2020年12月11日金曜日

愛はかげろうのように

 人生を長いことやってきて思うことは、やっぱり、可能な限りいろいろな経験をしておいた方がいいということです。

昔から「若いときの苦労は買ってでもしろ」なんていわれてきていますが、死ぬまで苦労なしで生きていけるのなら、別に苦労しなくていいと思います。

ただ、ほとんどの人は、生きていく中で必ずといっていいほど苦労するわけで、苦労するときに、過去の苦労の経験が生きることはあると思います。

それと、ひとつ大切なことを忘れてはいけないわけで、後戻りできないような苦労はしてはいけないということです。

犯罪を犯すとか子供が出来ちゃうとか大病や大怪我をするとか、そういったことには十分に気をつけた方がいいと思います。

日本は島国で、まだまだ外国人に対する実体験が少ないですから、海外に出て、いろいろな外国人を見ることは、素晴らしい経験になると思います。

本当に外見だけでなく性格とか考え方とか、色々ですし、悪い人は桁外れに悪いですし、もちろんいい人たちもいます。

人を見る目を養うためには、やはり経験しかないと思います。

多くの人間は、遠いDNAを求めるのか、異邦人が好きですし、元気な遺伝子を求めるのか、スポーツをする人や不良が好きです。

でも、歳をとれば、みんな考え方も好みも変わりますね。

見てくれも大切でしょうし、経済力も大切ですが、やっぱり家庭的で優しい人がいいのではないでしょうか。

色々とネットで検索していたら、昔はやった歌が出てきました。

(愛はかげろうのように I've Never Been to Me

歌詞の内容は、老境にさしかかった孤独な女性が、親を呪い己の不幸を嘆く若い女性にむけて、真実とは何かを教えている。自分はあちこちを旅し、快楽も貪り悪いこともやったけど、愛に恵まれず、子どもをおろしてしまった。でも、真実とは、愛であり、愛を貫くことのできなかった私は、私自身に出会うこともできなかった、と。

これはwikiにある説明ですが、解釈はひとつではないような気もします。

ただ、不平不満ばかりいって、夢ばかり追っていると、気がついた時には取り返しがつかない孤独な人生となるみたいな歌詞ではないかと思います。

歳をとると、金銭のこととか健康のこととかだけでなく、孤独というのも大きいわけで、家族とか友人とか、ペットとか、自分の趣味を持っていないと、幸せとはいえないかもしれません。