2017年12月26日火曜日

断捨離

wikiによると断捨離とは、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を、ヨーガの行法である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)を応用

断:入ってくるいらない物を断つ。
捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。
離:物への執着から離れる。

自分のまわりにある不要なモノを捨て、快適に暮らすことらしい。

一般論ですが、歳をとると、もったいないとモノをため込む人が増える傾向があるようです。いい意味では、ものの価値を知っていて、どんなものでも、いつか役に立つだろうと考えるのでしょうね。

もちろん、若い頃から、自分の好きなものをためるコレクターもいますが、だいたい、結婚後、奥さんにいろいろと捨てられることが多いようです。

捨てるのが好きな人は、自分のいる空間を広々とさせておきたいとか、必要なものは、最小限に留め、何かが必要になったら、必要な時に買えばいいと考えるようです。

住居は、限られた空間ですから、ものを無限に増やすことは出来ないわけで、要らないものを見つけて捨てていかないと、それこそゴミ屋敷になってしまいます。

モノへの執着など、執着心が、人を不幸にするというのは、仏教の考えのようです。そういったことが基本で、断捨離ということも支持されてきているのでしょうね。

しかし、歴史を振り返ってみると、国宝とか歴史的建造物などは、ある意味、執着心を持つ人たちによって、保存され、今日まで存在してきたともいえるのではないかと思います。

例えば、アフガニスタンにあるバーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群が、イスラム過激派のタリバンによって、爆破破壊されたことを考えても、破壊されてしまえば、もう、歴史的な遺跡は存在しません。

中国の文化大革命なんかでも、多くの歴史的な資料や宝物が焼かれたり、破壊されてしまいました。

そればかりではなく、民族の浄化という大虐殺まで起きてしまいました。

カンボジアのポルポト政権でもそうでしたが、文化とか教養とかを否定する過激な考えを持つ人も生まれてしまいます。

モノだけでなく、置き場所をとらない文化や様式や教養までも否定されるのは、恐ろしいですね。

1人にとって要らないモノでも、他の人には重要なモノであることもあります。宗教戦争なんかもそうですし、夫婦間でも親子間でも、価値観の違いが原因で、喧嘩が起きます。

社会とか国家となれば、なおさらで、考え方によっての価値が違います。古いものを捨てることは、たやすいことですが、一度捨ててしまうと、もう、なかなか元には戻れません。

中国は、文化大革命で、古書などを燃やしてしまったので、中国の歴史を学ぶためには、もう、日本に残されている書物から学ぶしかないこともあるそうです。

理想は、執着などなく、シンプルな暮らしですが、現実的には、あれを捨てなければよかったという後悔もよくあることです。

1冊の本や1枚の写真から、大切な人や事柄を思い出すこともあります。モノが壊れたとき、あれをとっておけば直せたになどと思うこともあります。

お金に対する執着も、行きすぎたら汚いですが、あんまり執着しないでいると、惨めな老後になってしまうこともあるし、要らないモノは捨てていくということが行きすぎたら、ヨボヨボの老人も要らないから捨てるという考えになるかもしれませんよね。

家族や社会から捨てられるのなら、自らその前に命を絶った方がいいという考えも生まれるでしょうね。

世界では、今、消極的な安楽死だけでなく、積極的な安楽死も、議論されてきています。スイスでは、外国人でも、基準を満たせば、安楽死を実施してもらえるのだそうですが、重い問題ですね。

考えたくない問題でも、考えざるを得ない問題のひとつです。