2023年2月22日水曜日

大使館からのメール 最高裁判所裁判官国民審査制度の改正

  最高裁判所裁判官国民審査法の一部を改正する法律が、令和5年2月17日に施行されました。この改正により、国外に居住している国民の方で、在外選挙人名簿に登録され、在外選挙人証の交付を受けた方は、衆議院議員総選挙と同時に行われる最高裁判所裁判官国民審査の在外投票ができるようになります。詳細は以下のとおりです。


1 国外に居住している国民の最高裁判所裁判官国民審査における審査権行使の機会を保障するため、分離記号式投票による在外投票を可能とするとともに、遠洋区域を航行区域とする船舶等に乗船中の船員等の審査の投票の機会を確保するため、洋上投票等を可能とするほか、所要の規定の整備を行うことを目的として、最高裁判所裁判官国民審査法の一部を改正する法律が令和4年11月18日に公布され、令和5年2月17日に施行されました。


2 このことにより、国外に居住している国民も、衆議院議員総選挙と同時に行われる最高裁判所裁判官国民審査において在外投票ができるようになります。なお、最高裁判所裁判官国民審査の在外投票をするには、在外選挙人名簿に登録され、在外選挙人証の交付を受けている必要がありますので、在外選挙人名簿への登録を希望される方は、可能な限りお早めの申請をお願いします。


3 また、既に在外選挙人名簿に登録されている方で、最高裁判所裁判官国民審査が行われる際に郵便等投票をご希望される場合は、投票用紙等請求書の様式が変更されていますので、新しい様式をご使用の上、登録されている選挙管理委員会に投票用紙等を請求してください。


なるほど!「最高裁判所裁判官国民審査制度」

https://www.soumu.go.jp/senkyo/kokuminshinsa/seido_point.html


投票用紙等請求書(郵便による在外投票)新様式

 https://www.soumu.go.jp/senkyo/zaigai6.html

 ※上記ページの最下段にございます。


在外選挙人名簿登録申請手続き

https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/senkyo/flow.html


2023年2月20日月曜日

大使館からのメール 【注意喚起】旅券の紛失・盗難相談の急増について

 本年1月以降、旅券の紛失・盗難に関する相談が急増しております。昨年12月中には12件でしたが、本年1月は17件、2月は本日時点で既に24件に上っています。

旅券は貴重品と同様に保管管理に努め、また第三者に取り出されやすいポケットなどに無造作に入れることなく、紛失や盗難防止に努めてください。電車内やイベント会場など、人が多く集まる場所においては、バッグを体の前に持つように心がけてください。


盗難事例

・空港に到着し電車にてバンコク都内の駅まで向かう途中に、背負っていたリュックに入れていた旅券在中のポーチを抜き取られた。

・バンコク中心部のショッピングモールで開催されたイベントに参加していたところ、背負っていたリュックに入れていた旅券及び財布を抜き取られた。

・バンコク中心部のスーパー店内において買い物中に、肩に掛けていたトートバッグに入れていた旅券在中の巾着を抜き取られた。

・スクンビット通りを徒歩で移動中に、肩に掛けていたバッグに入れていた旅券在中の財布を抜き取られた。


外務省では、2月20日の「旅券の日」に合わせて、「なりすましによる旅券不正取得防止のための審査強化期間」を実施しております。詳しくは以下リンク先をご参照ください。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_009607.html


【当館ホームページ「タイで旅券を紛失(盗難被害)した場合の手続き」】

https://www.th.emb-japan.go.jp/itpr_ja/consular_lost.html

【海外安全 虎の巻2022~海外旅行のトラブル回避マニュアル】

https://www.anzen.mofa.go.jp/pamph/pdf/toranomaki.pdf 

【ゴルゴ13の中堅・中小企業向け海外安全対策マニュアル】

https://www.anzen.mofa.go.jp/anzen_info/golgo13xgaimusho.html 

https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_009327.html

【安全の手引き】(当館HP)

https://www.th.emb-japan.go.jp/files/000207735.pdf


(問い合わせ先)

○在タイ日本国大使館領事部

電話:(66-2)207-8500、696-3000

FAX:(66-2)207-8511

所在地: 177 Witthayu Road, Lumphini, Pathum Wan, Bangkok 10330

(ウィタユ通り、ルンピニー警察署とMRTルンピニー駅のほぼ中間)


2023年2月16日木曜日

タイの政治の話 その4

タクシン派の過激な行動をすることで有名な赤シャツ(反独裁民主戦線)は、何度も何度も政府とぶつかって大勢の死傷者を出してきています。

赤シャツのリーダーではチャトゥポン氏やナタウット氏が有名ですが、現在のところ、チャトゥポン氏は、タクシンから離れて、タクシンを批判しています。

他にもタクシン派で有名になったイサーン(東北タイ)のランボーとのニックネームを持っていたスポン・アタウォン氏も最近ではプラユット首相といつも一緒にいるほどで、タクシンを批判しています。

ですから、もはやタクシン派も一枚岩ではなくなっていて、北部や東北部でさえも、タクシン派の政治家に投票しない人がいるようです。

ナタウット氏は、タクシンの次女のアドバイザー兼ボディーガードのようなことをしているようです。

そして、バンコクの若い世代や地方の学生などは、すでにタクシンを批判していて、もっと進歩的な若い政治家をようする政党を支持しています。

タクシンは、次女を次の首相にと考えているようですが、とにかく帰国したいので、もう軍や王制を支持する人たちとはあまり対立しないようにしているようです。それが、若い世代はその態度が保身に走っているように見えているようです。

日本でも、世界政府とか、ロスチャイルドとか、いろいろな陰謀論も表に出てきていますが、タクシンがまさに、そんな動きを昔からしているように見えるわけです。

突然、イギリスプレミアリーグのマンチェスターシティーのオーナーになったりシンガポールの政府投資ファンドに自ら創業したタイ通信大手シン・コーポレーションの株式約50%を売却したり、イギリス系資本家との関係が深いわけです。

マンチェスターシティーもいろいろな批判を受けて、アラブ首長国連邦(UAE)の投資会社への売却しているわけで、自分の金をいろいろと動かしてマネーロンダリングをしているかのようです。

一部の日本人が思っているほどの民主派でもないし、貧しい人たちの側に立つ人間でもないし、きれいごとばかり言って、私利私欲しか考えていない人物にみえます。

権力の座を離れて時がたちますから、もう悪事もバレているし、カリスマ性も消えてしまっています。

タクシンを持ち上げていた日本のメディアや専門家たちが、これからどんなことを言い始めるか、実に興味深いです。

タクシンの次女ペートンタン・シナワット氏が、日本で有名なcolaboの仁藤夢乃さんに顔立ちがよく似ているんですよね。

私はお二人とも信用していません。

タイの政治の話 その3

タクシンは有罪判決を受けていたのに北京オリンピックを見に行くといって出国し、そのまま国外に逃亡しているわけですが、ほとんどドバイの豪邸に滞在して、タイの手下に指令を出しているようです。

タクシン逃亡後も、タクシン派は政権をとっていたのですが、反タクシン派もあの手この手で、タクシン派を権力の座から追い落としていきました。

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タクシン派与党3党に解党命令 民主党連立政権誕生2008年クーデター

汚職蓄財王タクシンの国内資産没収判決と赤服の動員 2010年02月26日~2010年03月11日

クルングテープの99日(前) 赤服の首都占領と血の呪術 2010年03月12日~2010年04月06日

クルングテープの99日(後) 非常事態宣言発令・市街戦で殺戮 2010年04月07日~2010年05月19日

タクシン派赤服による略奪・放火の結末 爆弾テロが続く 2010年05月20日~2010年06月07日

タクシンの傀儡、妹インラック登場 タクシンの売国選挙選 2011年05月08日~2011年07月02日

泣いた赤鬼、インラック 洪水に泣くしか能のない木偶人形 2011年10月14日~2012年02月08日

国外逃亡犯タクシン免罪法案と改憲に対し、憲法裁の審議中止命令 2012年05月26日~2012年09月17日

タクシンの指令 タクシンのために恩赦法を作れ 2013年03月11日~2013年05月30日

インラック下院解散 反タクシン派ステープ総選挙粉砕20万人デモ 2013年12月09日~2013年12月22日

反タクシン反政府派のデモ隊、下院総選挙妨害で衝突 2013年12月23日~2014年01月12日

憲法裁、下院総選挙を無効と判断 政府派のテロ、反政府派のデモ激化 2014年03月21日~2014年05月06日

憲法裁、上院 インラック首相ら失職判決 2014年05月07日~2014年05月19日

7者会談決裂 プラユット司令官が全権を掌握 2014年05月22日~2014年05月25日 <<2014年クーデター>>

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タクシンを支持するのは、農民や労働者階級といわれていて、タイの中では比較的貧しいといわれていた北部や東北部から支持されていました。

そうした農村には70年代の共産主義にかぶれた学生たちが作った「赤い村」もあり、赤シャツを着て、タクシンのために集会をしたり、時には、暴動を企てたりしたわけです。

民主主義を自称する共産主義者といっても過言ではないです。

日本でもリベラルとか左翼とか言っている人たちは、実は、共産主義者だったり、独裁主義者だったり、無政府主義者だったりすることもありますよね。

タイの政治の話 その2

タイといえばクーデターが多いことでも有名ですが、タイで起きた主なクーデターは、下記のようになっています。

タイのクーデター

この中で注目すべきは、ベトナム戦争当時のタイでも起こっていた学生運動です。

特に1973年10月14日に起きた血の日曜日事件と1976年10月6日に起きた血の水曜日事件で、当時を知るタイ人は、まだ60代から上の世代で健在です。

タイでは共産主義のドミノ化を恐れて、共産主義に染まった学生たちを弾圧したので、一部の共産主義者たちは、都会を離れて地方に潜伏し、共産主義を広めるための「赤い村」を作っています。

まさに毛沢東の「農村からか都市を包囲する」戦略ですね。

その後、タイは、プレーム首相などの近代化政策が成功し、どんどん経済発展していったのですが、1992年5月17日に起きた暗黒の5月事件で再び市民の民主主義へに対する軍部の暴挙に反対の声が高まっていきました。

そして、1997年の7月に起きたアジア通貨危機でタイの経済がボロボロになってしまいました。

この原因については色々な説もあるわけですが、一説では、香港の中国への返還で行き場を失った巨額の資金が、タイに押し寄せたとか、それをタクシンが内部から手を貸したとか、タクシンと欧米の金融界が大儲けしたとか、まあ、いろいろな都市伝説はありました。

それで、IMFの管理下に入ったタイですが、「IMFはタイの父親ではない」と啖呵を切って登場したタクシンが、タイ復興のための数々の政策を打ち出し、貧困層の救世主という役どころで、支持者を増やしていき、政権をとったわけです。

日本人、特にメディアとか学者は、タクシン信者が多くて、美化したがりますが、冷静に見れば、貧困層を利用して私腹を肥やしたわけで、貧困層のために政治をしたわけではないようにも見えます。

もちろん、いい政策もあったとは思いますけどね。

そして、軍部独裁と戦う民主主義の英雄ということを演じたいようですが、実際の手法は、まさに独裁ではないかという批判も多いです。

タクシンに関しては、これから、日本の報道もいろいろと美化した記事を書き始めると思うので、あえて、アンチの意見を提供させていただきます。

クルセ・モスク事件とタクバイ事件

麻薬取締り大量虐殺事件

タクシンの政治

タクシンの生い立ちとか経歴に関しては、こちらも一読の価値はあると思います。最後の方にある見えにくいところは、パソコンならマウスをクリックして引っ張って行けば見えやすくなります。

タクシンの経歴など

いろいろな情報を見ておかないと騙されてしまう可能性もありますよね。

タイの政治の話 その1

ネットで政治や宗教やスポーツについて語ると、トラブルが起きることが多いといわれています。

まして、タイで生活する者にとっては、タイの政治について語ることは、リスクがあるといわざるを得ません。

特にタイには不敬罪があって、刑法112条問題ともいわれ、王室に対しては、不敬な発言は逮捕されるリスクがあります。

ですから、私のような小心者は、誰も見ないような所であっても、タイの王室に関して書くときには、否定的な印象を与えないように気を付けています。

今年になって、タイの政治も動き出しているのは、5月に行われるといわれている総選挙を控えているからです。

タイは上院と下院による議会制民主主義ですが、その前に必ず枕詞として、国王陛下をいただくという言葉が付きます。要するに立憲君主制で世界には多くの立憲君主制の国々がありますので、下記参照。

世界の立憲君主制の国

定員は上院が250名で下院は500名ですが、選挙で選ばれるのは、下院の500名ですから、選挙で過半数を獲得しても、上院の支持を得られないと与党になれないし首相を選出できません。

不敬罪の問題と、選挙制度の問題は、いつも選挙の時には大きな話題となります。

タイには多くの政党があるので、政権与党に入るために、いろいろな駆け引きがあります。

今は、所属している政党から離脱して別の政党に移籍したり、引き抜き合戦があったり、新しい政党が生まれたりしています。

2014年の軍事クーデターをしたプラユット首相とプラウィット副首相とアヌポン内務大臣が、現政権の中心でしたが、プラユット首相がプラウィット副首相とは別の政党に入ったことで、次の選挙にどういった影響が出るのか注目されています。

連立政権も堅固なものではないようで、それそれの党も、選挙の結果次第では、別の組み合わせに動くかもしれません。

2023年2月15日水曜日

Queerの話

日本の学校では教えてもらわない英語をビートルズやローリングストーンズの歌詞で知ったりして、中学とか高校の時には、仲間たちと自慢しあったりもしたわけです。

当時は、今と違ってほとんどの人がFU〇Kなど知らなかった時代でした。

ボブ・ディランの歌詞などにもいろいろと知らない単語がちりばめられているわけで、辞書を引きながら、いろいろと想像力を働かせたものでした。

英語俗語辞典なども購入しました。

好奇心が向学心を向上させるわけで、男の子にはスケベ路線は力になります。

BastardとかSon of a Bitchとかの罵倒系とか、below the belt(へその下)系とか、Groovyのようなその時代の流行り系とか、まあいろいろあるわけです。

世界共通にへその下の話は、男同士では、まあ盛り上がりますから、海外に行って語彙が広がります。

日本は、歴史的にも、小姓とか少年愛は武士の間ではかなり一般的でしたし、大奥などのように女性同士の秘密の愛とかもあったし、歌舞伎の世界のように女装する芸も発展しています。

=かぶき者(かぶきもの。傾奇者、歌舞伎者とも表記)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮。特に慶長から寛永年間(1596年 - 1643年)にかけて、江戸や京都などの都市部で流行した。異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。茶道や和歌などを好む者を数寄者と呼ぶが、数寄者よりさらに数寄に傾いた者と言う意味である。=

好き者といえば、スケベな男という意味になりますし、変わり者といえば、普通の人とは違った人という意味ですよね。

日本では、普通ではない変わった人たちを面白おかしくからかうことはあっても、差別して追放したりしないで、一緒に暮らすことをしてきています。

キリスト教は、教会の教えが絶対ですから、その教えに背くものを弾圧しますから、LGBTQなどの運動も盛んになっているわけです。

本当は、日本には、そんな運動は必要ないと思うけど、欧米かぶれが多いので、日本も同じ運動をすべきだと必死になっているような気がします。

お金のためだったり、政治運動だったりもありそうです。

日本は一神教ではなくて多神教ですから、昔から、なんでも神様が宿るし、どんな変わり者でも共存してきています。共存できないのは仲間に危害を加えるなど、集団の掟を破るものだけです。

さて、俗語の話の戻ると、イギリスでアルバイトとして夕方から働いたレストランには、いろいろな人種が働いていましたが、お客様にもいろいろな人がいて、キッチンに遊びに来る人もいました。

その一人がトニーさんという、小柄で眼鏡をかけたイギリス人で、キッチンスタッフからは、クイアーと影で呼ばれていました。

このクイアーという言葉を知らなかったので辞書で調べてみたところ、変わり者とかおかまとかいった意味でした。

=「queer」という言葉が英語圏では偽造酒や男性同性愛者のことを指したために、19世紀から20世紀にかけては、主にセクシュアル・マイノリティに対する蔑称、差別用語として用いられた。=

トニーさんは、話し方もしぐさも女の子で、かわいいのですが、顔だちは、人形劇の子供という感じで女性らしくはなかったです。

タイもおかまちゃんたちが多いし、ニューハーフと呼ばれた人たちも多い国ですが、やはり、からかったりはしても、差別することもなく、タイのホテル業界とかテレビや芸能界には、滅茶苦茶多い感じです。

あと、医師とか弁護士とか学者や教師とかにも多いようです。

タイは仏教徒が多いのですが、古くからの民間信仰は、いろいろなところに精霊が宿っているという多神教です。

一神教は、自分たちだけが正しいと、迫害したり、抑圧したり、追放したり、虐殺したり、怖いですよね。

LGBTですが、レズもゲイもバイもトランスジェンダーも極端に言えば、自称ですよね。

自分がそうだといえばそうです。証明するには、遺伝子を調べるとか、体のつくりを調べるとか、精神科医に診断してもらうとか、いろいろと面倒でしょうね。

でも、スポーツの女子大会に自称女性と男性の肉体を持つ人が出てきたり、女性用のトイレやお風呂に男性の体で自称女性が入ってきたら問題だと思うな。

2023年2月11日土曜日

異種格闘技の話

日本では古くから武道が盛んで、古武道といわれる、刀剣を使ったり、弓矢を使ったり、忍術もありますし、素手で戦う武道などもあるわけです。

そして、それぞれの武術には秘密の技や稽古方法や道具もあって、それを他人に伝えることは厳しく禁じられていました。

武士を中心に命を懸けて戦うための方法ですから、万が一秘密がバレたら、殺される可能性が高まります。

文字として残せば、盗まれてしまうこともあるので、親から子へ、師から弟子へと口伝で残されていたようです。

道場破りなどもあって、自分の技がどれだけ優れているかを命を懸けて試して歩くつわものたちもいたわけです。

中には、自分の磨いた技を若者や子供たちに伝えようとしたり、海外に普及させようとした人たちもいました。

今はブラジリアン柔術なんかはかなり知名度が上がっていますが、空手や柔道や剣道も海外に広がっています。

海外に広がっていくと同時にスポーツ競技化してしまっていて、本当の命を懸けて戦う武術は、総合格闘技などになってしまいました。

でも、最近の柔道でも総合格闘技でも、関節技や締め技が増えてきていて、相手を失神させたり、ギブアップさせることも注目されています。

さて、格闘技だけに限らず、いろいろな競技があって、いろいろな練習方法もあるわけですが、最近は、別の競技から練習方法を教えてもらうことも多くなってきています。

共通するポイントもあれば、全く違ったポイントもあるので、上手に他の練習方法を取り入れたら、大きなステップアップになる可能性が高いと思います。

体幹を鍛えるところや身のこなしなど、日本の古武術などから取り入れたらよさそうです。

実際に陸上競技などに忍者走法を取り入れている人もいますよね。

日本は、そういった分野も得意な民族ですから、体格や体力以外の秘技で、世界と戦ってほしいです。

2023年2月8日水曜日

ムエタイの話

NHKの番組Asia Insightで「ムエタイは変われるか」を見ました。

*立ち技最強の格闘技といわれるタイの国技ムエタイ。賭博をめぐって、審判や選手へのわいろが横行し、問題となる中、主要スタジアムが、賭博を禁止する改革に乗り出した。*

今でこそ、日本でもムエタイの名が一般的になっていますが、かっては、タイ式ボクシングなどの名前で呼ばれていました。

格闘技は世界中のいろいろな国にあって、それぞれが起源を主張しているわけですが、ボクシングやプロレスのリングで戦う格闘技スタイルは、戦後に生まれたと思います。

日本には、空手や少林寺拳法や合気道ばどが古くからありますし、空手の起源はやはり中国拳法でしょう。

そんな日本の武道とタイ式ボクシングを興行として誕生させたのが、日本のキックボクシングで、日本では、1960年代から大変な人気でしたが、タイでは、タイの国技をバカにしていると、反日運動の原因の一つにもなりました。

日本の空手を起源とする韓国のテコンドーは、いろいろな混乱期を乗り越えて、国家としての海外進出を上手に行い、まさに最近のKPOPのように、まるで自分たちが生み出したがごとく、世界に宣伝し、世界から受け入れられています。

起源ということでは、最近カンボジアの方からムエタイの起源はカンボジアだとの主張も出てきています。

タイは、カンボジアのクメール文化とミャンマーのランナー文化の影響を受けているわけですが、ベトナム戦争時代に、混乱したカンボジアやラオスやミャンマーと違って、タイは、共産化することなく、欧米や日本と手を取って経済発展をしてきたことで、インドシナの文化はタイにありということを世界に広めてきたので、ムエタイだけでなく、タイ古典舞踊でもタイ料理でもタイ式マッサージでも、今から近隣諸国が起源を主張するのは大変ではないかと思います。

日本はいい意味でも悪い意味でも、国内のマーケットが大きく、海外に出なくても興行が成り立つので、どうしても海外進出が遅れがちです。

言葉の問題もあるでしょうね。

日本のキックボクシングは、その後、K1とか総合格闘技へと変化しながら、国際的な試合も行っています。

タイのムエタイは、ラジャダムヌンルンピニーの二つのスタジアムが有名です。

ルンピニースタジアムは、その名の通り、バンコクのど真ん中ルンピニー公園の近くにあったのですが、2014年2月28日に郊外のラムイントラに移転されています。

ラジャダムヌンは、どちらかといえば旧王宮に近い官庁街にあり、ルンピニーよりも歴史が古く、最初は王室の関係もあり、格式もあります。

どちらもムエタイの試合と賭け事とは切っても切れない関係にあって、見に来ている人たちのほとんどが、試合に賭けているから、ものすごい熱気と歓声で、最初見た時は驚きました。

賭けているから、1ラウンド3分が5ラウンドある試合も、1ラウンドと2ラウンドとは、顔見世のようにあまり真剣に戦わないことが多く、3ラウンドからが本気の試合となることが多く、裏にあるいろいろな力関係で、不正も多く、トラブルも多いわけです。

ミエミエのインチキ判定もあるので、時には自動小銃の乱射とか、暗殺とか、とんでもない事件も起きてきています。

そうしたことから、スタジアムを移転させたルンピニーが、国際化をにらんで、賭け事をしないムエタイをすると宣言をしているんだそうです。

タイでは、トランプもマージャンも禁止されているくらい、賭博には厳しいお国柄ですが、競馬とムエタイだけは、賭けることが許されています。

ですから、賭け事をする人たちによって支えられてきたムエタイなのに、賭け事を禁止してしまったら、もう見に来る人がいないのではないかといわれ、実際、観客は、減っているようです。

ラジャダムヌンの方は、今まで通りやっているから、にぎわっているそうです。

今、格闘技は世界中で大人気で、アメリカのUFCやONEに代表されるように、世界中にテレビ放映されています。

ONEは、シンガポールを中心にアジア選手たちも多く試合をしていて、日本やタイからも選手が出て活躍しています。

そのONEなどと提携をして世界に出ていく選手の試合をルンピニーで興行し、外国人観光客を呼び込もうとする戦略のようです。

選手たちも、自分の実力で世界と戦って、もっと多額のファイトマネーを得ることができるということです。

タイらしさを貫くのか、グローバリズムの中で生きていくのか、タイは、いろいろな分野でこれから変わっていくのかもね。

2023年2月3日金曜日

故障の話

パソコンがおかしくなった時には、何が原因かを考えますが、とりあえずは、再起動です。

再起動でほとんどの場合には正常に戻りますが、時には、OSがおかしくなっている場合とか、ハードの部品が故障している場合とかもあります。

OSの場合には、保存してある状態まで復元させるとか、最悪最初からOSの入れ直しなんてこともあります。

ハードの故障は、もう新しい部品の購入です。

テレビでも冷蔵庫でも、何でもおかしくなった時には、一度電源を抜いて、再びコンセントを差し込みます。

ちなみにコンセントのことは英語でoutlet(アウトレット)というそうです。

さて、庭の植木に水をやるポンプが壊れたのか、ポンプが小さな音で連続に回転しているようなのに、水が全く出ません。

電源を抜いて再び入れても同じで、全くダメなので、いつも修理の時にお願いしている人に来てもらいました。

いろいろ見てもらった結果、家に来る水道管から水が来ていないとのことで、水道局に問い合わせたら、近所の道路に下にある水道管が破裂したので、18:00まで断水とのことでした。

そんなこと連絡してくれないと困りますが、タイでは、ごく当たり前のことで、我慢するしかないわけです。

ポンプを一部ばらしているから、修理代はただじゃないし、断水が終わってみないと、問題なく使えるかどうかもわからないです。

人間も機械もシステムも、老朽化すればいろいろと問題が起きますね。


令和の本田宗一郎の話

カンブリア宮殿で見た目も味もウニっぽいのに、実は豆腐という商品「BEYOND TOFU」が大ヒットというのを見ました。

今、世界的な食糧不足が注目されていますし、健康ブームも続いています。

肉食は、ものすごい量の飼料によって支えられているわけで、日本古来の食生活と比べると、多くのエネルギーを必要とされます。

日本の縄文時代の遺跡などを見ると、貝塚があって、当時の縄文人たちが、魚介類を食べて暮らしていたことがわかります。

もちろん芋や稗なども食べたでしょうし、コメや麦が入ってきてからは、コメが中心だったでしょう。

全か無である必要はなく、徐々に洋風な食生活になってきたように、これからは、徐々に和食を増やしていくことが必要な時代かもしれません。

日本食の基本は、発酵食品といっても過言ではないかもしれません。

発酵食品は世界中にあって、日本の味噌や醤油などは中国から伝えられたと思われますし、東南アジアにも発酵食品はたくさんあります。

今回注目されていたのは、豆腐を使って、いろいろな食材を作ってしまう会社で、その出来具合が、素晴らしいのだそうです。

「ビヨンドとうふ」というブランドにはウニだけでなく、チーズとかもあるそうですし、ほかにもいろいろなブランド商品があるようです。

その相模屋食料を大発展させたのが、社長の鳥越淳司氏で、自分で豆腐作りを一から覚えて、そこから、新しいアイディアを広げて製品化させてきたそうです。

「リスクを考えるよりチャンスを見ればいいのに」と低価格化や画一化に異を唱えて、日本古来からの伝統を生かした製品づくりやその上に立っての新しい製品づくりを目指しているようです。

そうした鳥越さんの発言を聞いて感じたのは、ホンダの本田宗一郎さんの好奇心と「やらまいか」精神につながるものを感じました。

日本は、いろいろな意味で欧米に追い付け追い越せと頑張ってきたわけですが、そんな中、日本のいいところを捨てて、欧米の悪いところを真似てきてしまったともいえるような気がします。

日本のいいところを保ちながら欧米のいいところを学ぶべきですよね。

食べ物だけでなく、学校教育も倫理観も、日本の伝統の中には、捨ててはならないいいものがたくさんあると思います。

まだ間に合うはずですから、もう一度初心に帰って、おかしなところを変えていく時だと思います。


個性の話

人間の性格や能力には遺伝もあるでしょうし育った環境もあるでしょうけど、うちで飼っているネコを見ても、同じ親から同じ日に生まれても、毛の色も性格も色々です。

兄弟姉妹でも性格が違いますし、能力にも差があります。

私の場合には、よく風邪をひいて熱を出し扁桃腺を腫らす子供だったので、親がすぐに近所の医者に連れて行って、お尻に図太いペニシリンの注射をするので、その痛みから、泣き叫び、暴れて、注射が大嫌いになり、今でも血液検査でさえ、体が緊張します。

そして、5~6歳のころ、遊びに行った海水浴場で、いとこ達から冗談で海に投げ飛ばされて、おぼれそうになった恐怖から、水が怖いし、とにかく怖がりになりました。

高い木や家の屋根に登るとかは怖くはないですし、怖いと思う対象は色々のようです。

注射が嫌いだから、幼稚園の時でも、予防注射の時にはよく逃げ出したものでした。

嫌がったら余計に痛いので、先生や看護師に腕をつままれ、もう拷問でした。

結核の予防注射のためのツベルクリン反応を見る注射は、ほとんど痛みを感じないのですが、もしも陰性ですと、BCGを接種され、それがまた痛かった。

だから、小学校の高学年になると、悪知恵が働いて、ツベルクリン反応の赤い反応部分を口を付けて吸ったり、指で叩いたりして陽性になるように誤魔化して、レントゲン検査を受けたりもしました。

中学になるころには、教師のえこひいきに怒りを感じたし、全校生徒の前で教師にPTA会費の使い道を聞いたり、進路指導の教師が、お前のような奴が行く高校はないとかいうから、自分の進路は先生の進路ではないし、自分で決めますといったり、気が小さいのに、反抗心だけは、かなりのものでした。

だから、一人で船に乗って海外に行ったり、海外で暮らしたりしていることも、子供のころからのまわりと同じ考えではない生き方があるんだと思います。

日本人は、協調性があるから、まわりを乱すようなことをしませんが、その代わり、一つの方向に集団で突っ走りがちです。

そして、政府やメディアを信じすぎますね。

いい時には素晴らしいけど、悪い時には、恐ろしいです。

海外で一人で生きていくには、やはり自己責任ということが重要で、自分を守るには、いろいろな情報を集めることも大切です。

他人を疑うし、不自然なことに敏感になります。

権威のある人の言いなりにはなりませんから、病院に行っても医師と考え方が違うこともたまにはあります。

そうやって人を疑っているうちに、多少は人を見る目も養われてきます。

私は、日本で暮らしていたら、トラブルが多いだろうなと時々考えます。

タイで暮らしているから、外国人として、タイの法律や規則などに従うべきだと考えているけど、日本で暮らしていたら、そんな歯止めがかからないから、自治体などに噛み付いてばかりかもしれません。