2018年8月6日月曜日

「生類憐れみの令」について

江戸時代前期(1680年代)、第5代将軍徳川綱吉によって制定された、「生類を憐れむ」ことを趣旨とした動物・嬰児・傷病人保護を目的とした諸法令の通称が、「生類憐れみの令」ということになっていますが、仏教や儒教の影響から来ているのではないかと思われます。

犬、猫、鳥、魚類、貝類、昆虫類などにも命はあるという考え方は、現代にも通用する考えですが、一般的には、悪法の代名詞ですよね。

タイで暮らしているとよくわかりますが、仏教では、輪廻転生を信じ、すべての命は、死んでも生まれ変わると信じられています。そして、自分の行ったことは自分に降りかかってくることが原則で、因果応報とか自業自得と言われます。

人間が、生きている間に悪い事をすれば、生まれ変わったときに、家畜になったりして苦労するし、人間として生まれ変わったとしても、悲劇が襲いかかるといった考え方です。

「親の因果が子に報う」は、たぶん、世界中で言われているようなことだと思いますが、障害を持った子供が生まれてきたり、大病をしたり、早死にしたり、子供が非行に走ったりしたときに使われたりします。

なんにも悪い事をしたわけでもないのに、不幸に襲われたりすれば、やはり、何らかの因果というか、業を考えてしまうことは、不思議ではありませんよね。

最近は、すべての命は尊いというのが、世界的な流行りで、動物保護などが叫ばれています。現代の「生類憐れみの令」という感じです。

漁民よりもイルカの方が大切だといった考え方は、極端すぎると思います。

わたしは、ペットなどは大好きですが、爬虫類や両生類は嫌いですし、ミミズとかムカデなんかも苦手です。

魚釣りは大好きで、子供の頃から、父から「殺生」に行こうと誘われて、魚釣りに行っていました。「殺生」とはすごい言葉ですが、でも、普通に魚釣りという意味で使っていました。

タイでは、信心深い人は、菜食主義ですし、魚釣りに行く人が信じられないようです。

わたしからすれば、植物も動物も命ということでは同じで、菜食主義だって、命をいただいて自分が生きていることにかわりは無いです。

中国人などには、大きな生き物は食べないと、牛肉を食べない人も多いですが、豚肉や鶏肉は大好きです。わたしの考えですが、農業を牛は手伝って来た歴史があるから、牛を食べてはいけないという教えもあるのではと思います。子供を産む数も少ないでしょうしね。

まあ、世の中にはいろいろな考え方があるわけですが、わたしは、究極の選択として、人間か動物かのどちらかを救うのであれば、躊躇なく人間だと考えています。

「生類憐れみの令」が悪法と言われたのは、「生類憐れみの令」によって犬などが大切に扱われた裏に、人間は、苦労させられたということがあると思います。

今の世の中、いろいろな差別に対する反対がありますが、平等って何なんだろうかと、もう一度考えるべきだと思いますね。

男と女とか、老人と若者とか、障害者と健常者とか、人間とペットとか、マジョリティーとマイノリティーとか、日本人と外国人とか、いろいろな関係があり、すべてにおいて平等とか、あり得ないと思います。

最大多数の最大幸福が基本だと思うし、人間が、他の生き物に優先されるべきだと思います。

被害者の権利が加害者の権利に優先されるべきです。自分の国の国益が、他の国の国益よりも重要です。

ただし、自分のしたことは、いつか自分に降りかかってくるかもしれないという考えを持って、相手のことも考えて、何事もやり過ぎないことが大切ではないかと思います。