2018年4月18日水曜日

針金師たちの青春

ネットでニュースを見ていたら、こんなニュースがありました。

柔道日本代表の茶道体験にルー大柴登場

遠州流茶道というのがあるんだそうで、その師範にルー大柴さんとあったので、ルー大柴さんについてwikiをみていたところ、「高校卒業後、欧米各地で、自作のアクセサリーを露天販売しながら数年間放浪」とありました。

わたしが、ヨーロッパに行った頃、日本人で、銀メッキの針金を細工して、アクセサリーをつくって、路上販売をしている人たちが、かなりいました。

当時は、すでに分業化されていて、アクセサリーを作る親方と、そのアクセサリーを売り歩く売り子がいました。

なぜ、そんなことを知っているかといえば、同じ船で横浜から出発した仲間の1人が、その針金売りの売り子をしていたからです。

わたしが、スイスの田舎町で、家政夫のアルバイトをしていた頃、彼が、時々スイスに来て、チューリッヒのユースホステルで再会していました。

彼の案内で、チューリッヒこの湖畔のテントの中で、朝から晩まで針金細工をしている親方を紹介してもらったり、その近くのテントで寝泊まりをしている売り子の人たちとも話をしました。

彼らの話はメチャクチャおもしろくて、針金細工を売り歩いて、ドイツの田舎町にいったときに、村のお祭りで、かなり売れていたのに、おまわりさんに見付かったので、必死で一山越えて逃げたとか、どこまでが本当なのかわからないけど、みんなで大笑いでした。

当時のヨーロッパでも、無許可での路上販売は違法だったようで、おまわりさんに見付かれば、たっぷりと𠮟られて、アクセサリーを没収されるとのことでした。

でも、みんな若かったし、田舎に行くと、日本人は珍しがられて、かなり注目されて、彼女が出来た人もいたようです。

テントの中での細かな作業ですから、暑いし、ストレスもあったようで、親方の人は、テントから出てきて、空手の練習をしながら、奇声を上げていたのが印象的でした。

一夏で、ものすごいお金になったそうで、親方などは、当時でも一夏で100万円以上の収入で、商売にならない冬の間は、スペインで、のんびりと暮らしていたそうです。

当時から、フランス以北は、物価も高くて、物価の安いのはスペインといわれていました。移動は、中古の自動車などを使っていました。

ルー大柴さんが、親方だったのか売り子だったのかわからないですが、万が一、あの夏のチューリッヒ湖畔のテントにいた人の1人だったら、おもしろいんだけどなあ。

ヨーロッパで知り合った日本人には、いろいろと興味深い人たちが多かったです。