2017年12月26日火曜日

断捨離

wikiによると断捨離とは、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を、ヨーガの行法である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)を応用

断:入ってくるいらない物を断つ。
捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。
離:物への執着から離れる。

自分のまわりにある不要なモノを捨て、快適に暮らすことらしい。

一般論ですが、歳をとると、もったいないとモノをため込む人が増える傾向があるようです。いい意味では、ものの価値を知っていて、どんなものでも、いつか役に立つだろうと考えるのでしょうね。

もちろん、若い頃から、自分の好きなものをためるコレクターもいますが、だいたい、結婚後、奥さんにいろいろと捨てられることが多いようです。

捨てるのが好きな人は、自分のいる空間を広々とさせておきたいとか、必要なものは、最小限に留め、何かが必要になったら、必要な時に買えばいいと考えるようです。

住居は、限られた空間ですから、ものを無限に増やすことは出来ないわけで、要らないものを見つけて捨てていかないと、それこそゴミ屋敷になってしまいます。

モノへの執着など、執着心が、人を不幸にするというのは、仏教の考えのようです。そういったことが基本で、断捨離ということも支持されてきているのでしょうね。

しかし、歴史を振り返ってみると、国宝とか歴史的建造物などは、ある意味、執着心を持つ人たちによって、保存され、今日まで存在してきたともいえるのではないかと思います。

例えば、アフガニスタンにあるバーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群が、イスラム過激派のタリバンによって、爆破破壊されたことを考えても、破壊されてしまえば、もう、歴史的な遺跡は存在しません。

中国の文化大革命なんかでも、多くの歴史的な資料や宝物が焼かれたり、破壊されてしまいました。

そればかりではなく、民族の浄化という大虐殺まで起きてしまいました。

カンボジアのポルポト政権でもそうでしたが、文化とか教養とかを否定する過激な考えを持つ人も生まれてしまいます。

モノだけでなく、置き場所をとらない文化や様式や教養までも否定されるのは、恐ろしいですね。

1人にとって要らないモノでも、他の人には重要なモノであることもあります。宗教戦争なんかもそうですし、夫婦間でも親子間でも、価値観の違いが原因で、喧嘩が起きます。

社会とか国家となれば、なおさらで、考え方によっての価値が違います。古いものを捨てることは、たやすいことですが、一度捨ててしまうと、もう、なかなか元には戻れません。

中国は、文化大革命で、古書などを燃やしてしまったので、中国の歴史を学ぶためには、もう、日本に残されている書物から学ぶしかないこともあるそうです。

理想は、執着などなく、シンプルな暮らしですが、現実的には、あれを捨てなければよかったという後悔もよくあることです。

1冊の本や1枚の写真から、大切な人や事柄を思い出すこともあります。モノが壊れたとき、あれをとっておけば直せたになどと思うこともあります。

お金に対する執着も、行きすぎたら汚いですが、あんまり執着しないでいると、惨めな老後になってしまうこともあるし、要らないモノは捨てていくということが行きすぎたら、ヨボヨボの老人も要らないから捨てるという考えになるかもしれませんよね。

家族や社会から捨てられるのなら、自らその前に命を絶った方がいいという考えも生まれるでしょうね。

世界では、今、消極的な安楽死だけでなく、積極的な安楽死も、議論されてきています。スイスでは、外国人でも、基準を満たせば、安楽死を実施してもらえるのだそうですが、重い問題ですね。

考えたくない問題でも、考えざるを得ない問題のひとつです。


2017年12月25日月曜日

スパゲティー・ミートソース

まずは、今日のチャチャー



今日は、息子が、パーティーに参加するとかで、スパゲティー・ミートソースを作ってくれとのリクエスト。

子供の頃、姉が作るのを見よう見まねで覚え、その後、いろいろとアレンジしてきた、わたしの得意なレシピのひとつ。

材料をすべてみじん切りにして、炒めて、味付けするだけ。





ただ、10人ちょっとというので、そんな大量に作ったこともないし、全部おおざっぱでしたが、でも、「わたし、失敗しないんで」です。



きっと喜んでもらえるでことでしょう。



GW-8900A

この5年ほど、こちらの腕時計を使っています。方位とか温度とか高度とか、いろいろと計れるので便利です。最近は、スマホで、もっといろいろと計れるから、時計を身につける機会は減っています。

スマホは、血圧から、心拍数まで測れます。視力とか聴力も測れるから驚きです。



最近、Gショックが再び注目されてきたということで、古い時計をチェックしたら、こちらがでてきました。


でてきたときには、何も表示されなくて、電池切れだと思って、電池を替えてもらおうかと思いましたが、店の人から、この機種は、ソーラ電池なので、交換する前に、一度、太陽光で発電させてみたらというアドバイスを受けました。

それで、しばらく光の当たるところに置いていたら、表示が見えるようになりましたが、まだ電池量が足りないようで、日付の変更とかは出来ないままでした。

ですから、丸一日ですから、丸一日,太陽光の下に置いておいたら、電池の残量表示がMになり、日付や時刻の変更が出来、全く問題なく動いています。

すごいですね。5年以上経っていても、使えるんですからね。こんなに長く使えたら、資本主義としては、失敗作かとも思うのですが、でも、人は、デザイン性とか、新機能とかに弱いですから、使えても、新しいモノを買う人が多いのでしょうね。

バブルの頃は、Swatchも流行りました。幾つかあったはずですが、どこかに行ってしまったようで、見付かりません。


2017年12月24日日曜日

トライ、そしてアレンジ

私たちは、今、こうして生活をしているのは、過去のご先祖さまたちの好奇心や工夫のたまものです。

最近は、もしかしたら、人類は、アフリカ単一起源説ではなくて多地域進化説の可能性も高まっているようです。

現代人のDNAには、ネアンデルタール人の痕跡もあるそうで、もしかしたら、いろいろな種との混血があったのかもしれません。

日本人も縄文人と弥生人との混血と言われていますが、もっともっと多くの種が入っているのではないかと思います。

とにかく、ご先祖さまたちに好奇心がなければ、ナマコやタコを食べていないでしょうし、船も飛行機もロケットも生まれなかったでしょう。

好奇心はとても大切だと思うのですが、好奇心を持ったが故に失敗をすることも多々あります。あんな事しなければよかったと後悔します。

例えば、毎年のように、中学生くらいの若者が、黒色火薬を自作して、大怪我をしますし、最近では、コンピューターウィルスを自作して、補導されたりもします。

わたしは、百貨店とかスーパーとか古着屋とか中古品店とかホームセンターなどを見て歩くのが趣味のひとつです。いろいろなモノがあって、世の中広いなあと思うわけです。

新しいモノを見つけると、買って試したくなります。ですから、無駄にお金を使うこともありますが、でも、役に立つ発見も多いです。

すぐには役に立たなくても、何かに役に立たないかなあと工夫するのも楽しいことです。好奇心だけでなく、工夫が伴えば、素晴らしいです。

お料理なんか、工夫のたまものですよね。

4~5年前に帰国した時に、百貨店の地下で発酵バターを見つけました。お値段が高いので、買うまでにそうとうに悩みましたが、そこにあった中で一番興味深かったカルピス特選バターを購入しました。

トーストに塗って食べた感想は、お値段に見合うほどではないじゃんでした。バンコクに持って帰らなかったので、ケーキや料理に使ってはいませんが、ケーキや料理に使ったら、おいしかったかも。

この間、「ホンマでっか」を見ていたら、さんまが使っているフランスのバターが登場しました。

有名なバターだそうですが、わたしは知りませんでした。で、気になって、バンコクでも手に入るか調べて、ヴィラスーパーに売っているらしいことがわかり、さっそく手に入れました。


エシレ 有塩 バター バケツ入り 250グラムで300バーツ(約1000円)普段食べているバターの2倍ですが、日本よりは、かなり安いようです。

トーストだけでなく、料理にも使ってみるつもりです。無塩の方がよかったかな。

昨日、ネットで、トイレットペーパーの芯を通して写真を撮ると、お月様になるという記事があったので試してみました。



トイレットペーパーの芯にスマホやデジカメのレンズをくっつけて、被写体を撮影するだけです。ピントが甘くなりますが、でも、おもしろいと思います。

好奇心は、人間だけではなくて、飼っているネコたちも、新しいモノが大好きです。

買い物袋なんか、みんなが寄ってきて、匂いをかいだり触ったり、大変な騒ぎです。箱なんか、もっと好きです。

ネコたちも、好奇心を働かせながら、今日まで生き抜いてきているわけですね。


2017年12月23日土曜日

体罰について

学校でも職場でもいじめ問題が時々話題になりますが、体罰についても、いろいろな考え方がありますね。

わたしの世代では、体罰は、ごく当たり前の話で、小学校だと、先生がチョークを投げつけたり、腕をつねられたりしたし、中学では、わたしは、やられたことはなかったですが、素手でビンタする教師だけでなく、スリッパでビンタしたり、竹刀で頭を叩いたりする教師までいました。

スリッパや竹刀は、当時でも、やはりやりすぎだと思いました。

正座は、あらゆる機会にやらせられました。職員室の机の上でもやらされたことがありました。

子供の目から見て、これはやられてもしかたがないと思う時と、それはやり過ぎだろうし、先生の癇癪でやっているのではと思うこともありました。

こんな記事を見つけました。

事前に親に体罰の許可をもらう「合理的スパルタ塾」の高実績

学習塾の場合には、気に入らなければ行かなければいいわけですし、選択肢もいろいろとあるはずですから、こういった塾があってもいいと思います。

親にあらかじめ「体罰NG」「シッペまでならOK」「ビンタまでOK」から1つを選んでもらい、それに沿った指導をするんだそうです。

わたしは、個人的には、ビンタは反対です。ビンタは、日馬富士暴行事件のように、時に耳に入って、鼓膜が破れたりする事故もあるし、顔は、自尊心を傷つけると思います。

わたしごとですが、わたしは、どうしようもない悪ガキで、小学校の時の通信簿は、評価が1から5までありました。毎日、無駄話や宿題をやってこないことで𠮟られて、罰を受けていました。

体罰はありませんでしたが、一度など、もう学校に来なくていいと、学校から追い出されました。

𠮟られたときには、𠮟られてもしかたがない理由はあるモノです。どうしようもない悪ガキや、口で説明してもわからない子供はいるわけです。

そんなわたしが、中学生になる少し前から学習塾に通い始め、その塾で、それこそ、体罰教育を受け、成績が、誰もが驚くほどよくなりました。

その学習塾は、英語と数学だけを教える塾でしたが、体罰としては、「シッペ」とお尻へのムチでした。ムチは痛かった。ミミズ腫れで、熱いお風呂には入れませんでした。

それで、ムチをされたくないから勉強したわけです。

子供は、子供なりに、相手を見ていて、この人なら大丈夫とか、この人は危険だと、見分けています。やはり、子供になめられるような教師は、教師失格だと思います。

気分で体罰をするような教師は、軽蔑されます。真剣に指導してくれているのなら、体罰も我慢できます。気をつければ、体罰をされないわけですしね。

怪我なんかでもそうなんですが、子供の頃にナイフで怪我をしたり、木登りで木から落ちたりすれば、痛みを体感します。そうした経験が、他人に危害を与えてはいけないというブレーキにもなると思います。

勉強は、失敗しても怪我したり死んだりしませんが、仕事や運動は、約束事を守らないと、時には命にかかわることもあるわけで、軍隊なんかは、体罰も必要悪だと思います。

たった一人の不注意から部隊全員が死んでしまう可能性だってあります。

スポーツでも、油断からの怪我は多いです。

緊張感を持つことは、大切なことです。緊張感を持たせるための体罰は、わたしは、許容範囲です。

一度覚えたことは、死ぬまで忘れないってこともたくさんあります。無理矢理体罰が怖いからと勉強したことでも、ずっと覚えていられるのなら、儲けものです。

人から強制されなくても出来る優等生もいるわけですが、厳しく指導されて伸びる子もいるわけです。もちろん、厳しく指導されたがゆえ、勉強嫌いになったり、非行に走る子もいると思います。

指導者は、その違いをしっかり見極めることの出来る目を持っていないとダメですよね。


2017年12月19日火曜日

演劇

昭和の地方都市には、労演といわれる演劇鑑賞の機会がありました。

今から考えれば、労音と同じで、何か、労働組合とか、政治色もあったような気もしますが、当時は、生で演劇を見る事ができる数少ない機会でした。

幼なじみに誘われて見に行った文学座とか劇団民藝とかの生の演劇を見た事は、本当に素晴らしい経験でした。

大道具のお手伝いで、舞台の下準備を経験させてもらったこともありました。

その後、劇団もいろいろと出来て、小劇場とか、アングラとかいわれる劇団もでてきて、今、テレビなどで活躍する大物俳優さんたちも、そうした劇団の出身者たちが多いです。

個人的には、なんか暗くて難しい左翼っぽい劇よりも、小沢昭一さんと加藤武さんと小林昭二さんがそれぞれ独演した俳優小劇場の芝居が好きでした。

今でもその傾向があると思うのですが、演劇界や芸術家には、左翼が多いように思います。貧しい下積み生活を経験している人がほとんどですし、革新的な感性がないと新しい魅力的なモノを生み出せないこともあると思います。

それから、天井桟敷とか状況劇場とか、黒テントとかも見ましたが、どれもエネルギーに溢れて、素晴らしかったです。

海外で暮らし始めてからは、ほとんど演劇は見ていません。

ビデオやDVDが普及してからは、映画も見なくなってしまっています。ネットの普及で、本も読まなくなってしまったし、ますます脳みそのシワも減ってきていることでしょう。

音楽でもそうなんですが、生というのは、素晴らしいことはわかっています。でも、お手軽さがいいと思ってしまうのは、老化現象でしょうね。


2017年12月16日土曜日

ミャンマーの民話から 白い子象


 昔々、森の中に真っ白な子象を持った母親の象が住んでいました。

 母親は、真っ白な子象を産んだことを非常に誇りを持っていました。母親は、普通の灰色の象でしたので、真っ白な子象を深く愛して、いつも側から離れませんでした。


 子象は、だんだんと成長して大きくなってゆきました。そして、自分のことは自分で出来るようになりました。

 ある日、母親は、この子象の将来のことを考えました。

 子象が、大きくなっても、この森の中で暮らしていくとしたら、他の象と同じように、食べることだけのために、毎日一生懸命働かなければならないと考えました。この特別な、真っ白な子象が、そうした生き方をすることは、母親にとって耐えられないことでした。

 母親は、考えました、森を出て、町に行けば、真っ白な子象は、人々から大切にされ、自分で働かなくても、人々に養ってもらえるはずだと考えました。

 母親は、子象を呼んで話し掛けました。

 「この森の生活は、おまえにとって、ふさわしくない。おまえのような美しく真っ白な象は、森の中で毎日の食べ物のために、一生働き続けるのではなく、人間が住んでいる町に行きなさい。人間にとって、真っ白な象は、高貴な人間の象徴なのだから、必ず、養ってもらえるはずだ。そればかりか、大切にしてもらえるはずだよ。」

 この真っ白な子象は、母親思いの優しい子象だったので、母親のすすめるように、街に行くことにしました。

 母親の象は、子象が、森を出てゆく前に、子象に向かい「人間の中で暮らす時には、人間の言うことを聞いて、忍耐強くするのだよ。」と最後の忠告をしました。

 白い子象が、森を出て、町に入ってゆくと、それを見つけ家々の中から人々が、表に飛び出してきました。「おーい、見ろよ、白い子象が町に来た!」人々は、興奮して叫びあいました。

 人々は、バナナやサトウキビなどの野菜や果物を持ってきて、白い子象に食べさせました。人々が差し出す美味しい果物を食べながら、母親の考えはやはり正しかったと思いました。

 それからというもの、白い象は、町で食べ物をもらい、夜になると近くの森で休む毎日を続けました。人々は、最初の日と同じように、優しくしてくれました。子象は、そうした毎日をとても幸せに思いました。

 しかし、しばらくすると、人々は、食べ物をくれる時に、条件を出しはじめるようになりました。ひと房のバナナを差し出しながら、水を運んでくれたら食べさせてやるよ。子象は、指示にしたがって、水を運びました。すると、次には、サトウキビを差し出して、薪を運んでくれたら、食べさせてやるよといいました。子象は、薪を運びました。

 こうして、交換条件で働きはじめた子象は、だんだんとそうした暮らしが嫌になってきました。しかし、母親からいわれたように、我慢を続けましたが、ある日、ついに我慢が出来なくなって、母親に会いに森に帰ることにしました。

 真っ白な子象は、母親に会うと、町でのことをすべて話して聞かせました。

 「お母さんの言うとおり、人間は、食べ物をくれました。しかし、その見返りとして、水や薪や米を運ばされました。町の人一人一人が、用事を言い付けるのです。とても我慢が出来なかったので帰ってきました。」

 話しを聞き終えた母親は、悲しそうな子象に向かって、「すまないことをしてしまった。おまえが、街に行く前に、もう一つの忠告をすることを忘れてしまった。人間は、自分の人生の尺度で、何事も判断しようとすることを。」と言いました。

 「だから、どんな色の象でも人間のために働くものと考えている。ところが、おまえは、高貴な真っ白な象なのだから、人々のために働く必要などない。高貴な象らしく、何もしないで、絶対に水や薪を運んだりしないようにしなさい。」「さあ、今からすぐ町に行って、人々に、本当の白い象の生き方を教えてあげなさい。」

 子象は、母親の指示にしたがって、町に帰って行きました。それを見た町の人々は、大喜びで、「白い象が町に帰ってきたぞぅ。」と大変な騒ぎでした。

 そして、前と同じように、食べ物を与えて、仕事を頼みました。しかし、今度は、いくら頼んでも、いっこうに働いてくれません。子象は、母親の忠告にしたがって、堂々とじっとしたままでした。一人の男が、無理やり水を運ばせようと命令して象の体に触れたので、白い子象は、長い鼻で、水瓶をつかんで放り投げました。今度は、別の男が、薪を運ばせようとしたので、その男を長い鼻で突き飛ばしました。

 白い子象が、前と違い狂暴な態度をするので、人々は、恐れはじめました。そして、口々に、この子象は、前に来た子象とは、別の子象だと噂しはじめました。「この前に来た白い子象は、本物の子象ではなかったに違いない。本物の白い子象なら、我々の命令にしたがって、働くわけがない。白い象は、昔からいわれているように、高貴な象で、普通の象ではないはずだ。」

 「今度の子象は、どうやら本物の白い高貴な子象のようだから、町にはふさわしくない。今すぐ、王様のところに連れていって、王宮の中で、白い高貴な象として養ってもらおう。」

 そして、人々は、この真っ白い子象を連れて王宮に行きました。そして、王様にささげました。王様は、この真っ白な子象を見て、非常に喜びました。高貴な真っ白な象は、王家のシンボルですから、丁重に扱うように部下に指示をしました。

 真っ白な子象は、こうして王宮の中で、母親が言ったように、何もしないで、美味しいものを与えられ、幸せに暮らしましたとさ。


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2017年12月14日木曜日

電子たばこ

タイでは、電子たばこの輸入も販売も所持も禁止されています。ですから、空港で持ち込もうとした外国人やタイ人が、没収されたり、法外な罰金を取られるケースもあります。

以前から、タイの空港では、許可される量を超えるタバコやアルコール類を持ち込むと、没収だけでなく罰金刑がありますから注意が必要です。

免税たばこや酒類等のタイ国内への持ち込みに係る注意喚起

先日、ビーチリゾートとして有名なパタヤで、禁止されている電子たばこを路上販売していた女性が捕まり、連行されていくときに、警察官から暴行されたと訴えていて、テレビや新聞に電子たばこの話題がよく出ます。

わたしは、タバコを吸っていた時期がありますが、もうずいぶんと長い間タバコは吸っていません。タバコを吸うのをやめて、本当によかったと思っています。

まず、タバコのことを考える時間も必要が無いですし、タバコを買わないから、お金も節約できます。健康面では、朝起きてからの咳がほとんどなくなりました。

タバコを吸っていた頃は、タバコは持ったかな?とかライターは?とか、買い置きはあったかな?とか、いろいろと考えました。そして、まわりの迷惑も考えなければならないですし、吸い殻をどこに捨てようかと悩んだりもしました。

火事の心配もありますよね。

些細なことでも、そういったことを考えなくてもいいです。

最近は、喫煙者にとって、かなり厳しい環境になっているから、喫煙者の人たちは、大変だと思います。そういった苦労がないのも、タバコをやめてよかったことのひとつです。

個人差はあるとは思いますが、私の場合には、やめようと決めてから、たいした苦労はありませんでした。

身の回りに、常に熱いお茶と冷たい水を用意しておいて、交互に飲んでいただけです。

個人的な意見としては、まわりに迷惑をかけないのであれば、嗜好品は、個人の自由でいいと思います。もちろん、合法であることが前提ですけどね。

社会的な害としては、アルコール類の方が、問題が多いとさえ思っています。

飲酒運転による事故とか、家庭内暴力、そして、酒を飲んでの喧嘩や暴行とかね。

どうしてアルコール類に比べてタバコが叩かれているのか理解に苦しむのですが、でも、禁煙運動が世界中に広まっている現実は、認めなければならないです。

そんな中で、吸い殻のない電子たばこは、今までの研究では、健康被害も通常のタバコよりは少ないと言われているから、前向きに調査研究をした方がいいと思います。

しかしながら、現在のタイでは、電子たばこには、液体式や加熱式があるそうですが、どちらの電子たばこも違法ですから、持ち込まないようにしなければならないですし、例え、売っているところを見つけても、手を出さない方が賢明です。

君子、危うきに近寄らずですよね。


2017年12月12日火曜日

ラオスの民話から  犬とロバのお話


 昔々、ある所に、一匹の犬と一匹のロバを飼っている商人が住んでいました。

 ある夜、商人が疲れて、いつもよりも早くベッドに入って寝入った後に泥棒が入って、商人の家から金目のものを盗み出そうとしていました。

 それを見たロバが、眠っていた犬を起こして、「おい、泥棒が盗みに入っているから、早く吠えて、ご主人様を起こしなさい。」といいました。

 「どうして、ご主人様のために起きだして吠えなければならないのかわからない。」と犬がロバにいいました。

続けて、「ご主人様は、俺が、欲しい食べ物はくれないし、俺のことなどかまってくれないのだから、泥棒が欲しいものを全部持っていっても、俺の知ったことではない。」といいました。

 「お前は、なんと恐ろしい醜い動物だ。」とロバが、犬に向かっていいました。「この家で、ご主人様に育てられたから、今日まで元気でいられるというのに、ご主人様が、お前を必要としているときに、お前は、ご主人様のために何もしようとしないのだから。お前が、何もしないのなら、俺が代わってやってやる。」といって、ロバは、近くにあるものを蹴飛ばして、大きな音を立てて、ご主人様を起こそうとしました。

 あまりに大きな音が、したので、ご主人様が目を覚ましましたが、その前に、泥棒もその音に驚いて、恐くなって逃げ去りました。

 ご主人様が、下に降りてきて、寝ている犬と、その近くで、周りにあるものを蹴飛ばして、大きな音を立ててているロバを見つけました。

ご主人様は、ロバに向かって、「こんな真夜中に、いったいお前は、何をしているのだ。みんなが寝ているときにそんなことをして。お前は、いったいどういうつもりなんだ。罰として、明日からしばらく、お前のような間抜けなロバには餌をやらないからな。」と怒っていいました。そして、ロバを鞭で打って、再び、二階に上がって眠りました。

 ご主人様が、二階に消えてしばらくして、眠ったふりをしていた犬が、目を開けて、ロバに向かって、「お前が、親切でした結果が、良く分かっただろう。余計なことをしたばかりに、お前は、ひどい目にあわされたのだ。これからは、自分のことだけ考えて、余計なことはしないことだな。」といいました。


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2017年12月9日土曜日

健康マニア

自律神経失調症は、いろいろな不調がでてきます。ドキドキしたり、目まいがしたり、下痢したり、不眠症になったり、まあ、大変な病気です。

そうした中、自分は、なんの病気だろうと興味を持ち、どうしたら健康になれるのだろうかと、いろいろな本を読みました。

健康に関する本は、膨大です。専門書もあれば、なんかトンデモ本ではないかと思われるようなものもありますが、今なら、ネットで簡単に調べられることでも、昔は、本を探すのも大変でした。

今では、サプリメントもたくさんでていますが、昔は、とりあえず、ビタミンでした。


1980年代初めにでたこの本を買いました。血液型の本とこの本は、しばらく愛読書となりました。

ビタミンとかサプリメントは、本当の効果以上に心理面が大きいような気がします。不足すれば、いろいろな不都合が起きても、普通の食生活をしていれば、そんなに必要ないばかりか、過剰摂取は、時に危険な場合もあるような気がします。

でも、人間は、いろいろと不安なんです。安心できるのなら、いいじゃありませんか。

健康にいいものといえば、やはり、運動とか、食事です。適度な運動とバランスのいい、腹八分の食事がいいことはわかっていても、実践となるとなかなか難しいモノです。

健康にいいといわれたら、自転車にも乗るし、歩くし、腹筋から腕立て伏せ、スクワット、エアロバイクと、いろいろとやってきました。

食事でも、身体にいいものは、必ずといっていいほど試してきています。自慢ですが、糖質制限なんか10年前からやっています。今は、制限も緩んでいますけどね。

マッサージ歴も、長いです。

車の運転中に追突されてむち打ち症になったので、その治療に、指圧とか、鍼とか、マッサージとか、アヤシげな民間治療とか、やりました。

時々テレビにも出てくる、ガラス瓶を真空にして背中に貼り付けるのとか、手のひらで、患部をビンタするとか、タイには、いろいろな民間療法もあります。

タイマッサージは、治療ではなくて、やすらぎというか、何となくからだが軽くなったような気がするので好きです。タイでは、料金も安いですしね。

この間、テレビで、頻尿と尿漏れ対策をやっていました。昔からよく言われていたにもかかわらず、自分には関係ないとやったことがなかった、肛門を締める運動をやってみました。

するとどうでしょう、骨盤底筋を鍛えると、肛門だけでなく、女性は膣や尿道、男性なら、前立腺をも刺激してくれるようです。

そして、すぐに効果が現れたのが、下腹部の肥満で、何をしても、全く引っ込まなかった下腹部が、あっという間に平面になりました。

そして、前立腺の刺激で、朝立ちも元気いっぱいです。

自分でやってみて、効果ありだったから、お薦めします。お金も掛からないですし、時間もそんなにかかりません。

いろいろなサイトで紹介しているようですが、こちらなんか、わかりやすいと思います。

夜中に目覚めてトイレに行くことも今のところなくなっています。

そういえば、昔、肛門に日光を当てると風邪をひかないという話がありました。ただ、日本では、お尻を太陽に向ける場所もないので、気をつけないと、逮捕されそうです。

薄めの水着を着て、浜辺でうつぶせになって日光浴くらいかな。

薬には副作用もありますし、運動なんかは、なかなか長続きしませんが、肛門体操は、何かをしながらでも出来るし、シャワーを浴びながらのスクワットと共に、毎日出来そうです。


2017年12月5日火曜日

12月5日は、タイでは父の日

昨年亡くなられたラマ9世の誕生日が、父の日になっています。

で、息子が父の日の夕食をご馳走してくれました。










食べるのに忙しくなり、ちらし寿司とイカ刺しの写真を撮り忘れてしまいました。



ゲーム機

最近リバイバルで、昔のゲームの話題も出てくるようになりました。

今までで一番はまったのは、バイオハザードです。タイでのタイトルは、「Resident Evil」でした。

ハラハラドキドキ、夜中に1人ですると、けっこう怖かったです。

それまでのゲームは、ゲームらしいゲームで、マリオブラザーズにしても「沙羅曼蛇」(SALAMANDER、サラマンダ)グラフィックは、シンプルでしたし、サウンドもMIDIでした。

ドラゴンクエストとファイナルファンタジーもはまりましたが、戦闘は、単純でした。

我が家には、男のコレクションをゴミだと思っている女性がいるので、知らないうちに、いろいろなものが捨てられているのですが、ゲーム関係は、まあまあ残っているモノもありました。







ゲーム機は、コードが邪魔で、赤外線のコードレス・ジョイスティックを使いました。

ゲームによって、専用のジョイスティックや銃やロケットランチャーなども買いました。

最近は、ネットで知らない人たちと遊ぶのが多いそうですが、興味が無いからまだ未経験です。

ゲームも、先に進むためには、お金を使うようなシステムは、全く興味が無いです。

ゲーム機は、PS2まで買いましたが、それ以降は買っていません。

最近PS4を買おうかどうか悩んでいます。


2017年12月3日日曜日

「長良川の鵜飼い」からいろいろと考えた

「ブラタモリ」で岐阜をやっていましたが、スタートは長良川の鵜飼い。

歴史ある漁法ですが、もしかしたらと、タイ人のかみさんに説明をしてみました。

そしたら、想像通り、鵜がかわいそうという感想でした。動物虐待だそうです。

確かに、ひもで縛って、せっかく魚を捕まえたら、それを吐き出させられるのですから、まあ、虐待という見方も間違ってはいないでしょう。

そしたら、馬に乗るのも虐待だし、養鶏場も養豚場も虐待、サーカスも虐待、漁業なんか、全部虐待、抗生物質も、細菌に対する虐待?

闘牛なんか、間違いなく虐待ですし、大相撲のかわいがりも虐待ですね。

世の中、虐待ばかりで、すべての虐待に反対すると、生き辛い世の中になりそうです。

個人的には、許される虐待はあると思います。個人的には、闘牛はダメでも鵜飼いはOKですね。

暴行目的のかわいがりはダメでも稽古場のかわいがりはOKだと思う。

絶滅危惧種に対する保護だって、なんかおかしいなと思うところもあります。

地球誕生から、いろいろな生き物が栄え、いろいろな生き物が滅びて、今日があるわけです。一部の人間の都合だけで、これは絶滅させてはいけないとか、いいのかな?って思うこともあります。

人間の食べ物は殺してもいい、人間に害を及ぼす生き物は、駆除していいというのが、一般的な常識ではないかと思うのですが、イルカやクジラは、殺してはいけないという考え方もあります。

例えば、スズメバチの中に、絶滅危惧種があったとして、子供がまさに刺されようとしているときに、その絶滅危惧種を殺してはいけないのでしょうか?

例えば、ゴジラが、実際に誕生し、都市や人間を破壊しているときに、ゴジラは、絶滅危惧種だから生け捕りにとかいう人がいるかもしれませんが、でも、普通殺すでしょ。

ガン細胞だって自分の細胞だから、放射線や抗がん剤で殺さないでくださいという人もいるかもね。

「殺虫剤」というのが、「虫ケア用品」と名前が変わるそうですね。同じ成分で、同じ効果でも、「殺虫剤」と「虫ケア用品」では、受けるイメージが違います。

そういったイメージを変えることに何の意味があるのかなって思ったりもします。

わたしにとっては、核兵器よりも原子爆弾の方が恐ろしいイメージです。

世の中には、いろいろな考え方がありますが、何か、世界は、おかしな方向に進んでいるような気がすることもあります。


2017年12月2日土曜日

はしだのりひこさん死去

ラジオから、「帰って来たヨッパライ」が聞こえてきたときにはたまげました。

ザ・フォーク・クルセダーズは、活動期間が短かったけれど、「戦争は知らない」、「悲しくてやりきれない」、「何のために」、「花のかおりに」、「青年は荒野をめざす」などは、今でも好きで、時々聞いています。

はしだのりひこさんは、別のグループを幾つか作ってテレビにもよく出ていました。

」、「花嫁」は大ヒットでした。

それにしても、あの頃活躍していた人たちが、70歳前後で亡くなられますね。

ご冥福をお祈りします。