2022年7月31日日曜日

三つ子の魂百まで その2

 生前の両親の話によると、私は祖父からとてもかわいがられていたんだそうです。

世の中でよく言われるように自分の子供には厳しかった祖父が、まわりが驚くほど、孫の私をかわいがっていたそうです。

そんな祖父が、私がまだ物心つくかつかない頃に亡くなったことで、私は、かなり泣き叫んでいたそうで、火葬場に連れて行ってもらえなくて、霊きゅう車を走って追いかけていた記憶があります。

あとからまわりの話を聞いて記憶と思っているのかもしれませんが、とにかく、私は、子供のころから死とか死体を異常に怖がるようになりました。

初めて死体をまじまじと見たのは、タイで暮らし始めてからです。

そんな私ですから、母が他界したときでも父が他界したときでも、タイから急遽帰国して葬儀や荼毘には間に合いましたが、大好きな母でも父でも、遺体に触れることができなかったばかりでなく、遺骨を骨壺に入れるときに素手で触れなくて、弟に馬鹿にされました。

もう一つ、子供のころの恐怖といえば、5~6歳のころ、伯母さんの家族と一緒に海水浴に行ったときに、年上のいとこたちに海に放り投げられて、一瞬、おぼれ死ぬかと思った恐怖でした。

海中で砂が巻き上げられている中でもがく自分を覚えていて、息苦しくて怖かった。

もしかしたら、本人がおぼれ死ぬと思っていただけで、たした時間ではなかったのかもしれないし、すぐに助けられたのでしょうけど、それから、ずっと水が怖くなりました。

小学校でも中学校でも、夏が嫌いでした。理由は、プールの時間があったからで、プールに入るだけで息苦しくなって怖くなりました。

だから、いつのころから、おなかが痛いとか、風邪をひいているとか嘘をつくようになり、仮病で水泳の時間から逃げていました。

たぶん、教師やクラスのみんなにはバレていて馬鹿にされていたと思うけど、本人は必至なわけです。

あれは惨めでした。

でも、中学3年の時に、体育の教師から、水泳で300メートル泳げない奴には、高校入試のための内申書は書かないと宣言され、仲のいい同じように泳げない友達と夏休みの間、毎日のように市民プールに通って、水になれるところから始め、水に潜る練習をし、手足を見よう見まねで動かし、徐々に泳げるようになることができました。

夏休みが終わって最初の水泳の授業では、300メートルを平泳ぎで泳ぐことができて、教師から褒められ、うれしかったです。

でも今でも水は怖いです。