2017年8月26日土曜日

日記と写真

人生も終わりが近付いてくると、いろいろと昔のことを思い出します。

ところが、歳をとると記憶力が低下するし、何度かの引っ越しや身の回りのものの整理で、あったはずなんだがなあと思ったものが出てきません。

1973年3月3日に、横浜大桟橋から5000トン級のソ連の客船ジェルジンスキー号に乗ってナホトカに向かい、そこから、ヘルシンキまで、インツーリストのツアーで生まれて初めての海外旅行をしたわけですが、その時の写真や旅程などが、見付かりません。

パスポートを見ると、日本への帰国は、1976年1月27日でした。










出てきたのは、こちら


乗船券







歓迎のメッセージ








船内での食事時間の案内









船内の写真もないし、列車の写真もないし、飛行機に乗ったときの写真もない。

モスクワでは、写真を撮った記憶はあるのだけど、写真が出てきませんし、泊まったホテル名さえも定かではないです。

人生、日記というほどかしこまったものでないにしても、簡単なメモ程度でも残しておいた方がいいですよね。

ネットで検索すると、同じようなコースでヨーロッパに行った人たちのサイトもたくさん見付かりますが、みんなしっかり写真を撮っているし、細かなことまで記憶しているので、驚きます。

当時は、デジカメではなかったので、現像代もバカにならなかったわけですが、でも、写真も、いっぱい撮って残しておいた方が、老後の楽しみになります。

人生やり直せるのなら、あの時の旅をもう一度やって、メモをしっかりとって、写真をいっぱい撮りたいです。

ジェルジンスキー号の思い出といえば、横浜を出てから船のまわりを飛ぶカモメの数がすごかったこと、津軽海峡を渡る頃には、ものすごい波で、大きな客船が波の上に乗ると、360度、まわりは空ばかりで海が消え、波の下になると、360度まわり全部が海で、恐ろしかったです。

食事の時の牛肉が固かったこと、リンゴジュースばかり出てきて食傷気味になったことなども思い出します。

あと、4人部屋に2人でしたが、同室のSさんが、ひどい船酔いで、一晩中ベッドとトイレを行き来していたこと、船に酔わなかったけど、ベッドの上で左右にゴロゴロと転がされて、嘔吐の音も聞こえたし、ほとんど眠られませんでした。

ナホトカ港は、メチャクチャ寒かったです。

戦争に負けたあと、満州などからシベリアに連行されて強制労働をさせられた日本兵や民間人たちのことを考えると、本当に大変だったろうなと胸が痛みます。


その後、茶革の手帖がでてきて、以下のことがわかりました、

1973年3月3日  11:00AM 横浜大桟橋出港

3月4日      船中泊

3月5日      17:00  ナホトカ着
          20:00  列車にてナホトカ発

3月6日      11:05  ハバロフスク着
          15:05  国内線でモスクワへ
          16:25  モスクワ着

3月7日           モスクワ泊

3月8日       23:40  モスクワ発の国際列車にて出発

3月9日       15:05  ヘルシンキ着