2017年12月3日日曜日

「長良川の鵜飼い」からいろいろと考えた

「ブラタモリ」で岐阜をやっていましたが、スタートは長良川の鵜飼い。

歴史ある漁法ですが、もしかしたらと、タイ人のかみさんに説明をしてみました。

そしたら、想像通り、鵜がかわいそうという感想でした。動物虐待だそうです。

確かに、ひもで縛って、せっかく魚を捕まえたら、それを吐き出させられるのですから、まあ、虐待という見方も間違ってはいないでしょう。

そしたら、馬に乗るのも虐待だし、養鶏場も養豚場も虐待、サーカスも虐待、漁業なんか、全部虐待、抗生物質も、細菌に対する虐待?

闘牛なんか、間違いなく虐待ですし、大相撲のかわいがりも虐待ですね。

世の中、虐待ばかりで、すべての虐待に反対すると、生き辛い世の中になりそうです。

個人的には、許される虐待はあると思います。個人的には、闘牛はダメでも鵜飼いはOKですね。

暴行目的のかわいがりはダメでも稽古場のかわいがりはOKだと思う。

絶滅危惧種に対する保護だって、なんかおかしいなと思うところもあります。

地球誕生から、いろいろな生き物が栄え、いろいろな生き物が滅びて、今日があるわけです。一部の人間の都合だけで、これは絶滅させてはいけないとか、いいのかな?って思うこともあります。

人間の食べ物は殺してもいい、人間に害を及ぼす生き物は、駆除していいというのが、一般的な常識ではないかと思うのですが、イルカやクジラは、殺してはいけないという考え方もあります。

例えば、スズメバチの中に、絶滅危惧種があったとして、子供がまさに刺されようとしているときに、その絶滅危惧種を殺してはいけないのでしょうか?

例えば、ゴジラが、実際に誕生し、都市や人間を破壊しているときに、ゴジラは、絶滅危惧種だから生け捕りにとかいう人がいるかもしれませんが、でも、普通殺すでしょ。

ガン細胞だって自分の細胞だから、放射線や抗がん剤で殺さないでくださいという人もいるかもね。

「殺虫剤」というのが、「虫ケア用品」と名前が変わるそうですね。同じ成分で、同じ効果でも、「殺虫剤」と「虫ケア用品」では、受けるイメージが違います。

そういったイメージを変えることに何の意味があるのかなって思ったりもします。

わたしにとっては、核兵器よりも原子爆弾の方が恐ろしいイメージです。

世の中には、いろいろな考え方がありますが、何か、世界は、おかしな方向に進んでいるような気がすることもあります。