2019年2月12日火曜日

タイの政治について

タイは、軍事クーデターの多い国として有名ですが、学生たちが、民主化を求めた闘争も、語り継がれています。

タイ人なら誰もが知っている1973年10月14日の学生決起に対する軍の静圧、1976年10月6日の学生に対する発砲事件が有名で、国際的な左翼運動の影響もありました。

1991年2月軍事クーデターで権力の座についたスチンダ政権の時、1992年5月17日におきた、「暗黒の5月事件」は、いろいろな意味で、有名です。

この事件で、スチンダ将軍と市民派のリーダーチャムロン警察大将をラマ9世が呼びつけ、跪く2人に対し、「タイは、君たちだけのモノではない」と聡し、スチンダは、首相を辞任し、チャムロンも反政府運動を中止しました。

このチャムロンの弟子だったのは、タクシンでしたが、その後、チャムロンは、タクシンを批判する側に回っています。

スチンダ将軍が表に出ていましたが、1991年のクーデターでは、

スントーン・コンソンポン国軍最高司令官で国家治安維持団団長、スチンダー・クラープラユーン陸軍司令官、プラパット・クリッサナチャン海軍司令官、カセート・ローチャナニン空軍司令官んお3名が国家治安維持団副団長でした。

現在陸軍司令官はアピラット・コンソムポン陸軍大将(58)で、チャーチャーイ政権を倒した1991年の軍事クーデターの首謀者の1人である故スントン・コンソムポン元タイ軍最高司令官の長男です。

現在の軍の上層部は、2020年に定年を迎える予定です。

2006年9月19日に外遊中のタクシン首相に対するクーデターが起きました。 「民主改革評議会」または「国王を元首とする民主主義制度統治改革団」は、ソンティ大将、サプラン大将、ルアンロート大将、コーウィット警察大将が、メンバーでした。

ここから、タクシン派の反撃がはじまり、行動部隊「赤シャツ」によるいろいろな事件が起きました。

そして、タクシン派が、権力の座に着くと、今度は、反タクシン派が、反政府運動を起こし、もう大混乱でした。

最期のクーデターは、2014年5月22日に現首相のプラユット・チャンオチャ陸軍総司令官が権力の座に就きました。

タクシン派は、選挙で、国民の多くから支持されている民主的な政権というのが、タクシン派の大義名分でしたが、もしも、3月24日の選挙で、反タクシン派が勝利し、プラユット首相が再任された場合には、彼もまた、選挙で選ばれた民主的な首相となるわけで、もう、軍政だの独裁だのと攻撃しにくくなるでしょう。

そうなると、タクシン派は困るのでしょうから、フェイクニュースを流したり、赤シャツの行動隊が、暴れたり、なんかやってくる可能性はあるかもしれませんが、もう、今回の王女さま擁立計画失敗で、国民の支持は得られないのではないかと思います。

エリック・カイザーのパン