2023年2月16日木曜日

タイの政治の話 その2

タイといえばクーデターが多いことでも有名ですが、タイで起きた主なクーデターは、下記のようになっています。

タイのクーデター

この中で注目すべきは、ベトナム戦争当時のタイでも起こっていた学生運動です。

特に1973年10月14日に起きた血の日曜日事件と1976年10月6日に起きた血の水曜日事件で、当時を知るタイ人は、まだ60代から上の世代で健在です。

タイでは共産主義のドミノ化を恐れて、共産主義に染まった学生たちを弾圧したので、一部の共産主義者たちは、都会を離れて地方に潜伏し、共産主義を広めるための「赤い村」を作っています。

まさに毛沢東の「農村からか都市を包囲する」戦略ですね。

その後、タイは、プレーム首相などの近代化政策が成功し、どんどん経済発展していったのですが、1992年5月17日に起きた暗黒の5月事件で再び市民の民主主義へに対する軍部の暴挙に反対の声が高まっていきました。

そして、1997年の7月に起きたアジア通貨危機でタイの経済がボロボロになってしまいました。

この原因については色々な説もあるわけですが、一説では、香港の中国への返還で行き場を失った巨額の資金が、タイに押し寄せたとか、それをタクシンが内部から手を貸したとか、タクシンと欧米の金融界が大儲けしたとか、まあ、いろいろな都市伝説はありました。

それで、IMFの管理下に入ったタイですが、「IMFはタイの父親ではない」と啖呵を切って登場したタクシンが、タイ復興のための数々の政策を打ち出し、貧困層の救世主という役どころで、支持者を増やしていき、政権をとったわけです。

日本人、特にメディアとか学者は、タクシン信者が多くて、美化したがりますが、冷静に見れば、貧困層を利用して私腹を肥やしたわけで、貧困層のために政治をしたわけではないようにも見えます。

もちろん、いい政策もあったとは思いますけどね。

そして、軍部独裁と戦う民主主義の英雄ということを演じたいようですが、実際の手法は、まさに独裁ではないかという批判も多いです。

タクシンに関しては、これから、日本の報道もいろいろと美化した記事を書き始めると思うので、あえて、アンチの意見を提供させていただきます。

クルセ・モスク事件とタクバイ事件

麻薬取締り大量虐殺事件

タクシンの政治

タクシンの生い立ちとか経歴に関しては、こちらも一読の価値はあると思います。最後の方にある見えにくいところは、パソコンならマウスをクリックして引っ張って行けば見えやすくなります。

タクシンの経歴など

いろいろな情報を見ておかないと騙されてしまう可能性もありますよね。