2017年9月30日土曜日

1973年10月のパリ

1973年3月3日に横浜からソ連の客船ジェルジンスキー号に乗ってナホトカに向かった日本人たちの中で、親しくなった人たちと、まだヨーロッパに滞在していたら、半年後の10発6日にパリで再会しようと話あいました。

インツールストの旅程は、ヘルシンキ駅までで、そこからは、各自自由行動でした。

鉄道、フェリー、飛行機、ヒッチなど、いろいろな方法で、ヘルシンキを去って行きました。

わたしは、ヘルシンキのあとは、ストックホルムに2ヶ月くらい滞在し、その後、ドイツを旅行し、スイスに3ヶ月間滞在し、10月にパリに入りました。

パリは、わたしのスイス滞在中に伯父がパリに滞在していると知って、訪ねていったことがあり、10月に行ったときには2度目でした。

伯父さんは、画家だったので、パリに滞在して、デッサンとか写真を撮ったりの滞在でした。手紙にあった住所 Hotel Madeleine Palace、8 Rue Cambon, 75001 Parisの住所だけで、スイスのチューリッヒから列車でパリまで行って、そのあとどうやって行ったのか記憶にないけど、間違いなく、ホテルを見つけて、部屋に泊めてもらい、夕食をご馳走してもらいました。

ホテルは、古い建物で、なかなかいい感じでした。生まれて初めて、便器の横にあるビデを見ました。バスタブも、かっこよかったです。近くには、小さな凱旋門がありました。オペラ座近くの三越と、その近くの日本レストランに連れて行ってもらいました。

フランス語なんか出来ないのに、若いってのは、怖い物知らずです。

そして、10月に2度目のパリに行ったのですが、カルチェラタンに星なしの安宿を探し、そこに滞在しながら、パリをメトロと徒歩で、歩き回りました。

そして、約束の10月6日には、パリ郊外にあるロンシャン競馬場に行くことが出来ました。


わたしは、カメラマンで、写真には写っていません。ロンシャン競馬場にて




こちらは、誰かに撮ってもらった写真で、場所はたぶんシャンゼリゼのカフェだと思います。
わたしは、左から4人目。名前を思い出せない人もいます。





パリは、郊外のベルサイユ宮殿を含め、多くの見所があって、とても素敵でした。ルーブルも、本当に素晴らしかったです。

当時は、治安もよく、危険な思いをしたこともなかったです。

パリ観光のあとは、パリで落ち合った仲間のうちの数人と列車でロンドンに向かいました。

。。。。。。。。。。。

今日(10月1日)に昔のパスポートを見ていて、フランスのスタンプを発見しました。

記憶では、はじめてチューリッヒから列車でパリに行ったときには、イミグレーションチェックはありませんでした。

ところが、2度目に同じルートで行ったときには、サン・ルイ駅にて、別室に連行されて、荷物検査を受けました。

思い出してみれば、最初に行ったときには、短期間でスイスに戻る予定でショルダーだけでしたが2度目に行ったときには、スイスには戻らず、パリのあとにはロンドンに行くつもりで、すべての荷物を入れたカニ族の登山用リュックを背負っていたので、たぶん、引っかかったのだと思います。

3年間の滞在で、荷物検査は、あの時だけでした。イミグレーションでいろいろと聞かれることは一度もありませんでした。











スイスにオノ・ヨーコさんの2枚組アルバム「Approximately Infinite Universe」を忘れてきたのが、ものすごく残念です。