2022年7月31日日曜日

三つ子の魂百まで その2

 生前の両親の話によると、私は祖父からとてもかわいがられていたんだそうです。

世の中でよく言われるように自分の子供には厳しかった祖父が、まわりが驚くほど、孫の私をかわいがっていたそうです。

そんな祖父が、私がまだ物心つくかつかない頃に亡くなったことで、私は、かなり泣き叫んでいたそうで、火葬場に連れて行ってもらえなくて、霊きゅう車を走って追いかけていた記憶があります。

あとからまわりの話を聞いて記憶と思っているのかもしれませんが、とにかく、私は、子供のころから死とか死体を異常に怖がるようになりました。

初めて死体をまじまじと見たのは、タイで暮らし始めてからです。

そんな私ですから、母が他界したときでも父が他界したときでも、タイから急遽帰国して葬儀や荼毘には間に合いましたが、大好きな母でも父でも、遺体に触れることができなかったばかりでなく、遺骨を骨壺に入れるときに素手で触れなくて、弟に馬鹿にされました。

もう一つ、子供のころの恐怖といえば、5~6歳のころ、伯母さんの家族と一緒に海水浴に行ったときに、年上のいとこたちに海に放り投げられて、一瞬、おぼれ死ぬかと思った恐怖でした。

海中で砂が巻き上げられている中でもがく自分を覚えていて、息苦しくて怖かった。

もしかしたら、本人がおぼれ死ぬと思っていただけで、たした時間ではなかったのかもしれないし、すぐに助けられたのでしょうけど、それから、ずっと水が怖くなりました。

小学校でも中学校でも、夏が嫌いでした。理由は、プールの時間があったからで、プールに入るだけで息苦しくなって怖くなりました。

だから、いつのころから、おなかが痛いとか、風邪をひいているとか嘘をつくようになり、仮病で水泳の時間から逃げていました。

たぶん、教師やクラスのみんなにはバレていて馬鹿にされていたと思うけど、本人は必至なわけです。

あれは惨めでした。

でも、中学3年の時に、体育の教師から、水泳で300メートル泳げない奴には、高校入試のための内申書は書かないと宣言され、仲のいい同じように泳げない友達と夏休みの間、毎日のように市民プールに通って、水になれるところから始め、水に潜る練習をし、手足を見よう見まねで動かし、徐々に泳げるようになることができました。

夏休みが終わって最初の水泳の授業では、300メートルを平泳ぎで泳ぐことができて、教師から褒められ、うれしかったです。

でも今でも水は怖いです。

2022年7月30日土曜日

三つ子の魂百まで

子供の時の性格は歳をとってもなかなか変わらないということなんですが、私は、鶏肉を食べません。

他にも内蔵類は食べませんし、川魚とかウナギも食べません。

私は、地方都市生まれで、子供のころはまわりが田畑の田舎でしたので、今では考えられないこともいろいろとありました。

その一つが、家では卵を食べるために鶏を飼っていましたし、子供のためにとヤギを飼っていて、私はヤギの乳を子供のころは飲んでいました。

それで、父親が、鶏を殺しているところを子供のころに見ちゃったんです。

父が、来るなといったそうですが、来るなと言われたら、子供は来いといわれたと勘違いするわけで、父の作業を見てしまい、その時から気の小さい私は、鶏肉が食べられなくなりました。

学校の給食でも鶏肉が出ると、もうだめでした。昔の鶏肉?は、鳥肌がついていて、あれも気持ちが悪かったです。

川魚は、川に大量の魚が死んで浮いているのを見てダメになったし、ウナギは、やはり父親が生きているウナギをさばいているのを見て、さばかれてもまだ苦しそうに動いているのがだめでした。

考えてみれば、豚肉でも牛肉でもマグロでも、さばかれているところを子供のころに見なかっただけで、残酷なわけですが、見ないものは残酷ではないようです。

ウナギなんか、昔から高級な食べ物ですが、家族がウナギの時は、私だけが、かつ丼とか焼きサバを食べていました。

今でも鶏肉とかウナギとか内臓とかゲテモノは食べませんが、精神的なものですから、知らないでいれば食べちゃうことはあります。

味で分かった瞬間やめることもあります。

ロンドンに行ったばかりのころ、自分の部屋が見つかるまで、知り合いの部屋に居候をさせてもらったことがあったのですが、その知り合いが、当時ケンタッキーでアルバイトをしていて、仕事終わりにケンタッキーフライドチキンを持ち帰ってくるのですが、いくらおいしそうなにおいがしても、空腹でも勧められても食べませんでした。

仕事場に遊びに行ったことがあったんですが、衣をつけた鶏肉を圧力鍋でフライにするところで、蒸気がバルブから出るときが印象的でした。

当時のロンドンでは、夜中にケンタッキーのお店がよく襲われてガラスのウィンドウなどが割られていましたし、地下鉄でIRAによる爆弾テロも頻繁に起きていました。

何日かして、夜中にめちゃくちゃお腹がすいて、薦められるままつい空腹に負けフライドチキンを食べてしまいました。食べないはずのものを食べただけではなく、おいしいと思ったことが情けなくて、涙が流れました。

その後、皿洗いをしたレストランで、シェフがこっそり食べさせてくれたフォアグラのバターソテーもおいしく食べたし、空腹の前には好き嫌いも関係ないと知りました。

今貧困の問題もいろいろと話題の日本ですが、本当に空腹であれば、賞味期限が多少過ぎていても、関係ないですし、うっかり床に落としてしまったものでも食べちゃうでしょう。

あの戦後を生き抜いてきた日本人の子孫だから、その気になれば、まだまだ食べるものも仕事もある日本ではないかと思っちゃいます。

不法滞在の中国人なんか、人の土地とか河原で野菜を作ったり、無許可でシジミなどの貝を取って売ったりしているそうで、なかなかの生命力だと思います。

もちろん、不法滞在の外国人はどんどん捕まえて強制送還すべきでしょうけど、困った日本人が同じことをしたのなら、限度にもよりますが、生きるためなら許してもいいような気がします。

2022年7月29日金曜日

チャチャーの傷

 我が家には同じ両親から同じ日に生まれた4姉妹の猫がいます。

茶色系と黒色系が2匹ずつで、普段は仲良くしているのですが、なぜか、茶色系と黒色系が、時々威嚇しあったり、ケンカしたりしています。

喧嘩をしているところを見ているわけではないのですが、以前にも、誰かの爪がミミの目に入って、病院に連れて行ったことがあり、すぐに傷が消えたので一安心でしたが、チャチャーが、やはり目に傷を負った時には、医者に診てもらっても、傷は残り、今でもはっきりと傷があるのがわかります。

医者の話でも、たぶん、視力に問題はないだろうとのことですが、でも、見るたびにかわいそうです。

そんなチャチャーは、4匹の中では一番ペルシャの血が濃いのか、鼻ぺちゃですし、目ヤニがひどくて、すぐに目のまわりに初めて化粧する人がアイラインを引いたような濃いアイラインになります。

今月の10日ごろ、目ヤニのお掃除をして、ふと頬に触ったら、何か傷があるようで、注意深く見たら、腫れていて、膿を持っているようでした。

驚いて翌日医者に診てもらったら、ケンカしてできた傷なのか、吹き出物なのかはわからないけど、かなり化膿がひどいからと、傷を切開して膿を出して、消毒をしてくれました。

抗生物質を処方され、毎日朝晩一錠ずつ飲ませました。

4匹ともお薬を飲ませるときには苦労するのですが、運よく今回は、ほとんど暴れることなく、1週間、すべて飲ませることに成功しました。

最初は、傷跡から出血があって、見るからに可哀そうでしたが、なめたりひっかかないようにエリザベスカラーを付けました。

写真がへたくそでよく見えませんが、血がにじんでいます。

傷の位置が口に近いところで、包帯の意味がないし、バンデージもモノが食べられるようにするには、ほとんど貼れないところで、困りました

最初は毎日消毒に行き、徐々に一日おきから三日置き、1週間に一度となりました。傷の治りは、かなり順調で、本当に良かったです。

途中で、仰々しく包帯を巻いてくれるのは治療費のためで、絆創膏だけでは、いくらも請求できないからじゃないかとか、ひそかに思っちゃいました。

こちらは10日目くらいかな

こちらで2週間目くらい

こちらが今日の傷跡で、もうほとんどふさがっています。

なんだかんだで3週間以上かかりそうですし、治療費も、合計すれば5,000バーツを超えそうです。

エリザベスカラーを付けているとエサを食べにくそうなので、食事の時にはカラーを外して、爪で傷をひっかかないように見張っていなければならないですし、人間も猫も健康が一番ですね。

歯の話

 人間の寿命が延びたことで、昔は、乳歯から永久歯に生え変われば、死ぬまで問題はなかったのに、人生50年、60年、70年、80年となってしまうと、永久歯を失ってしまい、入れ歯とかインプラントとかのお世話になる人が増えてしまいます。

ちょっと考えてみると、我々は、いろいろなものを食べます。

やわらかいものから硬いものまで、いろいろな硬さがあるし、料理も甘さとか塩辛さとか酸っぱさとか苦みとかいろいろですし、その組み合わせによっては、別の化学物質が口の中にできている可能性もあります、

だから、我々の歯は、ものすごい刺激を受けて老化しているわけですから、そりゃあ、短命に終わる歯もあるわけです。

虫歯とか歯周病もあるし、事故によって歯を失うこともあります。

わたしなんか、子供のころから、歯で釣り糸を切ったり、普通の人は噛まないような硬いものを噛んだりしてきているから、歯に老化以外に見えないひび割れなんかもあるようです。

幸いなことに日本では小学校のころ虫歯が一本だけで来てしまって治療を受けたことがあるだけで、虫歯も歯医者も無縁でした。

タイに来て20代のころ、小学校の時の治療した歯の詰め物が取れて、それで治療を受けましたが、それ以降は、50歳くらいまで歯に問題はありませんでした。

50を過ぎたころ、奥歯にひび割れができてしみるようになったので、クラウンをかぶせ、その後、もう一本も同じようにひび割れからクラウンとなりました。

その次が、最初にかぶせたクラウンが取れてしまい、歯も半分がほとんどない状態で、抜歯するように言われましたが、何とか、残っている部分だけでも残せないものかとお願いして、いつダメになっても構わないからと半分だけを残してもらいました。

そして、2本目のクラウンをかぶせた奥歯の歯根が炎症を起こし、痛みが出たので、歯医者に行ったところ、もうインプラントもかなり普及していたので、抜歯して、インプラントを薦められましたが、その時にも、食い下がって、何とか残す方法はないものかとお願いしました。

そしたら、いつまでもつかはわからないけど、ディープクリーニングといって、歯根の奥深くまできれいにお掃除をして、化膿しない処置をしてくれました、

運良く、これで、その後痛むことはありません。

しかし老化とともに、あと2本も抜歯することになりました。現在トータルで3本の歯がない状態です。

先週、もう一本の奥歯の一部が欠けてしまい、時々鈍痛があるので歯医者に行く予定ですが、クラウンをかぶせて済むのか、抜歯されちゃうのかと不安です。

若い時には、あんまり意識しない人もいると思いますが、歯は大切ですよ。できる限り大切に手入れしたほうがいいです。

たまには歯磨きだけでなく、歯間ブラシでお掃除をするとか、年に1回くらいは歯医者で歯垢を除去してもらうとか。

それにしても、これだけ長寿になった人類ですから、60歳くらいでもう一度すべての歯が生え変わる進化をしてほしいですよね。

それは無理でしょうけど、iPS細胞を使った、自分の新しい歯を生やすことも、そろそろできる時代が来るかもしれませんよね。

目の治療もどんどん進んでいるそうですし、臓器も移植からIPS細胞の時代に向かっているようで、楽しみです。



2022年7月27日水曜日

車の話 その3

 約10年ぶりに車を新しくしました。

買ったのはホンダのHR-Vで、2月に注文していたのが、半年後にやっと手に入りました。

世界的な半導体不足で、車だけでなくエアコンとか冷蔵庫とか、いろいろなものが手に入りにくくなっているそうです。

私の場合には、今まで使ってきているホンダのフリードに不都合があるわけではないから、半年問題なく待てましたが、中には待ちきれずキャンセルして他の車を探す人もいるそうですし、予約を入れた担当者を怒鳴りつける人もいるようです。

おかげで中古車市場が活気づいて、中古車の価格も上昇するものもあり、私の場合には、半年前の査定では33万バーツだったのに、じっさいには37万バーツで売ることができました。

新車を購入したのは、4台目になりますが、今回は、半年も待ったためか、販売店のパフォーマンスなのか、赤い大きなリボンを車につけて、記念写真ようにとのことでした。

TIKTOKとかインスタ用に写真を撮る人が多いのでしょう。

そして、販売店の地の神様のところで、お線香をあげて、安全祈願をして、最近はやりの燃え尽きると数字が出てくるお線香に火をつけて、あとから、その数字が何だったかを教えてくれます。

タイでは、新車を買うと、まず赤い仮ナンバーをつけて走るのですが、その番号とか、このお線香の番号で宝くじを買う人が多いんです。

仮ナンバーは、走行できる日中だけとの時間制限とか運転できる場所の制限があるので、事前に許可を取っておかないと夜間の運転とか地方への運転は原則できないです。

正式のナンバーを受け取るまでには1か月以上かかるようです。

新車の場合には、事前に指定している透明度のフィルムを窓に貼ってもらっているので、2週間は窓の開閉が禁止です。

あと、さび止めとかワックスとかいろいろな塗装の都合もあって、洗剤を使っての洗車もしばらくは禁止だそうです。

フリードで使っていたドライブレコーダーも取り外していたので、新車に取り付けてもらいました。

新車を購入するときには、事前にオプションで何を付けてくれるのかを交渉するのですが、今回は、保険を付けてくれました。

それで、新車の前での記念撮影をして、外回りの説明や注意事項をしてくれ、やっと、運転に関する説明です。

その前に、車の中で担当の女性が、仏教のお祈りをしてくれました。いろいろ、今までにはなかったサービスでした。

つい先日、バンコクでは広い地域で道路がかなり冠水して、中にはエンストしたり、車内に水が入って大変だった人もいるようなので、どのくらいの冠水までなら安全かを聞いてみたところ、タイヤの約半分までなら問題ないとのことでした。

走行中の浸水は保険でカバーされないことが多いようですが、家に駐車中の浸水であれば保険対応になる可能性があるようです。

初めてのハイブリッドですから、いろいろな機能とか操作方法に関する説明が長いこと。1時間以上かかりました。

いろいろな設定は、もうパソコンですね。半導体がたくさん使われているんでしょうから、水には弱そうですし、故障したら修理というよりも基盤の取り換えでしょう。

世界的な原油高ですから、ハイブリッドは、ガソリン車に比べて経済的だと思います。

実際に乗ってみないと、機能とか、いいところもそうでもないところはわかりません。

でも、これからどんどんICが使われ、徐々に自動運転など通信機能も増えていくわけで、便利な分だけ、プログラムのバグとか通信障害とか、そちらのトラブルが恐ろしいのではないかと思います。

車の話 その2

 タイで初めて自分で買った車は、トヨタコロナの5ドアハッチバックでした。当時の写真が見つからないのでネットからの写真をお借りしました。


中古での購入で、当時17万バーツだった記憶があります。当時は1バーツが10円くらいだったかな。

冠水した道路を走ると、ブレーキが死んでしまい、とても危険でした。乾いた道路に出たら、もう何度もブレーキを踏んでブレーキシューを乾燥させないと、追突が怖くて徐行しか無理でした。

この車では、死ぬかと思うことが2度ありました。

一度目が、アユタヤに向かう当時対向2車線の道路で、前を走る大型トラックを追い越そうとしたのに、思うような加速ができないで、抜ききれないときに対向車線を大型トラックが来て、急ブレーキ、もうだめかと思うくらいでしたが、間一髪助かりました。

もう一度は、大雨の中、高架橋で前の車が急ブレーキを踏んだので、こちらも急ブレーキを踏んだら、スリップして蛇行、とっさにブレーキから足を話してハンドル操作でなんとか下の車線に落下しないで済みました。

どちらも、思い出すだけで、背筋が寒くなります。

この次に買ったのが、中古のトヨタコロナのセダンでした。ハッチバックを13万バーツで売って、32万バーツで買った記憶があります。

これもネットから写真を借用。

この車が、初めてまっとうな車というか、問題なく走れる車で運転しやすかったです。

家族もできて、年齢も重ね、安全第一の運転となりました。

その次に買ったのが、初めて新車で勝ったホンダのCR-Vでした。初めての月賦。

日本からの輸入車で、なんだかんだで100万バーツ弱だったと記憶します。コロナを確か25万バーツで売ったと思います。

タイでは新車を買うと、自分がご利益があると信じているお寺に行って、車にお祓いをしてもらいます。

私の場合には、バンコクから100キロほど北東に行ったところにある有名なお寺に行きました。

車の天井とかハンドルにパーリー語でのおまじないを書いてくれます。エンジンに聖水をかけてくれます。

運転する人にも安全運転と無事故を祈願してくれます。

そして、バックミラーから吊るす小旗のようなものをくれ、運転する前には、これを見て、安全運転をしなさいと言ってくれました。

当時は金利がめちゃ高かった。保険も高くてびっくりしました。

あの頃はタイにSUVがまだ少なくて、走っているとものすごく注目を浴びました。

運転もしやすかったし、素晴らしい車でした。10年くらい乗って確か55万バーツで売りました。

そして買ったのが、トヨタのウィッシュ。これもいい車で8年くらい乗ったかな。


そして、今まで乗っていたのがホンダのフリード。こちらも10年ちょっと乗りました。

コンパクトでいい車でした。なんだかんだで90万バーツほどで購入し、37万bahtで売りました。

タイは、新車の価格が高いですが、中古車として売るときの価格が高いメーカーや車種を買った方がお得です。

そして、今夏新しい車を買いましたが、それはその3に書きます。

車の話

 タイで初めて自分で運転をした車は、会社のかなり古いカローラでした。

ブレーキの利きは悪いし、運転にはかなり神経を使いましたが、このカローラで、パタヤには何度も行ったし、600キロ以上離れたチェンマイにも行きました。

当時は、バンコクらからチェンマイに行くまでに2か所ほど検問がありました。パスポートと国際免許証を携帯していたから、問題はありませんでしたが、異国での検問はドキドキしました。

途中スコータイで一泊して、地図を片手に遺跡を観光しました。地図を見ながらの移動はヨーロッパでの経験があるので、全く不安はなかったです。

1980年前のタイはすでに道路標識に英語が併記されていて、とても便利でした。

ベトナム戦争当時に、タイの道路がかなり整備されたと聞いていました。

ボロい古い車ですし、タイで初めての長距離ドライブで、神経がすり減りました。

スコータイのモーテルのようなホテルでは、ホテルのボーイに勧められてマッサージを体験しましたが、部屋に来たのは60代のおばあさんで、マッサージは上手でした。

一応全身のマッサージが終わったときに、おばあさんが、腰が楽になるからと、突然、私の睾丸付近のマッサージを始めました。

これにはびっくりしましたが、あとから、チャップカサイという、タイマッサージの秘技なんだと知りました。

性的なマッサージではないですし、なんといっても田舎のおばあさんですから、妙な気持ちは起きませんでしたが、いい体験でした。

今から思うと、あんなボロい整備不良車で、事故も故障もなく、無事にバンコクに戻ってこられたのは奇跡のような気がします。

タイ国内を自分の運転で行ったのは、北はチェンマイの北にあるチェンライ、メーサイ、チェンセンですし、南はホアヒンまで。西はカンチャナブリ、東はクロンヤイです。

ベトナム戦争は終わっていましたが、まだカンボジアでは内戦も続いていたころに、クロンヤイに行ったのは、いい経験でした。

2022年7月18日月曜日

中古カメラの話 その5

 フィルムカメラの歴史として、露出やシャッタースピードや距離をすべて自分で設定する初期型から、セレンといわれる今のソーラー電池のようなもので発電して、その微弱な電気を増幅して針を動かしてメモリを指し示すシステムが生まれました。

その針を見て、シャッタースピードに合った露出を決めます。

そんなセレン電池を使ったカメラが大量に出回りました。

レンズのまわりとか軍艦部といわれる上部の部分に取り付けられていました。


このセレン電池のついた中古カメラの多くが、セレン電池の劣化で針が動かない問題が多いです。

ネットを見ると、セレン電池が壊れているカメラに、電卓のソーラー電池をはめ込む手が載っています。

私もやってみたことがありました。



このあたりから電池を使って露出を測るカメラが出てきました。電池を使うタイプの古いカメラの問題は、すでに発売されていない電池が多いことです。

ほとんどの場合にはネットで調べて代替えのアルカリ電池を使うことが可能ですが、その場合には、電池室の大きさに合わせる改造が必要になることが多いです。

ネットで、そのための部品も売っていますが、自分で手作りをするのも楽しいものです。




例えば、このカメラは、レンズのお隣に電池室があって、4LR44(6V)が使われるのですが、この電池を手に入れることが簡単ではないので、どこにでも売っているLR44を4個直列につないて、テープなどで固定します。



それを電池室に入れれば、一応使えるようになります。


こちらのカメラも使われている水銀電池がもう手に入らないので、やはりLR44を使い、電圧を合わせて、電池室の大きさに合うように工夫して、バネとアルミフォイルを使って長さを伸ばしました。



電池室に入れて、テストしたら、無事に電気が流れました。




こうした情報はネットで調べられるし、自分なりに手に入るものを工夫するのも楽しみの一つです。

あと、意外と多いのが、電池の液漏れや電池室の蓋が取れない問題です。蓋がどうしても外れないと、ドリルで穴をあけて無理やり外したりしますが、同じ部品がないと、代用品ではかっこ悪いです。

液漏れによる接触不良は分解掃除をすればきれいになるし、ハンダ付けができる人なら、断線したコードをハンダ付けで繋ぐことも可能です。

本格的な修理には、それなりの道具と技量も必要となるので、時間とお金に余裕がないとやめたほうがいいかもね。

中古カメラの話 その4

私のような素人でも、中古カメラの修理の真似事ができることもあります。 

私は、手先が不器用なので、手先の器用な人なら、もっとできることもたくさんあって、上手にきれいに仕上げることもできると思います。

私がやったことで、まあまあの出来だと思っているのは、カメラの革の張り替えです。

中古カメラのは、表面の革が破れたものとかはがれたものがあって、高級なカメラだったら、それもまた味なんでしょうけど、中古の普通のカメラは、やはり革もきれいな方が気持ちがいいわけです。

皮をはがすのは、気を付けてやればむつかしくはないし、薬剤を使えば、簡単にできます。



機種によっては、上蓋や下蓋を外さないときれいにできないものもありますが、外さないでもできるものが多いです。

フラッシュへの差し込みとか機種によっては、タイマーのスイッチなどのつまみがついていると、それを外さないとむつかしいものもあります。

いい加減に破ってしまうと、それを型紙にして新しい革を切るときに苦労します。

カメラ用の張替え革はネットで購入できます。


そして古い革に合わせての切断ですが、不器用な私にはむつかしかった。




型通りに切り抜いたら、あとは接着剤で貼っていくだけです。





実は、もっと便利なものがありました。

モデルにもよりますが、出来合いの型になっている張替え用の革を売っているところがありました。

それを買えば、革をはがすのもいい加減でも構わないですし、汚れをきれいにふき取った後で、それを貼っていけば、本当にきれいに仕上がります。



故障がないものでしたら、きれいに掃除をしてモルトを張り替えて、革をおしゃれな色に変えて、売ることも可能でしょう。

中古カメラの話 その3

 この数年、フィルムカメラなど古いカメラがおしゃれだと若い世代の間でも人気だそうで、実際に撮影するだけでなく、ファッションとして身に着けて写真を撮ったり、インテリアとして部屋に飾ったりと、いろいろなところで目にすることも増えているようです。

私が初めて見たカメラは、父の蛇腹のカメラでした。革のケースに入っていて、なかなかかっこよかったです。

父の蛇腹カメラのメーカーは記憶にないですが、こんな感じのカメラだったと思います。


こういった蛇腹式のカメラは、意外と構造がシンプルなので、素人でも修理ができたりします。

蛇腹の折り畳みの部分がおかしくなっていたり、蛇腹の折り目から光が入り込んだり、レンズのところにシャッターがあり、その具合がおかしかったりするのであれば修理も可能なことがあります。

もう一つ、若い人たちに人気があるのが、二眼レフといわれる正面にレンズが二つ付いたカメラです。

カメラを両手で持って、カメラの上から被写体を見てシャッターを押すのですが、上下左右が反転するので慣れないと戸惑います。

でも、構造的には複雑ではないから、横蓋を外して、作動を確認すれば、問題点がわかって修理できることもあります。

あと、私が初めて父親からもらったオリンパスペンSですが、当時はフィルムも高かったので、36枚撮りのフォルムで72枚撮れるハーフサイズカメラが流行っていました。


私は、このカメラでヨーロッパの写真を撮りました。今思うともっと撮っておけばよかったと後悔ですが、当時としては小さくて軽く、晴れならシャッタースピード250で絞りを11とか、距離もいい加減な設定でもなんとか写真が撮れました。

このカメラ、よくある故障が、シャッターが切れなくなる故障で、フィルムも巻けなくなるので、万事休すでしたが、意外と、裏ブタを外して、レンズを止めているネジを緩め、レンズを少し左右に動かしながらフィルムが巻ける位置を探して、見つかったら、そこでネジを留めれば、正常に動くようになることもあります。

もちろん、バネとか歯車とかの問題ならダメですが。

1973年のロンドンにてオリンパスペンSにて撮影


中古カメラの話 その2

 中古カメラの楽しみは、落札からバンコクの自宅に届くまでのどきどきもありますが、手元に届いてから、手で触るのも抵抗がある汚れを薬品とかを使いながらきれいにして、見違えるような輝きになったときの喜びもあります。

例えば



金属の汚れは、意外と簡単に落とせて、輝きを取り戻します。

皮が破れているとかもあります。

外面の汚れを落とすと、一見まるで新品のようになりますが、なんといってもほぼジャンクですから、いろいろな問題を持つカメラなわけです。

一番古いタイプのフィルムカメラは、露出もシャッタースピードも自分でアジャストしてシャッターを切るので、電池は使われていません。

ですから、故障としては、ネジが失われているとか、バネが折れているとか、油で固まって歯車やシャッタ羽根が動かないとか、反対に油切れで動かないとかが多いです。

あとは、レンズの問題ですね。レンズにカビが生えてしまっているとか、レンズが曇っているとか、レンズに傷があるとかです。

レンズの問題は、素人には、修理できないことがほとんどです。

素人にできることで簡単なことの一つが、モルトの張替です。カメラは、レンズを通してカメラの中に入り込んだ光をフィルムに感光させる仕組みですから、カメラの内部にレンズ以外のところから光が入り込んでしますと、写真におかしな光が写ってしまいます。

そこで、光が漏れそうな上部や下部の蓋とか、一番危ないフィルム室の裏ブタなどにモルトというフェルトとスポンジの中間のようなものを張ってあります。

そのモルトが劣化していることがかなりあるので、それをきれいにお掃除をして、張り替えるだけで、カメラが生き返ることもたまにはあります。

今はネットで調べれば、いろいろな情報が手に入りますから、素人でも、かなりのことができるのではないかと思います。

ジャンクカメラの場合には、失敗を恐れずに、何でもやることができるので、教材としてはお勧めです。

それと、カメラに限ったことではなくて、修理の基本の一つが、「ニコイチ」といわれる二個ないし複数個のモノから部品を集めて、正常に動くものを作る方法があります。

部品取りともいわれますが、ジャンクのモノから使えるものを取り出すことも大切なことです。

ネジとかバネとかレンズとかプリズムとか、もしかすると使えるときがあるかもしれませんので、捨てません。

錠剤とネジは、落とすとなかなか見つからず、とんでもないところまで転がっていることもよくあることです。