2018年12月5日水曜日

クイーン

あれは1975年だったと思うけど、当時滞在中のデンマークではじめてクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」をラジオで聴きました。

美しく魅力的な曲だったけど、とにかく、その曲の長さに驚かされました。

そして、「A Night at the Opera」のカセットテープを買いました。

ボーカルも美しいし、リードギターのソロが、魅力的でした。

それから、クイーンは、好きなアーティストのひとつになったんですが、はじめて、メンバーの写真を見て、ボーカルのフレディ・マーキュリーが、イギリスのロックミュージシャンぽくないので驚きました。

他のメンバーたちは、まさにイギリスのロックミュージシャンといった風貌ですしね。

最近インターネットで検索し知ったんですが、彼は、ペルシャ系インド人の両親からアフリカのタンザニアにあるザンジバル島で生まれたんだそうで、インドのボンベイ(今のムンバイ)郊外で育って、後にイギリスに移住しているんだそうです。

テンパの黒髪で、少し出っ歯ですから、たぶん、ロンドンでは、差別とかも受けたかもしれないし、コンプレックスもあったのかもしれません。

だから、金髪の彼女(メアリー・オースティン)が出来たときは、夢中になったんではないかと妄想します。

私を含めて、一昔前までのアジアの男は、金髪の彼女が出来たら、夢中になる人が多い気がします。

フレディ・マーキュリーが、HIV関連の肺炎で45歳で亡くなってしまい、とても残念ですが、彼が、ゲイに目覚めてHIVに感染した可能性が高いようです。

今、クイーンの映画「ボヘミアン・ラプソディ」がヒットしていて、そのへんの話もでているようです。

成人してからゲイに目覚めると、後戻りできないとか言われるようです。

クイーンといえば、日本での人気が欧米に先行したとか、日本が大好きなバンドだったとか、いろいろといわれています。

フレディ・マーキュリーは、お忍びでも、何度も日本に来たそうで、新宿二丁目のゲイバー「九州男」に通っていたそうです。

フレディ・マーキュリーは、猫好きとしても有名で、心優しいアーティストだったんでしょうね。

死ぬまでの7年間生活を共にした恋人ジム・ハットンよりも最初の恋人メアリー・オースティンの方が、遺産を多く相続したんだそうです。

バンドの名前が、クイーンで、初期のマネージャー・ジョンレイドがゲイだったことも、フレディ・マーキュリーの人生に影響を与えたような気もします。

どこの国でも音楽界や芸能界には、ゲイが多いようです。他には、ファッション業界とかホテル業界とか。

フレディ・マーキュリーの「I Was Born To Love You」は大好きな曲です。