2019年8月23日金曜日

カンブリア宮殿 「餃子革命」の話

餃子の街といえば、栃木県の宇都宮か、静岡県の浜松かと毎年競い合っているわけですが、そのどちらにも、餃子を作っている同じメーカーの機械があるんだそうです。

テレビ「カンブリア宮殿」で餃子ブーム! 陰で支える町工場の「餃子革命」ってのをやっていました。

東亜工業という浜松にある小さな町工場が作っている「餃子革命」という機械が、国内でも海外でも大活躍なんだそうです。

浜松といえば、オートバイの街ですし、楽器の街ですし、浜松ホトニクスでも有名です。

世界で初めてブラウン管によるテレビの受信を成功させた高柳健次郎さんも有名です。

日本の研究は、昔からすごかったんですが、高柳さんの研究もアメリカの占領軍によって中止させられてしまっています。

日本独自のOSトロンも同じでしたよね。

浜松には、戦後40を超えるオートバイを作る町工場があったそうで、有名なのは、ホンダですしヤマハですしスズキなんですが、そんな有名メーカーにレースで勝った町工場もありました。

それが、丸正自動車製造という会社で、今でも知る人ぞ知る名オートバイ、ライラック号を作っていました。

その会社でエンジン技術者だった溝渕定さんと一緒に設計、工務から企画まで携わった請井由夫さんが作った会社が、東亜工業なんだそうです。

浜松で物作りに携わってきた人の多くが、浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)で学んでいるんだそうです。

昔、小学校の教頭先生が言っていましたが、いくらいいものを作っても売れるとは限らない。適当なときに壊れないと、会社はつぶれるとのことで、その時に教頭先生が言っていたのが、ライラックの話でした。

番組の中でも東亜工業の2代目社長さんがいっていましたが、購入してくださるお客さまのことを考えれば、故障をしない機械が理想なんだけど、長い間故障がないと、会社としては商売にならないから難しいとのことでした。

ホンダが成功したのは、物作りの本田宗一郎さんと経営に力を発揮した藤沢武夫さんのコンビがあったからだそうで、物作り優先ですと、会社は、なかなか難しいようです。

東亜工業も先代の時には、経営危機があったそうで、それを現社長が、アンテナショップを作ることで、営業努力をして、なんとか軌道に乗せることが出来たんだそうです。

ライラックを作った溝渕定さんですが、90歳近くなって今も、物作りに燃えていらっしゃるようです。

私自身が実感!高齢になっても回復し、元気になれる!~イージ・ウォーク開発秘話~

すごい人たちがいらっしゃいますね。