2018年1月31日水曜日

なんでも「ただ」がいい

人間、生まれてから死ぬまで、息をしていますが、空気は無料ですね。

空気以外は、だいたいお金がかかります。

昔は、水も無料で、わき水でも小川の水でも、飲み放題、使い放題でした。井戸を掘れば、井戸掘りの費用はかかりましたが、あとは無料でした。

食べ物は、自然になっているモノや魚や動物を捕って食べていた頃は、無料でした。自給自足が出来れば、食べるものには金がかからないですが、肥料とか農機具とかには金がかかります。

そして、世の中が複雑になり、何をするにもお金がかかるようになっているわけですが、最近、ベーシックインカムという考え方が、注目されてきているようです。

政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を定期的に支給するという政策なんだそうです。

生活保護がありますが、不正に受給している人たちもいて、不公平な面もあるわけです。

生活に困っている人たちを助けることはいいことですが、狡賢い人たちがいるので、現物支給がいいという考え方も出てきています。

出来る限り「ただ」にするというのも、面白かもしれません。

電気代も水道代もガス料金も交通費も「ただ」。維持費は、税金でまかないます。そうなると、無駄遣いをする人も出てくるかもしれませんが、そんなの無視。

いわゆる公共料金というモノがただにということで、最近は、教育なんかも、かなり無料になってきています。

なんでも民営化したのを公営に逆行させてしまいます。

電話なんかも、インターネットを使った電話なんか無料ですから、無料にできないことでもないと思います。

東京オリンピックをひかえ、外国人にも、無料でwifiを使えるようにという計画も進行中のようです。

今、wifiなんか、日本国中、どこでも、誰でも、「ただ」で使えるようにしてもいいような気がします。

捨てている食べ物なんかも、活用したいですね。自己責任で、捨てられる食品を「ただ」で提供なんか、ぜひ考えるべきだと思います。

10回に1回くらい下痢をするかもしれないけど、そのくらいのリスクがあっても、「ただ」ならいいのではないかと思います。

フリールームなんかも、全国で空き屋になっているところをネットワーク化して、そこに行けば、「ただ」で泊まれるなんてのもおもしろいです。

少しくらい不便でも、多少のリスクがあっても、基本、「ただ」で生きていかれるというのは、おもしろいと思います。

あくまでも個人レベルの「ただ」であって、商売には悪用させないようにしないといけません。

何事にも維持費はかかりますが、「ただ」を利用する人たちは、出来る範囲で、「ただ」で、労働力を提供することで、少しでも維持費を減らします。

例えば、管理人を買って出るとか、掃除や修理を手伝うとか。

過疎化の村を「ただで暮らせる村」にするとかはどうかな。まあ、原始共同体ということになって、団塊の世代には受けそうな気もします。

わたしが、考えるくらいですから、すでにやっているところもあるでしょうけど、金金金の世の中、なんでも「ただ」にするのは、「人間とは」とか「生きるとは」とか、考える意味でもいいことだと思います。