2018年12月25日火曜日

海外で暮らすということ

私がタイに住み始めたのは、仕事の関係でしたが、仕事で海外に赴任し、そのまま海外で生活を続ける人も多いようですし、国際結婚で海外で暮らすことになった人たちもいます。

仕事ですと、自分の意思ではない人もいるでしょうけど、長期の滞在ですと、多くの人たちは、生活の基盤とか、家族の問題とかもあるでしょうけど、その国が気に入っているからではないかと思います。

戦後、南米などに移住していった人たちは、厳しい環境のなか、ものすごく苦労されたわけですが、現在とは違って、簡単に祖国に帰れるような時代ではなく、帰りたくても帰れなかった人たちも多かったのではないかと思います。

今は、いざとなれば、日本に帰れますし、日本以外の国に移っていくことも可能です。

例えば、タイで、ものすごい反日運動が起きて、日本人が狙われるとか、戦争や内乱などで、治安が乱れて危険だとか、疫病などで、住み続けるのが危険だとなったら、私は、たぶん、日本への帰国を考えるでしょう。

日本人でなくても、ベトナム戦争時代のボートピープルであれ、シリアからの難民であれ、必死で、新しい世界を求めて、脱出します。

私の場合には、生活基盤がないので、日本に戻っても、苦労するでしょうし、日本語を話さない家族は、もっと苦労するでしょうけど、でも、親族はいるし、友人たちもいます。

そんなことを考えていると、日本にいる外国人たちのことも考えるわけです。

いろいろな人たちが日本で暮らし、不満もあるでしょうけど、日本は、外国人にとっても、悪い国ではないと思います。

もしも、住みにくくて、危険な国だったら、彼らは、祖国や別の国へ行くことを考えると思います。日本が暮らしやすいから、滞在を続けていると思います。

さもなければ、確定値で256万人を超える外国人が、日本で生活していることは不自然です。

実際には、短期滞在者たちや密入国者とか、不法滞在者とかもいるわけで、ものすごい数の外国人が日本に滞在していると思います。

よく、ひどい差別を受けているとかいっている外国人もいますが、本当にひどいのなら、祖国に帰るとか、別の国に行けばいいのにと思います。

最近、部落についての話題もでていますが、戦前までは、部落問題があって、いろいろな差別もあったわけですが、戦後になって、同和教育や同和対策で、一般の人たちは、部落なんか知らないし、部落というのは、地区という意味だと考える地方も多いです。

私は、多感な高校時代に岡林信康の歌とか、映画「橋のない川」で部落問題を知り、まあ、ひどい時代だったんだなあと思っていたわけですが、最近では、被差別民に、特別な利権があるといった話があったり、逆差別問題もあるとか。

私が、もしも差別を受ける側だとしたら、引っ越しますね。何度か引っ越せば、もう、どこ出身かはわからないでしょう。今の時代、海外移住だって考えると思う。

そういった理由で、他の国から日本に密入国してきた人たちもいるそうです。

名前から差別につながるのであれば、名前を変えることも考えるでしょうね。

在日の人たちのように通名を使うとか、正式な手続きを経て、名前を変えるとか。

部落といわれる地区にこだわるのだとすれば、それには、いろいろな理由があるのでしょうね。不利なこと以上のメリットがあるとか。

世の中には、頭のいい人や悪知恵の働く人たちもいて、善意の人たちを騙そうとする、いろいろな嘘もあるわけで、被差別ビジネスとか被害者ビジネスといわれるようなひどい話もあるようです。