2017年11月21日火曜日

日本とタイの友好

日本人が最初にタイを知ったのはいつ頃なのかは知りませんが、江戸時代には、すでにタイのアユタヤという古都に、日本人町があったという記録があるそうです。


これは、昔の日本人町跡の写真で、現在は、りっぱな歴史博物館も出来ています。










そして、有名な山田長政という人物が、アユタヤ王朝の中枢まで登ったという話もあるのですが、事実なのかどうかについては、諸説あるそうです。

一般的には、タイと日本の友好の歴史は約400年といわれます。正式な外交関係は130年だそうです。

タイの王室と日本の皇室とは、古くから繋がりも深く、天皇陛下が皇太子時代にタイに送った淡水魚の話も有名です。

=1960年代、タイ王国の食糧事情が難しいと知った魚類学者でもある皇太子明仁親王(今上天皇)は、タイ国王にティラピアを50尾贈り、「ティラピアの養殖」を提案。タイ政府はそれを受け、現在、タイでは広くティラピアが食されている。このエピソードにちなみ、タイでは華僑により「仁魚」という漢字がつけられ、タイ語でもプラー・ニン(ปลานิล)と呼ばれている。=

第2次世界大戦の時には、日本の同盟国でもありました。その結果、タイも敗戦国として、賠償金を払いました。

日本の敗戦後にも、タイは、いろいろと素晴らしい話があります。

昨年なくなった「ゾウのはな子」ですが、元タイ国軍事顧問で実業家のソムアン・サラサス氏が、「戦争で傷ついた日本の子どもたちの心をいやそう」と私財を投じて発起人となり、日本に贈られることとなった話があります。

==ククリット・プラモードタイ元首相は、日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。

日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。

今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。==

タイやマレーシアやインドネシアには、こうした考えの人たちも少なくないようです。

現在、タイで暮らす日本人は、短期滞在を含めて10万人ほどいるようです。一時に比べる、多少減少傾向のようですが、シルバー層の老後を海外でブームもあって、北部タイに滞在する高齢者たちが多いそうです。

日本人会に入っている人は意外と少なく、5~6千人ほどのようです。日本人会は、バンコク以外にチェンマイやシーラチャにもあります。

手元に1977年の日本人会会員名簿がありますが、当時の会員数は2371人でした。












タイに進出している日本企業は大小併せると5000社ほどあるそうです。

タイの総人口は7000万人弱といわれています。

最近は、中国の進出も目立ってきていて、観光客でも中国人がダントツの1位ですし、どこに行っても、中国人を見ます。

もともと中華系のタイ人が多いのですが、中国本土から来ている観光客のマナーについては批判的です。

古くからの中華街は有名ですが、最近は、新しく来た中国人による第2の中華街が生まれています。

タイも高速鉄道の計画がありますが、日本の計画に中国が割り込んできて受注するケースも出ています。

家電では、韓国が日本を完全に抜き去っているし、車やオートバイも、最近は中国製が増えてきています。

テレビドラマも、昔は、「おしん」などが有名でしたし、アニメも強いですが、最近は、韓国のドラマや中国のドラマが多いです。

音楽では、韓国のグループが大人気です。

日本食は、タイ人も大好きで、どこに行っても日本食レストランがありますし、ラーメンとかうどんの専門店もあります。

日本の食材もかなり手軽に手に入るようになっています。

日本とタイとの友好が、これからもずっと続くことを祈ります。