2020年3月24日火曜日

タイで非常事態宣言が出るぞぉ

タイでは、このところ毎日100人以上の感染者が増えていることを受け、26日からの1ヶ月間、非常事態宣言を公布することを決めました。

タイにおける非常事態に関する法律は、2005年に現在国外へ逃亡中のタクシン政権によって発布されたものが、現在も使われているのだそうです。

あくまでも一般論ですが、非常事態宣言が出ると、多くの権限が首相の手にわたり、法律に優位する政令の発布、令状によらない逮捕・家宅捜索などを許し、報道や集会の自由などの制限も可能性があるようです。

タイにおける非常事態宣言の歴史

1.2005年7月19日、南タイの混乱でタクシン首相は、ヤラー、ナラーティワート、パッターニーの3県に非常事態宣言を発令した。

タクシンは「逮捕状なしの身柄拘束や出頭命令」、「武器の取引制限や没収」、「混乱につながる集会の禁止や電話などの通信傍受」、「治安に影響を与える報道の禁止」、「問題がある外国人の国外退去命令」などを治安当局に命じる非常大権を手にし、強硬姿勢で治安対策に当たることが可能となった。

ただし、これらの措置が基本的人権の制約を伴うため、マスメディアやジャーナリスト協会、人権団体から批判が続出した。

クルセ・モスク事件とタクバイ事件

2.2006年9月19日午後10時、国連総会出席のためアメリカのニューヨークに滞在中のタクシン首相が非常事態宣言を出した。この後、ソンティ陸軍総司令官によるクーデターでタクシン政権失脚。

2006年9月20日夕刻に、プミポン国王がソンティ司令官の行政改革団の暫定首班就任を承認したことにより、タクシン政権の崩壊と非常事態宣言の無効が確定した。

3.2010年4月7日 - タクシン派赤シャツデモ隊が国会議事堂に乱入するなど、首都の一部で治安情勢が悪化しているため。タイ政府、13日夜バンコク首都圏に加えてタイ北部、東北部、東部の11県に非常事態を宣言した。

ちょうど1年前の2009年4月11日午後、東南アジア諸国連合プラス3(日中韓)のASEAN関連会合がアピシット首相の辞任を求めるタクシン派赤シャツの抗議デモが会議場に乱入し、各国首脳はヘリコプターで現地から避難した。

2010年の5月19日には政府による静圧が起き、多くの死傷者が出ました。赤シャツによる、「バンコクを燃やせ」発言もあり、バンコクや地方で、多くの放火事件が発生。

4.2014年1月21日、反タクシン派のデモなどによる混乱のため首都バンコク全域に非常事態を宣言すると発表した。
この後、今のプラユット首相などによるクーデターが起きました。

インラック政権打倒を目指す反政府デモ隊がバンコクで大規模集会を続ける中、デモ隊拠点を狙った赤シャツ派とみられる爆発物の投げ込みや銃撃事件が頻発。

以上は、治安維持のための非常事態宣言でしたが、今回は、疫病対策のためといわれています。

curfew(夜間外出禁止令)เคอร์ฟิว
declaration of a state of emergency(非常事態宣言発令)
ประกาศสถานการณ์ฉุกเฉิน

今のところ、こんな命令が出るといわれています。

1. 許可がない限りは、決められた時間帯以外の外出を禁じる
2. 集会や市民の不安を煽る行為を禁じる
3. フェイクニュースの流布を禁じる
4. 許可されていない道路及び車両の使用の規制。
5. 指定された建物の使用、立入、長時間滞在の禁止
6. 安全上の理由から指定された場所から市民を避難させる

命令に違反した者は、2年を超えない懲役、または、4万バーツを超えない罰金または両方を科す。

*許可の無いバンコクからの移動の禁止
*必要な時以外は家から出ない
*職場では、衛生に気を配り、関係省庁からの指示に従い、人間同士の距離を1-2メートル以上に保つ。

最終的には、26日に非常事態宣言が発令後、詳しく知らされるようです。

タイでは、非常事態宣言以外にも、夜間外出禁止令が出たり、戒厳令が出たり、時々、小説や映画のような世界になることもありました。

一般的には、夜間外出禁止令は、夜の9-10時ごろから、朝の4-6時ごろまで出されることが多かったような記憶があります。

と言っても、一般人には、多少の不便以外は、大きな問題もなかったです。今回も、家にいればいいわけで、遊び人や犯罪者以外は、問題はないと思います。