2018年1月31日水曜日

なんでも「ただ」がいい

人間、生まれてから死ぬまで、息をしていますが、空気は無料ですね。

空気以外は、だいたいお金がかかります。

昔は、水も無料で、わき水でも小川の水でも、飲み放題、使い放題でした。井戸を掘れば、井戸掘りの費用はかかりましたが、あとは無料でした。

食べ物は、自然になっているモノや魚や動物を捕って食べていた頃は、無料でした。自給自足が出来れば、食べるものには金がかからないですが、肥料とか農機具とかには金がかかります。

そして、世の中が複雑になり、何をするにもお金がかかるようになっているわけですが、最近、ベーシックインカムという考え方が、注目されてきているようです。

政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を定期的に支給するという政策なんだそうです。

生活保護がありますが、不正に受給している人たちもいて、不公平な面もあるわけです。

生活に困っている人たちを助けることはいいことですが、狡賢い人たちがいるので、現物支給がいいという考え方も出てきています。

出来る限り「ただ」にするというのも、面白かもしれません。

電気代も水道代もガス料金も交通費も「ただ」。維持費は、税金でまかないます。そうなると、無駄遣いをする人も出てくるかもしれませんが、そんなの無視。

いわゆる公共料金というモノがただにということで、最近は、教育なんかも、かなり無料になってきています。

なんでも民営化したのを公営に逆行させてしまいます。

電話なんかも、インターネットを使った電話なんか無料ですから、無料にできないことでもないと思います。

東京オリンピックをひかえ、外国人にも、無料でwifiを使えるようにという計画も進行中のようです。

今、wifiなんか、日本国中、どこでも、誰でも、「ただ」で使えるようにしてもいいような気がします。

捨てている食べ物なんかも、活用したいですね。自己責任で、捨てられる食品を「ただ」で提供なんか、ぜひ考えるべきだと思います。

10回に1回くらい下痢をするかもしれないけど、そのくらいのリスクがあっても、「ただ」ならいいのではないかと思います。

フリールームなんかも、全国で空き屋になっているところをネットワーク化して、そこに行けば、「ただ」で泊まれるなんてのもおもしろいです。

少しくらい不便でも、多少のリスクがあっても、基本、「ただ」で生きていかれるというのは、おもしろいと思います。

あくまでも個人レベルの「ただ」であって、商売には悪用させないようにしないといけません。

何事にも維持費はかかりますが、「ただ」を利用する人たちは、出来る範囲で、「ただ」で、労働力を提供することで、少しでも維持費を減らします。

例えば、管理人を買って出るとか、掃除や修理を手伝うとか。

過疎化の村を「ただで暮らせる村」にするとかはどうかな。まあ、原始共同体ということになって、団塊の世代には受けそうな気もします。

わたしが、考えるくらいですから、すでにやっているところもあるでしょうけど、金金金の世の中、なんでも「ただ」にするのは、「人間とは」とか「生きるとは」とか、考える意味でもいいことだと思います。



2018年1月29日月曜日

空を飛んだ亀さん  タイの民話から

昔々のお話です。

あるところに、とても美しい池がありました。池にはたくさんの水草が茂り、魚やミズスマシや亀が、たくさん住んでいました。そして、たくさんの小鳥たちがやってきて、水を飲んだり、しばしの休息を楽しんでいました。

その池に住む、一匹のとってもよく太った亀さんには、仲良しの二羽の白鳥がいました。亀さんと二羽の白鳥は、一緒におしゃべりをしたり、お昼寝をしたりして、毎日平穏に過ごしていました。

ところがある年、その地方には、ほとんど雨が降らなかったために、その美しかった池の水が、どんどん減って、水草も枯れ、池にすむ魚たちもだんだんと死んでしまいました。

亀さんも、食べるものがないので、だんだんと痩せてしまいました。その姿を見て、二羽の白鳥は、亀さんにあることを提案しました。

「亀さん、そろそろ大切なことを決心するときがきたようだけど、どう思う?」と一羽の白鳥が、亀さんに話し掛けました。

「何の話?」亀さんには、何のことなのか、わかりません。白鳥は、話を続けます。

「実は、ここから、ちょっと離れたところに、去年までのこの池と同じように、水がいっぱいで美しい池を見つけたんだけど、亀さんはそこに移り住むつもりはないの?」

「食べ物もいっぱいだし、本当にいいところだよ。」

亀さんは、一つ、大きなため息をついて、答えました。

「ここにいては、やがてやせ細って死んでしまうかもしれないし、そんなにいいところがあるのなら、行ってみたいけど、私は亀で白鳥ではないから、そんなに簡単に移動できないんですよ。」

「私の短い足で、この重たい甲羅を背負って歩いていったら、そこにたどり着くまでに、飢え死にしてしまうに違いありません。」

悲しそうな目をする亀さんを見て、二羽の白鳥も考え込んでしまいました。しかし、二羽の白鳥がしばらく相談したあと、急に笑顔になって、亀さんに語り掛けました。

「亀さん、大丈夫だよ。いい考えがあるから、亀さんは、いわれたとおりにしていてください。」

亀さんには、何のことだかわかりません。

「私たちと一緒に、空を飛んでいけば、簡単だ。」

「えっ~? 私が、空を飛べるわけがないですよ。亀には、羽がありませんから。」

「大丈夫・大丈夫。」「亀さんだって、空を飛べます。亀さんよく聞いてね。」

「私たちが、一本の枝を持ってきて、それを二人でくちばしにくわえるから、亀さんは、その枝に噛み付いて、じっとしていればいいんです。私たちが、亀さんを目的の池まで連れて行ってあげましょう。」

「そんなに簡単にいくのかなあ?」亀さんは、まだ心配です。

「とにかくやってみなければわからないし、亀さんが、途中で口をあけなければ、必ず目的地までいけますよ。」

「大空を飛ぶのは、素晴らしい気持ちですよ。それとも、亀さんは、空を飛ぶのが、そんなに恐いの?」

亀さんは、悩みましたが、ここにいても、ほとんど希望はないから、決心をして、この計画を実行することにしました。

二羽の白鳥は、計画どおり、一本の木の枝を探して来ました。

「さあこれで準備は、整ったけど、亀さん、空に舞い上がったら絶対に口をあけたらダメだよ。」

「わかりました。」亀さんは、力強く答えて、枝の真ん中あたりに思い切り噛み付きました。

二羽の白鳥は、いつもより力をこめて、羽ばたき、空高く舞い上がることに成功しました。

「亀さん、空を飛び気持ちは、どう?」「気持ちがいいでしょ?」

亀さんは、口をあけられないから、心の中で、「本当に、空を飛べるって、いいなあ。」と思いました。

今まで住んでいた池は、まるで小さな水溜りのようにしか見えませんし、今まで見上げていた、森の木々は、今は嘘のように本当に低く見えます。

さあ、これで、また楽しい毎日が過ごせるようになると、亀さんは、本当に二羽の白鳥に感謝をしました。

ちょうどそのとき、一人の少年と一人の少女が、下の森の中で、遊んでいました。

少女は、少年に向かって、「ねえ、明日は、雨が降ると思う?」と聞きました。少年は、大好きなおじいさんがいつもするように、空を見上げて、「この雲の様子だと、明日は、雨は降らないと思う。」といいました。

そのとき、少年は、空に、二羽の白鳥が飛んでいるのが見えました。よく見ると、その白鳥と一緒に、なんと亀が空を飛んでいるではありませんか。

少年は、びっくりして、少女に叫びました。「白鳥が、亀を運んで飛んでいる!!」

「何を言っているの?」少女は、少年のほうを見ました。少年は、空を見上げているので、少女も空を見上げると、そこには、確かに亀が、二羽の白鳥を運んでいるではありませんか。

「少女は、本当だ、亀が、白鳥を運んでいる。」といいました。

「違う、白鳥が亀を運んでいるんだよ。」

「そうじゃないよ、よく見て。亀が白鳥を運んでいるのが見えないの?」

「も~~う、いったい何を見ているの?亀が空を飛べるわけがないだろ。白鳥が、亀を運んでいるんだよ。」

二人は、自分の考えが正しいと思っているから、お互いに譲りません。どんどん声が大きくなって、そのうちに、叫びあいになってしまいました。

気持ちよく、空の旅を続けていた亀さんにも、その二人の声が聞こえています。

亀さんは、心の中で、「あの少年は、間違っている。自分は、こうして空を飛んでいるんだ。決して、白鳥が、自分を運んでいるんじゃない。」と思っていました。

人間もそうなんですが、生きものたちは、時々、こうして、自分勝手に勘違いをすることがあります。

「あの少女は、正しい。自分が、白鳥を運んでいるんだ。」亀さんは、嬉しくてたまりません。

しかし、そのうちに少年と少女は、取っ組み合いの喧嘩をはじめてしまいました。口喧嘩では、負けてはいなかった少女も、力では、少年にはかないません。最後には、とうとう押さえ込まれて、負けてしまいました。

少年は、少女に「さあ、許して欲しかったら、大きな声で、白鳥が亀を運んでいるといえ。」と命令をしました。

亀さんは、それを見ていて、理性を失ってしまいました。

少女が、「白鳥が、亀を」といったとき、亀さんは、大声で、「違う~~。」といいながら、地上めがけて落ちていきました。やってはいけないことなのに、うっかり口をあけてしまったのです。

少年と少女がいる近くには、大きな岩があり、そこに、亀さんは、墜落してしまいました。

あまりに高いところから、落ちたので、岩にぶつかって、かめさんの体は、こなごなに砕け散ってしまいました。そして、その亀さんの砕けた体の一部が、少年の脇の下に当たり、ものすごい匂いがあたりに漂いました。

少年も少女も、気持ちが悪くなって、すぐに家に帰って、体を洗いましたが、少年の脇の下の匂いは、いくら体を洗っても、消えませんでした。

それからというもの、男性の脇の下は、亀の匂いがするようになったとタイではいわれています。



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亀のお話  タイの民話から


亀には、甲羅があります。甲羅でいろいろな刺激や外敵の攻撃から体を守っています。

ところが、ずっと昔の亀には、甲羅はありませんでした。というよりも甲羅は必要ではありませんでした。

なぜなら、亀は、いつもお釈迦様に守られていたから、外敵からの攻撃を甲羅で防ぐ必要がありませんでした。

亀は、お釈迦様からとてもかわいがられていて、いつもお釈迦様が体にまとっている黄色の衣が肌から離れないようにと、布の端を一日中咥えていました。

亀は、主人に忠実で、とても忍耐強い性格で、お釈迦様を信じ愛していましたから、お釈迦様のそばにいられることをとても幸せに思っていました。

そうしたお釈迦様からかわいがられている亀をおもしろくなく思ったり、嫉妬している動物もたくさんいました。彼らだって、お釈迦様のおそばで過ごしたかったのです。

ある時、そんな亀に嫉妬している小鳥たちが、お釈迦様のところに飛んできて、お釈迦様に、私たちにも、お釈迦雅の衣を咥えるおつとめをさせてくださいと頼みました。

お釈迦様は、ほほえみましたが、何も言葉を発してくれませんでした。小鳥たちは、ますます、亀を嫌いになりました。

お釈迦様は、寡黙で、忍耐強く、瞑想に入れば、何日でも、じっと座ったままです。そして、亀もまた、お釈迦様と同じように、じっと黙ったまま、お釈迦様の衣を咥え続けていたのです。

誰も亀の声を聞いたものはいませんでした。亀は、衣の端を咥えているから、声を出すことができなかったからです。

お釈迦様も亀も、いつも静かに、瞑想をしていました。

ある日のこと、お釈迦様が、木の下で、亀に衣を咥えられて、いつものように静かに瞑想をしていると、そこに、一匹の蛇がやってきました。

悪意をもった蛇は、お釈迦様に話しかけるように「俺は、この世で一番の賢い生き物だ。」と独り言を言いました。

それを聞いたお釈迦様は、ほほえみ、うなずきましたが、言葉を発することはありませんでした。亀は、なぜか内心穏やかではありませんでした。

傲慢そうな蛇は、「俺は、この世界の主のようなもので、俺よりも賢い生き物なんかいるわけがない。」と言いました。

お釈迦様は、ほほえみ、うなずいて、相変わらず黙ったままじっとしていましたが、亀は、ますます頭に来て、もう、ほとんど我慢できません。

蛇は、続けて「俺は、すべての生き物より賢いし、もちろん、ここにいるお釈迦様よりも賢いのだ。」と言い放ちました。

お釈迦様は、相手になるのはよくないと思ったのか、黙って、すっと立ち上がりましたが、その時、亀が怒りに震える大声を出したのです。

「お釈迦様よりも賢い生き物なんかいるわけがない!」

そういったとたん、亀の体は、お釈迦様の体から離れて、地面にたたきつけられてしまいました。

亀が声を出し、口を開けたから、衣から落ちてしまったのです。

それを見たお釈迦様は、悲しい目を亀に向けながら「おまえは、蛇の挑発に乗って、自分のつとめを忘れ、衣から口を離してしまった。おまえが、わたしを助けようと思った気持ちはわかるが、自分のつとめを忘れたおまえは、もう、わたしのそばにいることはない。わたしの元から立ち去りなさい。」と告げたのです。

亀は、驚いて、「もう二度とつとめを忘れることはいたしませんから、おそばにおかせてください。」とお願しましたが、お釈迦様は、「おまえは、蛇と一緒に、地面で暮らしなさい。」と言いました。

そして、「おまえが、今までわたしに尽くしてくれたお返しに、おまえを外敵から守る甲羅を授けよう。」と言いました。

その日から、亀は、甲羅を持つようになったのでした。



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2018年1月26日金曜日

バンコクの大気汚染と中国

先週から、バンコクの大気がおかしいという声がでて、SNSなどで、問題になっていました。

そして、一昨日雨が降って、大気汚染が、改善されたと、やっと政府も発表をしたので、改善されてから発表するのではなくて、予報や警報を出すべきだったのではないかと、当たり前の声が上がっています。

日本は、お節介なほど、政府や行政が、いろいろと注意をしてくれますが、タイでは、自分の事は自分で守るが基本です。

バンコクの大気汚染は、昔から、交通渋滞による排気ガスとか、街中にある多くのお寺からでる火葬場の煙とか、ホコリとかいろいろといわれていますが、最近は、日本でも問題になっている中国からのありがたくないプレゼント、PM2.5です。

気管支や肺に病気を持っている人たちとっては、とても危険な状態が続いていたそうで、こちらのサイトで、その危険度を調べることが出来ることがわかりました。

昨日までは、100を越えていましたが、今朝は、100以下になって、正常値のようです。

以前は、タイの北部のチェンマイのPM2.5大気汚染が問題になっていましたが、ついにバンコクにもプレゼントが届くようになったようです。

最近のタイは、高速鉄道などで中国との関係が強まっているので、政府は、中国に遠慮して、この問題を表面化させてこなかったのかもしれません。

大気もそうですが、食品の安全や水質なども、タイで暮らすと心配です。

農業国タイなのに、中国からの農産物の輸入も意外と多くて驚きます。今から15年前のタクシン政権時代から、ドッと入ってくるようになりました。

中国人が危険だからと食べないようなものを平気で海外に輸出するわけで、考えると、恐ろしい話です。

タイは中国系の人たちが多いですが、その中国系の人たちでさえ、中国本土から来る中国人たちのことをよく言いません。

観光客も激増していますが、ゴミやトイレや騒音などいろいろなマナーの問題も出てきています。

中国からのいろいろなプレセントには、今年も注意が必要ですね。


2018年1月24日水曜日

赤毛のエイリーク

白人というと金髪をイメージする人が多いと思いますが、白人にも、いろいろで、黒髪もあれば栗毛もあれば赤毛もあります。

わたしが、驚いたのは、夏と冬とで髪の毛の色が変わる人がいることでした。北欧などでは、夏は短く、夜の長い冬があるためか、冬の間栗毛だった人が、夏になると金髪になったりしていました。

あと、両親が金髪なのに、子供が、栗毛だったり、黒髪だったり、様々の家族もいます。欧米人にはアジア人とか黒人を養子として育てる人も多いですが、そういったことではなくて、同じ両親から生まれても、違った色の髪の毛を持つ子供が生まれることもあります。

赤毛といえば、『赤毛のアン』が有名ですが、赤毛の人たちは、時にして、差別の対象とされるそうです。

赤毛の人は、肌の色が白く、顔や身体にしみそばかすが出来やすいし、宗教や民話などの影響もあるそうです。

イギリスの赤毛差別は、有名だそうです。

デンマークの例ですが、赤毛の女の子は、ナンパしやすいといっている若者がいました。

さて、米国大陸を発見したのは、一般的にイタリア人のコロンブスということになっていますが、もっと早く、11世紀ごろ米国大陸を発見したのは、レイフ・エリクソンというアイスランド人だという説があります。

当時のヨーロッパは、有名なヴァイキングの時代で、デンマークのユトランド地方が発祥の地といわれていますが、スウェーデンからノルウェー、そしてアイスランドやグリーンランドまで、彼らの勢力範囲でした。

アイスランドやグリーンランドから、もっと西を目指せば、米国大陸に達するわけで、現在のカナダのバフィン島あたりに到着し、その後、南下したともいわれています。

そのレイフ・エリクソンの父親で、はじめてグリーンランドに住んだといわれているのが、赤毛のエイリークです。

この辺の話は、アイスランドのサガといわれる伝承されてきた神話や民話の類によるモノも多く、実際に遺跡なども見付かってはいるものの、まだまだ、はっきりしないことも多いようです。

このサガという言葉は、ゲームなどにもよく登場しますよね。

ちなみに、ノルウェーもアイスランドもデンマーク領だった歴史もあり、言語もよく似ています。

寒い地方ですから、食糧も少なく、どうしても、略奪をしてきた歴史なんでしょうね。体格はいいですし、鉄を上手に使いこなし、スコットランドやアイルランドなど沿岸部の町を襲ってきたのでしょうけど、領土を広げて統治するということはしなかったようです。

北欧やイギリスの国旗にある十字は、太陽の光を意味するそうで、太陽神の神話も多いです。太陽に飢えている北国です。

北欧の人たちは、休暇を取って南欧や東南アジアに長期旅行をします。そして、すぐに日光浴で裸になるので、現地で問題になることもあります。

北欧やドイツなどでは、公園で日光浴を楽しみますが、女性でも上半身裸になることに抵抗のない人が多いです。

デンマークにいた頃、アイスランド出身のガールフレンドがいたことがありましたが、名前が、Eddaでアイスランドの「失われたエッダ詩」や「スノッリのエッダ」と同じだってことに、今頃になって気が付きました。


ちなみにEddaは、赤毛ではありませんでした。

2018年1月22日月曜日

国際運転免許証

日本人が海外で車の運転をする場合、日本国内で、国際運転免許証を申請し、取得します。有効期限は1年間です。

海外に長期滞在するときには、有効期限切れになってしまうこともあるわけで、その度に、日本で、再発行をしてもらいます。

私の場合には、住民票が、県庁所在地ではなかったので、県庁所在地まで行って申請をしましたから、面倒でした。

それで、タイ滞在が長くなったので、タイの運転免許証を申請しましたが、学科試験と実技試験がありました。もう30年以上前のことですが、外国人の場合には筆記は英語でした。

実際の運転は、自分の車でもOKでしたが、わたしは、試験場にある、ボロでアンティークの車を使いました。ブレーキもクラッチも効きが悪くて大変でしたが、なんとかクリアーで、タイの運転免許証をゲットし、今日まで、更新して使っています。

今は、5年間有効の免許証です。

日本の運転免許証から、タイの運転免許証に変更も可能です。

一時流行ったのが、日本から観光でタイに来た人が、タイで運転免許証を取得し,それをもとにタイで発行の国際運転免許証を取得し、それを使って日本で車の運転をするという裏技で、それを斡旋する業者もあったそうです。

そういった業者は、免許証のプロで、いろいろなコネを使って、タイ語や英語が出来なくても、運転が下手でも、必ず運転免許証をゲットできたとか。

日本で免停になった人とか、事情がある人が利用したようですが、悪い事は、いつかばれます。

今では、タイで運転免許証を取得できるのは、タイで3ヶ月以上ノンイミグラントビザという資格で滞在している人に限りますし、タイで国際免許証を取得できる日本人は、タイの運転免許証を取得後1年経っていることが条件だそうです。

昨日から話題になっている大相撲の大砂嵐の件でも、この国際運転免許証の有効条件が、問題になっているそうで、持っている国際運転免許証が、有効期限内であったにしても、免許証を取得した国に3ヶ月以上滞在した証明がないと、日本では、無効のようです。

タイでは、運転免許証の更新は、有効期限が切れてからの更新が基本で、有効期限が切れてから、数ヶ月後でも、OKになるようです。

私の場合には、1ヶ月くらい経ってから更新をしていますが、そうすると、有効期限が、なんと6年間になっています。

最近は、手続きもかなりオンライン化されているから、待ち時間も短くなっています。

番号札をもらって、必要書類を揃えて、指定された部屋の前で待つと順番が来て、書類の不備がないかをチェックされて、いろいろな検査の部屋に行って、目の検査とか、反射神経の検査とか、けっこう厳しいです。

前後する棒が真横に来る瞬間にブレーキを踏むテストでも何度もやり直しの人がいます。

目の検査のような台に顎を乗せて、左右にある電球の色を当てるのは、けっこう難しかったです。

それがOKになると、今度は、ビデオ鑑賞の部屋に行って、生々しい事故の映像を見ます。日本と違って、生々しいです。

それが終わって、元の部屋に行って待てば、その場で写真撮影があって、すぐに新しい免許証が発行されます。

2018年1月20日土曜日

ネットを使えば

インターネットを使っての検索は、百科事典でもあれば、外国語の辞書でもあるし、地図帳でもあります。

パソコンが出始めの頃、ソフトがなければただの箱といわれ、高価なソフトを購入したモノで、百科事典とか外国語辞典とか、必ずパソコンに入れていました。

世界地図のソフトもありました。

それがどうでしょう、今や、ソフトなんかなくても、パソコンがなくても、スマホを使ってインターネットで検索すれば、わからないことも瞬時に調べられるし、外国語も、意味だけでなく、正しい発音までわかります。もちろんパソコンでも。

地図も便利ですよね。航空写真だけでなく、ストリートビューなど、画期的です。

以前住んでいたことのあるロンドンのShepherd's Bushにあった下宿先を調べてみたら、しっかり、ストリートビューで確認できましたし、皿洗いをしていたレストランも、いまだに営業中だとわかりました。

ドイツのブレーメンで住んでいたところは、すっかり変わってしまっていましたが、デンマークのコペンハーゲンのユースホステルは、昔のままでした。

シンガポールで住んでいたSt Thomas Walkのアパートもなくなっていて、新しい高層マンションになっていました。

外国語は、もっと便利ですね。やる気さえあれば、もう、語学学校に行く必要もありません。

日本語から希望の外国語に翻訳してくれるし、その発音までわかります。

電話機能のあるSNSなどで外国人と話せば、簡単に外国語を独学できます。便利な世の中になったモノです。

もう、すっかり忘れてしまったデンマーク語も、翻訳機能を使って、発音してもらうと、だんだんと思い出します。

センター試験で有名になったフィンランド語だって、どんな言葉か、誰でもすぐに雰囲気はわかります。

当時は、フィンランド語を話す日本人から、フィンランド語を聞いて、それをカタカナでメモして、必死で覚えたモノでしたが、今なら、スマホがあって、wifiがあれば、話したいフィンランド語もすぐにわかります。

でも、メモして必死で覚えたフィンランド語は、半世紀近く経っても、まだ覚えているから不思議です。

フィンランド語は、アジア系の言語という説もあるそうで、母音が多いので、日本人には、発音しやすい言葉だと思います。正確な発音となると、どんな言葉でも、簡単ではないですけどね。フィンランドは、寒い国なので、大きく口を開けず、何となく、口の中でモゴモゴいっているイメージがあります。

日本人のことは、ヤパニライネンといいますが、人の名前の終わりに、〇〇ネンという人が多いので、パーヤネンとかアホネンといった名前が実際にあることも有名な話です。

フィンランドは、森と湖の国で世界三大親日国のひとつです。


2018年1月18日木曜日

孤児と洪水   ベトナムの民話から


 昔々、地上の人間たちが、あまりにも自信過剰で横暴になっていたので、天の神様が、人間たちを懲らしめることにしました。しかし、一人の仏様が、人間たちにもう一回機会を与えてから懲らしめてもいいのではないかと神様にお願いしました。神様も、情け深く、仏様を地上にやって、助けるべき正しい人間が、少しでもいるのか確かめてくるようにいいました。

 地上に降りた仏様は、薄汚れ、年老いた乞食の姿をして、正しい人間を求めて歩き回ることにしました。しかし、どこに行っても、人間たちは、寛大な心や親切や愛を忘れているようでした。

年老いた乞食が、少しだけ食べるものを恵んでくださいといっても、人々は、無視するか、うるさいからどっかに行けという人ばかりでした。子供たちは、親たちから、困っている人や運の悪い人を見たら親切にするように教えられていないので、乞食を見ると面白おかしくからかいました。挙げ句の果てには、乞食を、村から追い払いました。

 年老いた乞食は、村の外の森の中に入っていって、小さな川のほとりで、疲れて果てて、座り込んでしまいました。もう何日も食べていないので、疲れと空腹から、病気になってしまったようでした。体は、薄汚れていたし、服もぼろぼろでした。

 その川のすぐ近くに男の子と女の子の二人の孤児が住んでいました。二人ともそれぞれ両親がなく、二人は一つの家で、まるで兄弟のように助け合って、仲良く暮らしていました。二人は、毎日朝早くから、森の中を歩き回って、薪を集め、それを町の人に売って、生活していました。

 彼等は、もちろん貧乏でしたが、年老いた乞食を見て同情しました。二人は、乞食にわずかばかりの食事をあげて、お湯を沸かして、体を洗うようにいいました。乞食は、ここで二日間すごしましたが、二人が、心優しく、お互いに助け合う姿を見て、この二人こそ救われるべき人間だと考えました。

 三日目になって、乞食は、二人に大切な話があると告げました。

 「親切にしてくれて本当にありがとう。大切な話だから、2人してよく聞きなさい。まもなく、地上は洪水となり、水はあらゆるものを呑み込んでしまうことになる。もちろん、人間たちや生き物たちも死んでしまうことになる。お前たち二人は、このわたしに親切にしてくれたので、お礼にお守りを授けよう。」

 乞食は、自分の歯を一本抜いて、二人に差し出しながら、「この魔法の歯を、種として植えなさい。そして、毎日水をやりなさい。やがて芽が出て、蔓が延び、大きなカボチャがなるはずだ。カボチャは、どんどん大きくなって、二人が中に入れるくらいになる。」

 「このカボチャのことと洪水のことは、誰にも話してはいけない。ツルが枯れて、葉が落ちたら、カボチャの上の部分に穴を開けて入り口を作りなさい。そして、大雨が降り始めたら、このカボチャの中に入って暮らしなさい。それで、地上の人間や生き物たちが滅びても、二人は助かることが出来る。」と言いました。

 突然、乞食が、姿を変えて、白いあごひげをはやした美しく尊い仏様の姿になりました。最後に、二人に向かって、必ず救われるから、元気で暮らすのだよと言い残して、姿を消してしまいました。

 二人は、老人がいったように、もらった歯を森の中の人目につかないところに植えて、毎日水をやりました。しばらくすると、老人がいったように、芽が出て、ツルが延びてきました。カボチャの実がなって、少しずつ大きくなってきました。二人は、もっとお大きくなれと一生懸命世話をしました。カボチャの世話をしている間、二人は老人の言い付けを守って、やがてやってくる洪水の話もカボチャの話しも誰にもしませんでした。

 ある朝、最初の葉が落ち、だんだんとツルも枯れてきました。二人は、洪水がくる日が近いことを感じました。ツルが完全に枯れたので、二人は、カボチャの上によじ登って、岩のように固くて、皮が厚かったので大変な作業でしたが、やっとのことで入り口を作りました。そして、中をくり貫いて、二人が暮らす小さな部屋を作りました。

 それから幾日もしない日に、突然真っ黒な雲が大空を覆い尽くし、激しい雨が降り始めました。二人の小屋にも雨が降り始めたので、少年は、「ついに雨が来た。急いで、カボチャの中に入ろう。」と、少女に向かっていいました。

 二人は、カボチャのところまで走っていって、カボチャによじ登って、中にもぐりこみました。入り口から雨が入り込まないように、蓋をして、隙間には、カボチャのツルから作った繊維を詰め込みました。

 外では、激しい雷が鳴って、稲妻が走り、まるで滝から落ちる水のような大雨が、降り始めていました。すさまじい風が、カボチャをゆすりました。いたるところに水が溜まりはじめ、だんだんと池のようになってきました。水位が上がってきて、まず二人が住んでいた小屋が、水の下に沈んでゆきました。そして、堤防より水位が上がったので、もう見渡す限りが、大きな川になってしまいました。村の中の建物も、すべて沈んでしまい、村の人々は、老弱男女を問わず、すべて死んでしまいました。

 水に浮かんだカボチャの中の二人だけが、無事でした。二人は、あらかじめカボチャの中に用意しておいた食料を少しずつ食べて、何と三年間、カボチャの中で暮らしました。恐ろしい洪水も、だんだんと水位を下げて、ある日、カボチャが、地面に触れるのを感じた二人は、やっとカボチャから外に出ました。カボチャは、丘の上に辿り着いていましたが、見渡す限り、人っ子一人いませんでした。人間ばかりか、動物も小鳥も木も草もなく、ただ山と荒野があるだけで、二人はどうしたらいいものか分かりませんでした。

 二人が、荒野を見つめて途方に暮れていると、カボチャの種をくれた老人が再び現れて、二人に、「二人の乗ってきたカボチャの種を、丘の上にまきなさい。そして、ここで生活をはじめなさい。必ず幸せになれ。」といって、再び姿を消しました。

 二人は、カボチャの中に残っていたカボチャの種を集めて、丘の上に植えはじめました。すると種をまいたところから、人間が生まれ、生き物が現れて、村が出来ました。そして、だんだんと村は増えて、平野にも村が広がってゆきました。ですから、今日でも、ヴェトナムでは、平野よりも丘に住む人が多いのです。

 二人の孤児は、ずっと仲良くいっしょに暮らし、大人になったときに結婚して、末永く幸せに暮らしましたとさ。


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2018年1月17日水曜日

誇り高きヤモリ ラオスの民話から


 遠い昔、まだ天国と地上が、そんなに離れていなかったころの話です。人々は、天国と地上の間を自由に行き来することが出来ました。

 ある日、天国の王様が、地上にやってきました。王様は、天国だけではなく、地上の世話もしなければならなかったので、とても忙しく走りまわっていました。地上だけでも、人間だけではなく、たくさんの動物がいて、神様は、そのすべての世話をしていました。

 神様は、高い木の茂った森の近くを歩いていました所、どこからともなく、美しい鳴き声が聞こえてきました。王様は、何の鳴き声かわかりませんでしたが、コオロギが、美しく鳴くことは、知っていました。王様には、鳴き声がどこから聞こえてくるのかわかりませんでしたが、やっとのことで、一本の木の幹の中から聞こえてくることがわかり、中をのぞき込みました。

 仲には、コオロギではなく、トカゲによく似た一匹のヤモリがいました。王様は、ヤモリに向かって、今の美しい鳴き声は、おまえの鳴き声なのかと聞きました。ヤモリは、誇らしげに、もちろん私の鳴き声ですともと答えました。

 王様は、天国には、このような美しい音楽というものがないことを思い出しました。そこで王様は、このヤモリを、天国に連れて帰って、天国で音楽会を開くことにしました。

 王様は、天国のみんなが、すばらしいヤモリの音楽を聴けるようにと、天国に着くとすぐに音楽会の準備を始めました。天国のみんなが集まって、席に付きました。ヤモリはステージの中央に進み出ました。

 みんなは、いつ音楽が始まるのかと固唾を飲んで待ちましたが、ヤモリは、いつになっても何もしませんでした。ヤモリは、咳を繰り返すだけで、鳴き声を聞かせることは出来ませんでした。ヤモリは、はじめから、歌を聞かせることなど出来なかったのです。

 それを知った王様は、とても怒りました。ヤモリは、出来ないことを出来ると王様に嘘をついたのです。

 王さまは、鞭を取り出して、ヤモリを叩きました。何度も叩いたので、ヤモリの肌は、鞭の模様がついて、ざらざらになりました。

 叩かれるたびに、あまりの痛さに、ヤモリは、苦痛のうめき声をあげました。そして、悲鳴を上げたので、ヤモリの目が飛び出して、出目金の目のようになってしまいました。

 最後に、王さまは、ヤモリを地上に向けて、放り投げました。

 これが、どうして、ヤモリがあのような姿になって、奇妙な鳴き声を出すのかのワケなのです。


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2018年1月16日火曜日

目まい その後

自分で測定してみたら、血圧103-77 心拍数78 体温 36.7

昨夜は、いつもより早めに23:00に床につきました。そしたら、01:01:00頃目が覚めて、トイレに行ったら、回るは回る、便器も部屋全体が回っていました。

その後、また寝たんですが、朝起きた時には、目まいはおさまっていました。朝は、ネネが来て、起こしてくれます。

目まいやふらつきがある時には、脳梗塞の前触れもあるそうなので、いつも、両手の指の開閉とか両足の指を動かしてみたりします。

この目まいも、もはや持病になったかも。


2018年1月15日月曜日

目まい

さっきソファーから立ち上がったら、目まいがしました。

目がまわりそうで、真っ直ぐに歩けない感じ。

はじめてめまいを感じたときは、夜中に目が覚めて、起き上がろうとしたときに、部屋が回り始めて、びっくりしました。

もしかしたら、脳の病気かと心配しました。

目を閉じるとなんともないのですが、目を開けると、まわりの世界が回りました。歩くときには、どこかに掴まっていないと、転びそうな感じでした。

1日に数回、目がまわり、2~3日で、目まいは消えました。

そして、また忘れた頃に2回目のめまいが起き、3回目になると、もう、なれました。

テレビなどでも、メニエール病が話題になることもあるし、タイでは、両耳の中のリンパ液が不均等という病名がついているようです。

内耳にある耳石が、動いて悪さをするという説もあるようです。

わたしがなるくらいですから、運動不足に関係がありそうですが、わたしの個人的な考えでは、風邪をひく前兆ではないかと思っています。

ウィルスが、耳に入ると、目まいの原因になることもあるようです。

さっきトイレに行こうとして、目まいを感じ、なんとかトイレまで歩いて行って小用をたしていたら、目が回り始めて、ちょっとやばかったのですが、排尿後、飛び上がることを何度かして、水泳の時に耳に水が入ったあとみたいにしていたら、目まいは消えました。

まだめまいが起きそうな予感はありますが、また、運動をすればおさまるのではないかと思います。

今日は、風邪薬を飲んで寝ることにします。


大相撲中継

いろいろと話題の大相撲初場所が始まっていますが、テレビ中継といえばNHKの相撲放送ですね。

安定のNHKで、もう、放送内容も確立されていますが、かなりまじめですね。見ている人が、時間帯もあってか、やはり、高齢者が多いからでしょうか。

NHKのアナウンサーとその日の解説者との相性もあるようで、この2人は、何となく相性が悪いのではと思うこともあって楽しいです。

そんな中、今場所からインターネットのAmebaTVが、年6場所をネット生中継することになっています。

AbemaTVでの大相撲生中継では、場所中、毎朝8時30分から夜6時まで9時間半にわたって、「序ノ口」から「結びの一番」までの取組を完全無料で生中継するとのことで、今日、初めて見てみました。

見たのは、中入り後の少しでしたが、NHKに比べると、少しタイムラグがあるようでした。でも、映像の乱れもほとんどなくて、快適に見る事ができました。

特徴としては、若者向けということもあってか、解説などが、カジュアルでしたし、若者には、退屈かもしれない、何度も行われる仕切りの時間に、1分間のCMが入るようでした。

無料ですから、CMは当然ですし、工夫次第では、おもしろいかもしれません。同じようなモノばかりだと、ちょっと退屈ですけどね。

今日は、ゲストにファッションモデル、女優であり、女性アイドルグループ「夢みるアドレセンス」のメンバー志田友美さんが来ていて、相撲の素人として、いろいろとスイーツ親方としても有名な芝田山親方と楽しく参加されていました。

若者を相撲ファンにするためには、いい試みではないかと思いました。

でも、NHKの中継になれているわたしとしては、やはり、NHKの方が、見やすく感じました。

朝の「序の口」から、本当に見る事ができるのか、時間があればチェックしてみます。

相撲の方では、3人の横綱が三者三様の不安を抱えていて、見る方には楽しいです。

白鵬は、張り差しをしなくても、まだまだ強いけど、楽して勝つことは出来ないようで、後半に疲れがたまるのではないかと思いました。怪我をする可能性もでるかもね。

今日は、高須克弥院長先生が奥様と砂かぶりで観戦しているのが、何度も画面に映っていました。

NHKは、お客様の顔をけっこう映しているけど、お忍びできている人たちはいないのでしょうかね?

NHKは、懸賞旗のアップをしないようにしていますが、AbemaTVの画面では、アップで写ることもありました。


2018年1月14日日曜日

男のこだわり

接客業の人が男性のお客様を値踏みするときには、まず、腕時計を見、それから靴を見て、カバンを見るそうです。

腕時計や靴やカバンを見れば、だいたいの経済的なクラスがわかるし、センスの善し悪しがわかるのだそうです。

腕時計など、1万円以下から、1千万円を超えるようなモノまであるわけで、正確な時間を刻むだけではなくて、ブランドとか、宝飾品としての価値があるかどうかも大きいようです。

靴も1万円以下から数十万円もするモノまでいろいろですし、カバンも同じですね。

今タイでは、副首相の腕時計が大変な注目を浴びています。

昨年の内閣改造の記念撮影の時、首相府の庭で記念撮影をしたんですが、閣僚たちに南国の太陽が照りつけ、副首相が、思わず、右手で、日差しを遮ったところの写真が、テレビや新聞に載ったのです。

わたしなら、なんとも思わないわけですが、今の軍事政権が気に入らない人もいるわけですし、特に副首相は、防衛大臣をも兼務する、退役軍人で、いろいろな噂もある人物なんだそうです。

それで、その写真を見て、すごい時計をしているし、つけているダイヤの指輪も高価なものだと言い始めたのです。

それを機に、副首相のいろいろな写真をチェックして、つけている腕時計を査定しはじめたのです。

そしたら、2個が3個に、3個が5個に、5個が10個にと、ものすごい数の高級腕時計が見付かってきて、今日までになんと、22個の高級腕時計の写真が見付かっているんだそうです。

専門家に金額を査定してもらったところ、22個の総額は、1億円を超えているとか。

大臣たちは、就任時に、個人資産を公開しているのですが、そこに、これらの高級腕時計がないということです。そればかりか、軍人時代からの給与を総計しても、とても、そんな財宝を買うことは出来ないはずと、大きなスキャンダルとなってしまいました。

最初の頃、疑惑に対して、すでに亡くなった友人から借りている腕時計だと釈明していましたが、徐々に、沈黙し、捜査機関に任せてあるとのことらしいです。

今のネット時代、1枚の写真から、いろいろなことが特定されてしまいます。

腕時計の好きな人は、多くをコレクションしているそうですし、持っていれば、見せびらかしたい気持ちもわかりますが、ちょっと、政治家としては迂闊だったのかもしれませんね。

貧しく生まれ育った人が、急にお金持ちになったり、権力を持ったりすると、どうしても、成金趣味というか、お里が知れてしまうこともよくあることのようです。

国民の父として慕われたラマ9世は、生前、2~3万円のSEIKO SPEEDMASTERをお使いになっていらっしたとか。時には、数千円の使い捨てのような腕時計もされていたそうです。

ラマ9世のモットーは、「足るを知る」でした。


2018年1月13日土曜日

我が家のネコたちの体重測定

ミミ : 3.7キロ
首の皮膚病治療中

チャチャー : 3.5キロ

ねね : 3.0キロ

クロ : 3.7キロ
トイレの隣でウンチするイケナイ子。
おしっこはトイレでするのに。


The Strawberry Statement

日本語訳ですと、いちご白書で、フォークソングの題名「いちご白書をもう一度」の方が有名かもしれませんが、1970年代に公開された米国映画です。

ごく平凡な大学生が、ふとしたきっかけで知り合った女性リーダーにひかれてゆき、徐々に大学紛争に参加するようになり、やがて大学側の実力行使で講堂に立てこもる学生たちは次々に排除されて行く映画です。

最後の排除されるときの暴力シーンが、見るものをして、権力への怒りを感じさせましたが、時代は、ベトナム戦争が終わろうとしている時代で、学生運動も先細りになって、過激派だけが、暴走を始めていた時代でした。

この映画でタイトルバックで流れたのは、ジョニ・ミッチェルが作詞作曲した「サークル・ゲーム」で、バフィ・セント=メリーが1967年に発表したカバー・バージョンでした。


彼女の歌声が、独特のビブラートもあって、なにげに悲しくて、心にしみてきました。

歌詞もまたいいんですよね。「上がったり下がったりするメリーゴーランドの回転木馬のように季節はめぐり、私たちは、その『時の回転木馬』の上に縛り付けられているよう。」

「私たちは、過去の日々に戻ることは出来ないけど、たどってきた道を振り返ることは出来る。」

当時の歌には、こうしたキリスト教的な価値観の歌が他にもあって、The Byrdsの「Turn! Turn! Turn!」とかThe Rolling Stonesの「As Tears Go By」などにも、時のめぐりについての歌詞があります。

挿入歌も素晴らしい曲ばかりでした。

「サムシング・イン・ジ・エアー」(サンダークラップ・ニューマン)、「ヘルプレス」、「組曲: 青い眼のジュディ」(クロスビー、スティルス&ナッシュ)、「ローナー」、「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」(ニール・ヤング)、「平和を我等に」(プラスティック・オノ・バンド)

こうした曲を検索していると、当時のファッションなども懐かしいです。何となく、当時のファッションが、最近リバイバルという感じもします。


恐るべきネットの世界

日馬富士暴行傷害事件から、相撲界の話題が途切れませんが、テレビや週刊誌などで、いろいろな人たちが、コメントを出しています。

そんな中でも、相撲協会の評議員会議長の池坊保子さんが、話題になっています。

彼女の発言がネットなどで叩かれ、彼女はびっくりして、もう取材には応じないと決めたそうです。

ネットには、掲示板やニュースサイトがあって、いろいろなことが、瞬時に批判されたり、調査されたりしていることを知らない人が多いです。

有名人の写真が流出したりすれば、すぐに、本人の特定捜査が始まって、ほくろの位置とか、歯の並びとか、耳の形とか、もう警視庁も負けるんじゃないかと思われるくらいの捜査がはじめるわけです。

素人ですから、ピント外れもあるわけでしょうが、それでも、ネットの世界には、いろいろな専門家もいて、彼らが、掲示板などで意見を言い合って、捜査が進むと、意外と、すごい情報がでてきたりもするようです。

ですから、本人の知らないうちに、いろいろな情報が流れて、「あらま」と驚くことになってしまいます。

日馬富士暴行傷害事件に関しては、個人的にも興味があったので、自分なりの意見をどこかに書き込もうと思ったのですが、海外からですと、書き込みが出来ない有名掲示板もあり、Yahooニュースにコメントを書いてみました。

わたしのような素人の初心者でも、わたしのコメントに、1万を超える同意サインが付き、びっくりしました。コメントに対するコメントも100近くいただきました。

もちろん、そんなことは、1回だけで、他は、一桁から二桁、よくても最高の100分の1くらいですけどね。

とにかく、テレビの偏向報道は、知れ渡ってきているし、ネットに流れるニュースは玉石混淆で注意は必要ですが、SNSでもニュースは瞬時に拡散されるし、掲示板などの書き込みも楽しいわけですから、若者はテレビを見ないわけです。

わたしは、興味も無かったので、調べたりはしませんでしたが、女子アナのW不倫の話題があったそうで、その時に週刊誌に出た写真について、ネットの追跡班が、がんばって写真の場所を特定したそうで、騒ぎになっています。

グーグルアースは、便利ですが、恐ろしくもありますね。

とにかく、ネットの恐ろしさを知らないで現代社会を生き抜けませんね。

タイでは、こんなニュースも話題になっています。


2018年1月12日金曜日

豚3枚肉

若いとき、健康なときには、豚肉の脂身が、おいしいんですよね。


湯麺とか柔らかや焼きそばとか、豚3枚肉のスライスと野菜を炒めた、ちょっと焦げ目のついた脂身が、最高においしかった。

チャーシューとか豚の角煮とかも、脂身がおいしいんですよね。カレーでも、豚の3枚肉のブロックを大きく切って煮込むと、うまいんですよね。

歳をとったり、健康のことを考えるようになると、こうした脂身を食べるには、かなりの勇気も要りますし、食べても、若かった頃と違って、おいしくないです。

身体は正直で、やはり、年相応の食べ物がおいしくなりますし、運動量によって、必要なカロリーも違いますね。

タイでも、豚3枚肉のことは、ムーサームチャンといって、ムーは豚とか豚肉、サームは3,チャンは、階とか層とかいった意味です。

やはり、出っ張ったお腹を見て、からかうときに、ムーサームチャンといいますね。

タイでは、この豚3枚肉をまるごと油で揚げて、油を抜いたものを料理でよく使います。皮付きのまま揚げるので、揚げたてですと皮が香ばしくておいしいです。

生のままのブロックを薄くスライスして、野菜などと炒めるのは、世界共通でしょう。

わたしが、感激した豚3枚肉の料理としては、広東料理(客家)の梅菜扣肉があります。

豚3枚肉のブロックを厚さ1cm弱に切って、青菜の漬け物と醤油味で煮込んだモノですが、白いご飯と食べたら、もう、お腹いっぱいになるまでやめられませんでした。

お店によっては、具の入っていない肉まん、マントウと一緒にでてきます。

この存在を何年というか30年くらい忘れていましたが、昨年、偶然メニューにあったので注文をしてみたのですが、ちょっと失望でした。

庶民の料理なのに、なんか、高級料理になっていて、お味も、力強さに欠けている感じでした。

まあ、こちらの年齢や体調にも関係があったんでしょうけどね。

角煮は、自分でも時々自作しますが、梅菜扣肉は角煮とは違ったおいしさです。

豚3枚肉ブロックは、時々買いますが、使うときには、脂身の部分をカットして捨てています。

カツカレーなんかも、若いときにはおいしかったけど、もう、食べる前からお腹いっぱいになってしまいます。

とんかつは、とんかつで、カレーライスはカレーライスが、精一杯になりました。



2018年1月11日木曜日

時間のお話

今から25年くらい前に、「ゾウの時間 ネズミの時間」という本がでて、かなり注目されました。

生物の時間は、その大きさによって、速さが違っているということだったと記憶します。ネズミの時間は、象に比べるとかなり速く進むということです。

感覚的には、動きの速いネズミとゆっくりした動きの象さんというのは、わかりやすいです。

背の低い人と背の高い人とでは、時間の流れるスピードが違っているようです。確かに、人間でも、背の大きな人はのんびりしたイメージはありますよね。

もっと興味深かったのは、哺乳類の心臓は一生の間に15億回打つと終わりを迎えるという話で、心臓だけに注目するのなら、マラソン選手のように心拍数が60回以下の人は、わたしのように、心拍数が80回くらいある人間に比べると、長生きするらしいです。

心拍数から計算すると、人間の寿命は、26.3年と出てくるそうです。もちろん、心拍数には、個人差があります。

でも、実際には、もっと長生きしているし、100歳を超える人もいますよね。

縄文人の寿命は31年だったという推測値があるそうです。食事事情とか病気とか怪我とか、外敵に襲われるとかもあったでしょうから、まあ、今よりは、かなり短かったはずです。

ベルクマンの法則というのがあって、恒温動物においては、同じ種でも寒冷な地域に生息するものほど体重が大きく、近縁な種間では大型の種ほど寒冷な地域に生息するんだそうです。

確かに、北欧の人たちは、背が高いですし、クマなんかも、寒い地方にいるクマの方が大きいですよね。

アレンの法則ってのもあって、寒いところで暮らす動物は、外気に触れる部分が小さくなるんだそうです。

瞼については、氷河期に強いのは、一重まぶたとか言われてきましたが、寒いところでは、耳とか手足は、短い方が、体温の放熱も少ないし、凍傷になる可能性も低くなるそうです。

手足の短い日本人は、寒さに強いわけですね。耳が小さい人も、寒いところに先祖が暮らしていたのかも。

鼻は、熱帯に暮らす人の方が低いですよね。寒いところの人は、寒気を温めてから肺に送るため、鼻が高いとか。

話が、横道にズレてきましたが、身体の大きい人、のんびりしている人の方が、身体が小さくてセカセカしている人よりも、流れている時間が遅い分、長生きできるかもしれません。

まあ、寿命となると、生きている環境とか、食事、運動、ストレス、病気、怪我など、いろいろな要因もあるから、複雑です。親からもらったDNAも大きいです。

タイなんかは、環境に問題があり、大気汚染や、食の安全、交通事故や、犯罪など、まあ、ハイリスクです。

昔から考えるのですが、わたしは、子供の頃から、睡眠時間が短くて、昼寝も苦手です。

子供の頃から睡眠時間は6~7時間で、歳をとってきたので、もう5時間くらいです。

ですから、睡眠時間の長い人に比べると、同じ年齢まで生きても、起きていた時間には、かなり差があると思います。

睡眠時間が短いと、脳の老化が早まるという研究もあるそうです。

地球は球体ですから、赤道付近では、円周が約4万キロ、北欧などは、北緯60度くらいで、およそ円周は約2万キロと半分です。

その距離を1日かけて1周するわけですから、当然。1時間あたりに移動する距離やスピードが違います。何もしないでも、疲れ方が違うのかな? 老化には?

最近の体重計は、どこで使うかによっての誤差修正装置がついていますよね。地球上では、場所によって重力も違っていて興味深いです。

老化が進むと、1年が速く過ぎ去ることの理由はなんでしょうね。

ジャネーの法則は、あるかもね。

今年も、自分の無知をさらけ出しながら、好奇心を持って、いろいろなことを調べていきたいです。

2018年1月10日水曜日

長い鼻の王女  ミャンマーの民話から


 昔々、ある村に二人の男がいました。二人は、小作人として、いつも忙しく働いていましたが、収穫のほとんどを地主に持っていかれるので、貧しく暮らしていました。二人は、仲良しでしたが、いくら働いても少しも楽にならないことを嘆きあっていました。

 ある日、男の一人が、突然仕事を放り出して、「もうこんな仕事は、まっぴらだ。俺はこの村から逃げ出すことにした。もしも金持ちになったら、おまえも楽にしてやるからな。」と友人にいって、村を後にしました。

 男が、森にさしかかったときに、男は、近くにあるすべての木の匂いをかぎながら先に進みました。

 しばらくして、とても変わった匂いのする木に気が付きました。いったい何の木だろうかと、匂いをかぎました。匂いをかいでいるうちに、鼻のあたりがむずむずしてきましたので、どうしたのだろうと鼻に手をやって、男はびっくりしました。

 なんと鼻が、どんどん長くなってきているではありませんか。ついに1mほどに長さになってしまいましたが、男は慌てず、その木の葉っぱや樹皮や枝や根の一部を袋に入れて、先を進みました。

 男の長い鼻は、まわりの木に引っかかって、森の中を歩くのは大変でした。しかし、彼は、飽きもせずまわりの木の匂いをかぎながら、歩いてゆきました。

 そのうちに、今度もまた変わった匂いの木を見つけました。近くに行って、匂いをかいでいると、彼の長い鼻が、突然、縮み始めて、もとの普通の鼻になりました。今度も、男は、木の葉っぱや樹皮や枝や根の一部を袋に入れて、先を進みました。

 森から出たところに、小さな町がありました。男は、その街に住む独りの婦人の家に下宿することになりました。

 しばらくして、この婦人が、この国の王女のために、時々、美しい花束を届ける仕事をしていることがわかりました。男は、婦人の手伝いを一生懸命にして、婦人から信頼されるようになりました。

 ある日、男は王女に届ける花束に、鼻を長くする木の葉っぱや樹皮や枝や根のかけらを粉にしたものを、密かにふりかけておきました。

 婦人は、いつものように花束を持って、王宮に行きました。

 王女は、寝室に届けられた美しい花束を、いつものように手にして、匂いをかぎましたところ、みるみる鼻が長くなってきたのに驚いて、泣き叫びました。

 知らせを聞いて、王様がかけつけました。しかし、王様も王女の長くなった鼻を見てびっくりしてしまいました。王様は、とにかく国中のすべての医者を呼んで、治療させましたが、誰も、鼻を元通りにすることは出来ませんでした。

 王様は困り果てて、王女の鼻を元通りにした女性には、賞金を出すし、男性であれば王女と結婚させると国中におふれを出しました。我こそはとたくさんのものが王宮に入ってゆきましたが、誰も王女を治すことは出来ませんでした。

 花束に不思議な粉を振り掛けた男は、ゆっくりと王宮に入っていって、森の中から持ってきた、鼻を元に戻す木から作った粉を王女も鼻に振り掛けました。

 するとどうでしょう、王女の鼻が、元通りの普通の鼻になったので、王女だけでなく、まわりのものも、王様をはじめ、みんな大喜びをしました。

 王様は、喜んで、約束通りに、この男と王女を結婚させました。

 貧しい男は、今や、この国の王子になり、何不自由なく暮らしはじめました。

 この王子は、しばらくすると、使いを出して、残してきた友達を王宮に連れてくるように命令しました。そして、昔の友達との約束を守って、友達が王宮の中で働けるようにして、末永く仲良く暮らしましたとさ。


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2018年1月9日火曜日

明治維新と日本人

NHKの大河ドラマで「西郷どん」が、始まりました。

大河ドラマといえば、戦国時代か明治維新かというくらい、主人公が多い時代ですね。

歴史は、勝者の側から書かれるといいますが、敗者の側から描くのが歴史小説の醍醐味でもあります。

西郷隆盛は、西南戦争前は、勝者の側でしたが、西南戦争で敗者になったわけです。

わたしは、江戸時代は、それなりに平和だったのに、外圧によって、日本は開国し、一挙に帝国主義に走り、戦争ばかりやってしまった歴史に興味があります。

取るか取られるかの帝国主義において、軍拡に走り、戦争をしなければ、日本も東南アジアのように強烈の植民地にされたかもしれません。

でも、短期間の間に、造船技術や戦略を学び、武器の調達や開発・製造など、本当に信じられないほどのスピードでした。

わたしは、イギリスの東インド会社にも興味があるのですが、ユダヤ財閥の礎ともいえる彼らは、貿易から戦争もで、いろいろな分野で暗躍してきています。

日本人が優秀だったからだけでは理解できないほどの技術の進歩の裏には、東インド会社の技術者や教師たちがいたのではないかと思っています。

戦争には武器がいるわけですし、資金も必要です。武器も、使い方がわからなければ、意味が無いわけで、戦艦でも、航海術や武器を操る技術が無ければ、ただ海に浮かぶ鉄の塊です。

兵学校などでは、英語による授業が多かったです。でも、日本には、すでに優れた算術があったので、数学の計算には長けていて、すぐに理解されたようです。

戦艦からの砲撃とか、航空機への高射砲攻撃などの計算は、コンピューターのなかった時代は、非常に重要な学科でした。

明治期に作られた西洋式の建物でも、設計したのは、ヨーロッパ人です。鉄道でも航空機でも、みんなヨーロッパから入ってきたもので、技術者も同じです。

でも、日本人は、すぐに自分のものにしたし、日本的に改良もしました。読み書き・そろばんの底力ですね。

明治維新に活躍した多くの人たちは、下級武士たちで、みんながみんな、西洋の言葉や技術に長けていたとは思えません。裏には、武器商人たちや貿易商人たちがいたと、わたしは、妄想します。

伊藤博文ですが、イギリス留学は、1年に満たなかったのに、帰国後は、高杉晋作の通訳として、ユーリアラス号で艦長クーパーとの下関戦争後の和平交渉にあたったわけで、すごい仕事をしています。

下関戦争後の和平交渉では、イギリス側の通訳は、アーネスト・サトウで日本人みたいな名前ですが、スウェーデン系のイギリス人です。

妄想ですが、伊藤博文の留学やその後の活躍の裏には、東インド会社の手引きがあったのではないかと思います。

下関戦争とともに有名なのが薩英戦争ですが、どちらも、イギリスが、兵器の力の差を見せつけて、日本は、徐々にイギリスから、戦艦も武器も購入するようになっていきました。

へそ曲がりな見方をするのなら、武器商人たちが、デモンストレーションで、小規模な戦争を起こし、自分たちの優れた武器を売りつけようとしたとも思えますね。

グラバーや坂本龍馬なども武器商人として暗躍した時代でした。

時代は、米国の南北戦争が終わり、武器商人たちは、新たな市場を求めて、日本やアジアに来ていたワケです。

尊皇攘夷運動などの内戦・内乱は、武器商人たちにとっては、おいしいわけです。米国の南北戦争で売れ残った兵器が、日本に流入したそうです。

内戦・内乱で一儲けの武器ビジネスは、現在でも同じですよね。

アームストロング砲というイギリス製の大砲も、不良品で返品や受注キャンセルが多かったので、日本に売られたという話もありますね。

そして日本は、どんどん戦艦を作り、どんどん兵器を購入し、日露戦争では、とんでもない巨額な戦争資金をイギリスにあるユダヤ財閥から借金をしました。

イギリスにとって都合のいい政治家や軍人が、ますます権力を拡大し、時代は戦争へと突入していったという考え方も、最近では、珍しくなくなってきています。

西郷隆盛は、そういった権力闘争に負けてしまったのかな?


知らないことがいっぱいだった大相撲

日馬富士の暴行傷害事件は、加害者の日馬富士に罰金50万円が科せられ、一応刑事事件としては、結論がでています。あとは、賠償金などを求める民事裁判でしょう。

しかし、この事件で、相撲協会のいろいろなことが、外部に知られるようになり、相撲ファンの中にも、わたしのように、知らないことがたくさんあったと驚いている人たちもいることでしょう。

わたしの世代ですと、大相撲との出会いは、テレビ放送の普及とかぶっています。

まだ、さほどテレビが普及していなかった時代は、近所のお金持ちの家にしかテレビはなかったわけで、大相撲中継を見るためには、そのテレビのある家にいって、見せてもらうしかありませんでした。

普段の悪ガキたちの序列も、テレビを持っている家の子が、上位になるわけです。嫌われたら、見る事ができないから、ある意味、ゴマすりなども覚えます。

テレビがある家は、ただでさえお金がある家ですし、テレビを見せてやっているという優越感も持つわけで、悪ガキたちは、薄汚れた野良犬同然の扱いを受けても、我慢するしかなかったわけです。

そんなわけで、子供の頃から、大相撲は、好きで、ある程度の知識もあると思っていましたが、大相撲の裏については、詳しくは知らなかったわけです。

協会執行部と貴乃花親方の対立では、理事会とか力士会とか、危機管理委員会とか評議員会とか、組織としてのの構図にも詳しくなりました。

そして、今度は、立て行司式守伊之助の酒癖の悪さから起きたセクハラ問題で、行司のことにも詳しくなってきました。

NHKの大相撲中継では、時々、行司さんや呼び出しさんにも注目して紹介されてきましたが、聞き流すというか、さほど真剣には見ていなかったわけです。

今回学習したことは、行司さんも相撲部屋に所属していることで、そんなことで、公平な裁きが出来るのだろうかという疑問が浮かびました。

例えば、今回の立て行司式守伊之助と横綱白鵬は、同じ宮城野部屋に所属していて、式守伊之助の付け人を白鵬がやっていたこともあったそうで、言ってみれば、兄弟弟子なわけです。

若い頃から同じ釜のめしを食って育ってきた2人の間には、やはり、特別な思いがあってもおかしくないわけで、最近話題になっている、白鵬の立ち合い、張り差しについても、関係があるのではないかと思うわけです。

白鵬の場合、張り差しは、右手でも左手でも出来るわけですが、基本は、左手で張って、右からのエルボーです。

立ち合いの張り手を繰り出す場合には、鍼をする側の手が、完全に土俵につく前に立つことが多く、それは、本来は、手つき不十分で仕切り直しのはずです。

相手より先に立つことは、有利になることが多いからです。まして張り差しに行くときは、立ち合いが相手より早い方が間違いなく有利です。

その手つき不十分の判定は、行司と審判員がします。対戦相手も待ったできますが、一瞬のことで、白鵬に待ったをかける対戦相手は少ないです。

相撲協会全体に、白鵬に対する遠慮があるような今、同じ部屋に所属する行司が、公平なのかどうか、わたしは、疑問なわけです。

現在の第40代式守伊之助は、2013年11月場所から式守伊之助となり、行司の最高位木村庄之助がいた、2015年3月場所までは、結び前の一番を努めましたが、木村庄之助引退後、空位になっているので、式守伊之助は、結びとその前の2番を努めているわけです。

わたしのような疑問を持つ人もいるわけで、行司が、相撲部屋に所属しないで、行司部屋というのもあったそうです。

1957年に行司部屋が出来、全員が所属したものの、経済的理由から1973年に今のように相撲部屋に所属するようになったそうです。

疑惑防止のためにも、行司部屋が独立すべきで、協会から、行司部屋の運営費がでるのが普通だと思うけどなあ。

呼び出しさんにもいろいろな階級やお仕事があるそうで、勉強になります。

取り組み前に両力士を紹介するのが主な仕事の呼び出しさんですが、行司さんでもそうですが、力士のしこ名の呼び方には、個性があるし、音痴の人もいるようで、ちょっと注意をして聞くとおもしろいです。

力士名を呼び間違えた人もいます。いろいろと調べてみると、大笑いしちゃうような間違いもあったようです。

しこ名には、似ている名前も多いですから、覚えるのも大変ですし、勝敗でも、さすがプロで、本当によく見ていると思います。スローのビデオ判定で、そのすごさがよくわかることも多いです。


2018年1月8日月曜日

タイの牛肉事情

ナホトカ航路の船中で出された牛肉もまるでタイヤを囓っているようなすさまじさでしたが、タイに来た当時の牛肉も、なかなかのもので、タイでは、鶏肉と豚肉以外はダメだと言われていました。

わたしは、子供の頃から鶏肉が苦手ですから、もう豚肉一択だったわけです。

でも、中華とかイスラム料理にある業肉には、まあまあおいしいものもありました。タイ料理なのか正確にはわかりませんが、ヌアトゥンといわれるトロトロになるまで煮込んだ牛肉のスープは、おいしいです。

マサマンというイスラムのカレーには、チキンとビーフがありますが、ビーフは、甘口のビーフシチュー的なおいしさです。

同じくイスラムには、オックステールスープもあって、これは、お薦めです。牛の尻尾のぶつ切りを煮込んだスープで、味付けは、辛くてしょっぱくて酸っぱいです。

ステーキとなると、高級な店でしか食べることが出来ませんでしたが、タイフレンチという牛肉が出てきて、まあまあのステーキも家で焼けるようになりました。

でも、霜降りとか高嶺の花で、日本からの輸入肉は、べらぼうな値段でした。

タイ人も霜降りが好きで、高級松阪牛とか、神戸牛とか、タイ人の間でも知名度は上がりましたが、一般庶民には、高嶺の花でした。

日本でも、最近は、霜降りは健康上問題だからと、赤身に注目が集まってきているそうですが、柔らかくて柔-ジューシーな霜降り比べると、赤身は、ちょっとかためでパサパサしているイメージがあります。

そこで、注目されているのが、熟成肉です。熟成肉は、極端に言えば、腐りかけの肉で、肉が軟らかくて、うま味もすごくて、おいしくなっているそうです。

芸術でも、廃退寸前に素晴らしいものがあるとか言われますし、人間でも、堕落している人に魅力を感じることもあるわけですよね。

熟成肉には、ドライとウエットの2種類があるそうで、ドライは、手間もかかるし、お値段が高いけど、お肉のおいしさは、さすがだそうです。

ウェットの方は、作り方が手軽な分、お値段は安いですが、お味の方は、ドライにはかなわないようです。

最近、話題になっている熟成肉の店があるというので、行ってきました。


アメリカ大使館の正面にあるARNO'Sという店ですが、どんどん店舗を増やしているそうです。
ニューヨークスタイルというのか、カジュアルで、肩のこらないいいお店でした。


 こちらは、Tボーンステーキで、800グラムちょっとで1100バーツちょっと。
Tボーンですから、T字の骨を挟んで、サーロインとテンダーロインを同時に楽しめます。


こちらは、リブアイで脂身もある部位です。400グラムちょっとで600バーツちょっとのお値段でした。

お肉は、1つ1つ真空パックされてケースに並んでいるので、自分で、重さや料金を確認しながら選ぶことが出来ます。

この店では、45日間熟成、75日間熟成、125日間熟成と選べました。75日間の熟成肉を注文してみました。

今回は注文しませんでしたが、シーフードもありました。

サラダやスープやパスタ類もあり、みんなでシェアすれば、いろいろと楽しめます。

ランチは、ハンバーガーが売れているとか。

今回学んだことは、ウェットで作られた熟成肉は、間違いなく柔らかいですし、うま味も増して今しているように感じました。

しかし、部位によっては、ぱさつきを感じるものもあるし、レアーで注文して鉄板に乗せてもらわないと、すぐにウェルダンになってしまい、柔らかさも半減します。

今回食べての個人的な感想では、サーロイン<リブアイ<テンダーロインでした。

北海道産ホタテのパスタもおいしかったです。

今回は、5名でお腹いっぱい食べて、総額で3500バーツ弱。コスパはいいと思います。

ワインを持ち込みましたが、持ち込み料も無料でしたし、店の前で写真を撮っていたら、スタッフが近寄ってきて、写真を撮りましょうかと声をかけてくれるフレンドリーなお店でした。


2018年1月7日日曜日

タイランド4.0

タイは、軍人のプラユット首相が、いろいろな批判を浴びながら、がんばっていますが、今年は、民政への移行の年とも言われ、これから、どうなっていくのか、国民は関心を持ってみています。

そんなタイで、昨年から、よく耳にする言葉が、「タイランド4.0」です。ちょっと気になったので調べてみました。

タイは、常夏の国で気候にも恵まれ、一時は食糧自給率が300%とも言われた農業国でしたが、戦後になると、徐々に軽工業も増えてきて、80年代まで、順調に発展してきました。

そして、その後は、プラザ合意以降、外国企業の進出の本格化を背景に「重工業」、「輸出指向」、「外資導入」で東南アジアの優等生になりましたが、政治の混乱もあり、「中所得国の罠」といわれる、今までの戦略での伸び悩みから、どのように進んでいくのかが、重要なポイントとなっていました。

そこで、ドイツの「インダストリー4.0(Industrie 4.0)」を参考に考えられたのが、「タイランド4.0」です。

ドイツの「インダストリー4.0」は、おおざっぱに言えば「工業のデジタル化」だそうで、タイも、第一段階の農業、第二段階の軽工業、そして第三段階の重工業の次にデジタル化された産業でのステップアップを計画しています。

目標は20年先で、それまでに「イノベーション」、「生産性」、「サービス貿易」をキーワードとする付加価値を持続的に創造し、すでに始まっている少子化に対応し、経済成長を目指すようです。

安い労働力を外国企業に提供する時代から抜け出したいと願うのは当然で、デジタル社会では、教育のボトムアップの重要性もあるので、学生が不足する日本の高専などにも、可能性ある学生を送り込むプロジェクトもスタートしたようです。

アジアのリーダー日本も、もっともっと、教育に力を入れないと、日本に追いつけ、追い越せの国々がいっぱいです。


2018年1月6日土曜日

ミミの寝相





体長を計ってみたら、頭から足の先っぽまでで70センチ強でした。
ネコは、手足が短いので、こうした寝相の時は、メチャ可愛いです。



過呼吸や憑依について

大晦日の紅白歌合戦では、「欅坂46」のメンバーが、過呼吸と思われる症状で倒れたことも話題になりました。

NHKの生中継でのことで、その時を見ていた人もたくさんいたはずで、わたしも、びっくりでしたが、紅白歌合戦は、何事もなかったように、進められていました。

カメラが司会者に切り替わったとき、後ろの審査員席にいた吉岡里帆さんが、心配そうにステージを見ている姿はありましたけどね。

過呼吸になる原因には、いろいろなことがありそうですが、睡眠不足とか、ストレスや緊張、そして激しい運動などもあったのではないかと思います。

過呼吸と言えば、AKB48の前田敦子と大島優子が、ステージ裏で、過呼吸になっている様子が、ドキュメンタリー番組で放映され、YouTubeにアップされていました。

年頃の女の子たちが、集団で、極限状態に近いところまで歌ったり踊ったりすると、ある種の集団ヒステリー状態のようになるのかもしれません。

過呼吸になったら、紙袋などで口と鼻を包み込み、ゆっくりと深呼吸をすればいいと言われていましたが、酸素不足になる恐れもあるので、途中で普通に呼吸させるなども必要なんだそうです。

欅坂はほかのAKBグループと違い、暗い曲が多いし、センターの平手さんは“憑依体質”で、曲の世界観にどっぷり入り込んでしまうという話もあるそうです。

憑依(ひょうい)というと、日本には、狐憑き、神宿り、憑き物などの言葉もあるように、古くからあることですね。

ある種の催眠状態というか、トランスらしいのですが、宗教なんかにも登場してきます。

カルト宗教の洗脳などでもテレビなどで語られましたが、心身を極限状態に追い込んだ状態では、理性が失われて、洗脳されやすいのだそうです。

日本では、民間信仰の教祖さまとか、修験道などに、神宿りは見られることがあります。

わたしは、小学生だった頃、御嶽山に祖母と登ったときに、こうした先達さまと一緒でしたので、行く先々で、先達さまが神がかりになって、ワケのわからない言葉を発し、それをお付きの人が、普通の言葉に翻訳していましたが、小学生のわたしは、信じませんでした。

ただ、わたし自身が、憑依体質かもしれないです。まあ、多くの人が、第6カンとか、胸騒ぎとか、経験あるはずですよね。

タイでも、こうした民間信仰は多くて、あやしい黒魔術とかは有名ですし、昨日のテレビでは、ヒンズー教的な踊る宗教とかやっていました。

信じて、お金をいっぱい寄付する人たちもいるようで、驚きます。まあ、信仰は自由だと思いますし、そうした信仰で救われる人もいるわけで、詐欺まがいや反社会的でなければ、いいんじゃないかと思います。

西洋では、精神的な病や女性に多いヒステリーからくる特異な状態や奇妙な行動に魔女という概念を結びつけ、長い間魔女狩りも行われてきました。まあ、ある種の集団的なイジメなわけですが、いじめる側こそが、集団ヒステリー状態で、理性を失っていたと思います。

ドイツにいたときに、古いお城を見学に行って、そこにこじんまりとした拷問博物館があったので驚きました。

魔女を拷問したり敵を拷問したりしたのでしょうけど、金属で出来た拷問の装置は、ドイツの精密工業の礎ではないかと思いました。

撮影禁止だったかどうかも思い出せませんが、写真に収めておけばよかったと後悔しています。


2018年1月5日金曜日

真珠の首飾り戦略

無知をさらけ出すようで恥ずかしいのですが、「真珠の首飾り戦略」というのを知りませんでした。

最近は、「一帯一路」の方は、よく耳にしますが、「真珠の首飾り戦略」というのは、はじめて知りました。

一帯一路の陸の部分は、中国からヨーロッパへと続くシルクロードで、それに対して、海の方にあるのが、「真珠の首飾り戦略」ということらしく、香港から東シナ海を南下して、カンボジア、マラッカ海峡、ミャンマー、バングラデシュ、スリランカ、パキスタン、アラブ諸国、アフリカ東部とインド大陸にかかる首飾りのようなルートなんだそうです。

これに、インドネシアとか、オーストラリア北部とか、いろいろな拡大もあるようです。

中国は、中東からの原油を安全に運ぶために、船舶の中継地点をおさえ、湾岸設備へ投資し、そこに運営会社を作っているわけですが、戦略的に、国家財政の苦しいところに、美味しい話を持っていって、投資した分を回収する段になって、お金を返せないのなら、運営権を全部くださいとやっているようです。

まるで高利貸し “借金のカタ”でスリランカの港を奪った中国のやり口とは

中国としては、当然の戦略でしょうけど、やり方が露骨で、反発も出てくるのではないかと思います。

オーストラリア北部ダーウィン港なんかも、中国からの多くの観光客が来て、お金を落とすからなどと美味しい話に乗せられ、スリランカと同じ運命か?といった話もあるようです。

中国にとっては、仲の悪いインドが、頭痛のタネで、インド包囲網でもあるように見えます。

最近話題になっているミャンマーのロヒンギャ問題でも、実は、中国のパイプライン建設と道路の整備、港湾整備プロジェクトが関係しているという話もあります。

ミャンマーとバングラデシュとの国境付近の港から、パイプラインで直接中国に原油を送れたら、それは、中国にとっては、大きなメリットです。

日本も、かっては、マレーシア半島の付け根部分にあるクラ地峡に運河を建設して、マラッカを通らなくてもいいようにと計画していましたが、実現されず、今は、ミャンマーのティラワ国際港から、陸路でタイ、カンボジア、ベトナムまで運ぶプロジェクトが進行中です。

どこの国も、マラッカ海峡など通りたくないわけですが、シンガポールに大きな利権を持つ、国際的な巨大企業群が、いろいろな妨害をしてきた歴史もあるようです。

高速鉄道でもそうですが、日本が先行して計画すると、豊富な資金力で、中国が、競合し、落札し、日本は、どんどん取り残されています。

日本国内でも、中国企業が、水源地を手に入れたり、かなりの不動産が、中国資本のものになっているそうですが、原発や自衛隊基地の近くの土地を自由に外国人に所有させていいのでしょうかね。

中国は、軍事力だけでなく、経済力や、移民などを使って、中華大帝国を建設していくのではないかと妄想すると、恐ろしいです。

日本には、中国から、侵略されても、ハイどうぞと領土をさしだした方がいいと考えているような恐ろしい人も実際にいるようですから、そちらの方も恐ろしいです。


2018年1月4日木曜日

2018年もよろしくお願いします。

紅白歌合戦は、思ったほど視聴率が高くないどころか、史上3番目に低かったそうです。

でも、若者のテレビ離れもあるし、好みの多様化や、他チャンネルの努力もあって、充分りっぱな視聴率だったと思います。

内村さんの優しさ溢れる総合司会は、よかったと思います。

2018年は、「優しさ」の年になって欲しいな。

NHKは、すべての国民から受信料を取ろうとしている以上、すべての国民から支持される番組創りと経費の削減に努力して欲しいですよね。

今回は、テレビ東京の中高年をターゲットとした歌番組に、かなり喰われたのではないかと思います。あれに、もっとグループサウンズとか、フォークの神々とかでてきたら、もっと注目されたのではないかと思います。

他に注目を集めたのは、RIZINと朝青龍でしょうね。格闘技好きは、男性ばかりではなく、女性にも増えているようです。

日本の格闘技もレベルアップしてきていますが、柔道や柔術の本家として、寝技、絞め技、関節技をもっともっと強化して欲しいです。

大相撲の朝青龍や白鵬でも注目されるように、モンゴルは、柔道でもレスリングでも日本のライバルになってきています。今回の朝青龍の企画は、大相撲のルールに近いルールでしたので、今度は、柔道のルールで朝青龍を日本の柔道家に倒して欲しいですね。

格闘技に限らず、世の中には、いろいろなルールがあり、統計なんかは、どんな基準でデータを集めたのかによって、結果は大きく変わってきます。

自分にとって都合のいいルールというのが、世の中には氾濫しているから、本当に公平なルールなのかを見極める目も重要です。

さて、大晦日の番組では、紅白の次に視聴率を稼いだのが、ガキの使いでしたが、浜田さんが、エディー・マーフィーの真似で、黒塗りの顔で登場したことが、問題になっています。

差別ではないのだから、いいんじゃないかという声も多いそうですが、これこそ、アウトですね。ケツバットです。

ユダヤ人問題や黒人問題は、シャレにならない国際問題に発展しかねないことだと、テレビ関係者たちは、肝に銘じておくべきです。

日本人は、イジメに対して、鈍感すぎます。

脳科学者の中野信子さんは、貴乃花イジメに関してのコラムの中で、こんな事を言っています。

「人間の脳内では安心感を抱かせ、やる気を出させるセロトニンという神経伝達物質が分泌されているが、日本人はセロトニンを再利用するセロトニントランスポーターの量が少ない人が極めて多く、世界一不安になりやすい民族といえる。そのため、「裏切り者検出モジュール」の感度が高く、フリーライダーとはいえない人までも「将来的な不安の種」と認識し、過剰に排除してしまう。これが「いじめ」のメカニズムだ。」

「村八分」とか、「出る杭は打たれる」とか、日本人は、排他的になりやすい民族ですが、それが故に、イジメに対する感受性が鈍ってしまうことがあり、イジメている自覚がなかったりもします。

イジメられる側にも問題はあるというのもよく言われることです。確かにイジメに至るまでには、いろいろな要因もあり、原因もあるはずですが、忘れてはならないこととして、理由如何にかかわらずイジメは悪いということです。

わたしは、関西の漫才師たちに多い、ドツキ漫才が嫌いです。頭を叩いて笑いをとることは、実に不快です。

関東でもカミナリなんか、叩かれる方の脳を心配しちゃいます。もちろん、あれもある意味ワザでしょうし、思うほどの衝撃はないのでしょうけど。

ダウンタウンの笑いは、ドツキであり、ケツバットだと思うんですよね。お互いの呼吸が合って、ある意味笑いの会話が続いていくわけですが、でも、やっぱり、イジメですし、見る側が、イジメに鈍感になってしまう可能性も強いです。

ベッキーにタイボクシングのキックを受けさせるのも、ある意味、イジメでしょう。DVが、問題になっている今、女性に対する暴力は、いけませんね。

で、黒人問題に戻りますが、いくら、現在の日本の若者たちにとって、黒人は、かっこよくて、スポーツや芸能で憧れだとしても、米国では、白人によって、顔を黒くして、黒人を卑下し、笑ってきた歴史があり、そのことを反省し、顔を黒くすることに対する抵抗があるわけです。

ですから、ユダヤ人たちが、ナチスを非難し続けるように、黒人問題には、敏感な人たちがいることを日本人は学習すべきです。

冗談ではすまされない問題なんですよね。

学問として、ユダヤ問題や黒人問題を研究し、そこから発せられる主張であるのであれば、大いに議論すればいいと思うけど、お笑い番組の中では、誤解されるのが当然です。

今年も、テレビばかり見る不健康な毎日になりそうですが、皆様は、健康な毎日をお過ごしください。今年もよろしく。