ジャンク船に乗り移りました。

 そして、男の女房がいる部屋を探して歩きました。

 自分の船室の鏡台の前に座っている彼女を見つけた男は、彼女の部屋に入っていって、どうして自分を裏切って出ていったのかと冷静に話し掛けました。

 男を裏切った女性は、男のみすぼらしい服装と貧相な顔を軽蔑した目で眺めながら、ただ笑っているだけでした。

 「わたしは、惨めな小船での生活を捨てて、この豪華な船の生活の乗り移ったことを、少しも後悔していないわ。出ていってちょうだい。さもないと大声を出して、助けを呼ぶわよ。」

 「お前の考え方は、よく分かった。お前の希望通りに出てゆくから、その前に一つだけ話を聞いてくれ。お前が一度死んだ時に、俺は、自分の血を三滴、お前にやった話をしたことを覚えているだろう。その三滴の血を今すぐ返してくれたら、お前の前から、永遠に消えてやる。」

 「あんたの希望が、たったそれだけのことだったら、簡単なことだわ。」と、彼女は、自分のヘアーピンで、右手の人差し指を刺して、流れて来た血を彼差し出した手の平に返しました。

 彼女の手から滴り落ちた血が、男の手の平に届くと同時に、彼女の顔色が青白くなり、彼女は気を失って、倒れてしまい、そのまま死んでしまいました。

 しかし、彼女の魂は、行き先もないまま、何とか再び生き返ろうとして人間の血を求めて、うろつきまわることになりました。

 その姿を見た、神様が、彼女の魂に、蚊の体を与えたので、それから、現在のように、蚊は、人間の血を求めて飛び回り、何とか生き返ることが出来ないものかと、今日も人間の血を吸っているのです。


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