2018年9月8日土曜日

ブラタモリで鳥取砂丘

鳥取砂丘には行ったことがないので、今回のブラタモリを興味深くみました。

わたしは、子供の頃から、遠州灘の魚釣りの経験があるので、砂浜とか砂丘は、そんなに珍しくはないです。

鳥取砂丘をみた印象は、砂が赤みがかっていたことです。遠州灘の砂は、黒を含む灰色から白でした。どちらかというと、鳥取砂丘の砂よりも、粒が粗い記憶です。

砂は、一般的に、近くの川から流れて来て、堆積するのですから、近くの川の上流にどんな岩石があるのかによって、砂の色も違うのでしょうね。

鳥取砂丘の場合には、火山灰も堆積している層があるそうで、遠く鹿児島から舞ってきた火山灰の層もあるそうです。一番多いのは、近くの大山からの火山灰だそうです。

そして、鳥取砂丘は、靴で普通に歩けているようでしたが、遠州灘の砂浜は、砂が柔らかいというか、靴だと砂に沈み、脱げてしまいました。裸足で歩く方が便利でした。

鳥取砂丘も冬には、強い風が吹いて、砂が舞って、顔が痛くなると言っていましたが、遠州灘でも同じでした。

鳥取砂丘は、地下に火山灰の層があって、そこで雨水がその層よりも下に行かないので、わき水として湧き出ているそうで、砂丘なのに、農作物も出来るそうです。

一年中15度くらいといっていましたので、その水を屋内に流し入れたら、自然の冷暖房になるのではないかと思いました。

鳥取といえば、梨とからっきょうとか海産物という人もいるでしょうけど、わたしにとっては、「サクランボユートピア」です。

1971年でしたか、前衛演劇集団・東京キッドブラザーズを率いる東由多加さんがかけ声をかけてはじめた「サクランボ・ユートピア」ってのがありました。

一人あたり千円の会員権を募って土地を手に入れ、自分たちのユートピア建設を目指すという、当時流行っていた欧米の共同体への幻想という感じで、すぐに頓挫したようでしたが、新聞で、記事を読んで、東京までいって、キッドブラザーズの事務所にいって、会員権を買いました。

わたしは、買っただけで、実際にサクランボ・ユートピアの予定地、鳥取県八頭郡佐治村には行きませんでした。

それにしても、最近のタモリさん、かなり下っ腹がでてきていませんか?

遠州灘の砂浜は、天竜川に佐久間ダムや秋葉ダムが出来て、水量が激減してしまい、堆積する砂は減り、逆に、海の波で砂浜が浸食される事態になって、テトラポットをいっぱい並べたり、防波堤を築いたり大変なようです。

わたしが、父に連れられて魚釣りに行っていた頃は、まだ、テトラポットもほとんどなくて、コンクリートの堤防もなく、道路から、防砂林の松林を二つくらい超えて、やっと砂浜で、砂浜も子供だったからか、かなりの距離があったと記憶しています。

三軒屋海岸という名前だったと思いますが、投げ釣りで、キスや石持ちがよく連れました。クサフグもよく釣れ、我が家では、父も母も、自分で料理して、食べていました。

内臓や皮をとって、血をきれいに洗い流せば大丈夫といっていました。

トラフグは、さすがに素人では危険なので、父の知り合いの免許を持った人に調理してもらっていました。

昔は、砂浜で、流木を集めて、たき火をしながらの夜釣りもやりました。カーバイトのランプも使い、あの独特の匂いを思い出します。楽しかった思い出です。

遠州灘の砂丘といえば、中田島砂丘が有名で、5月の連休に行われる浜松祭りの大凧合戦で有名です。

砂浜は、歩きにくいので、足腰を鍛えるため、いろいろな人が走ったりしていますが、子供の頃、見たのは、プロレスラーが、投げたり蹴ったり殴ったりの練習をしているのを偶然見たことがあり、ものすごく感激しました。

あと、子供の頃、祖母に連れられて御嶽山に登ったとき、ばあさんたちのリーダーのような先達さまというおじいさんがいて、その人について、夜明け前に遠州灘にいって、先達さまが、白い装束で海に入っていって、身体を清めて祈るのを見たことがありました。

台風のあと、遠州灘に大きな貨物船が座礁していたこともあったし、航空自衛隊の練習機が墜落して、ジュラルミンのような部品が落ちていたこともあったし、本当に、映画や小説のような体験もいっぱいしたところです。