2020年2月7日金曜日

ゆるキャン△

富士山の見えるいろいろなところでキャンプする女子高校生たちを描いたドラマ「ゆるキャン△」を見続けています。

たいした物語があるわけでもないし、キャンプのノウハウを教えてくれる番組でもないのですが、タイトルの如く、なんか、緩い話なわけです。

まあ、若い女の子たちが出ているから、見ているだけで癒やされるのかも。

今、いろいろなキャンプが流行っているそうで、キャンピングカーとまでいかないまでも、改造したワゴンなどで寝泊まりして旅行してみたり、一人キャンプも流行っているそうです。

大自然の中、最低限のモノで料理をしたり寝泊まりしたりするのは、人間の持っているDNAに記録された過去の思い出なのかもしれません。

人類は、木の実を採取したり、狩猟したりしながら、生きてきて、徐々に定着して暮らすようになったわけで、昔は、一人とか集団でキャンプをしていたわけです。

中国に送ったマスクに書かれていた漢文「山川異域 風月同天」ではないですが、自然の中で、景色や大空を見ていると、不思議な気分になることがあります。

小野洋子さんの「空気の話」ではないけど、私たちのまわりには空気があって、世界中のどんなに離れた所にいる人であっても、同じように空気を吸って生きているわけです。

小野洋子さんは詩人ですから、同じ空気を共有している二人は、どんなに離れていてもつながっているし、どんなに近付いたとしても、二人の間には空気があると、奥深い真理を書いています。

若かりし頃、このフレーズが大好きで、恥ずかしげも無く「どんなに離れていても、空気でつながっている二人ですね」というのをラブレターで書いていました。

陸地は、海で区切られているといわれrますが、海の底はつながっていて、本当は、地球上のすべての陸地はつながっているわけです。

海から陸地が顔を出したり、海の底に沈んだりしながら、陸地も海も生きているわけです。

私の体験ですが、ネパールにいったときに、高山病のためか、ちょっと幻想的な気分になったときに、今いるネパールと子供の頃、祖母に連れられて登った御嶽山がつながっていることを感じました。

普段の日常生活の中では、私たちの持っている生き物としての本能が眠っているけど、大自然の中で暮らせば、昔の思い出も無意識の中に思い出されるのではないかと思いますね。

まあ、世の中にはいろいろな人たちがいて、いろいろな考え方をしているから、すべてが同じとは思いませんが、でも、海を見ていると、海の向こう側を想像してみたり、山を見ていると、山の向こう側を想像したりします。

だから、一人でヨットに乗って大海に出ていく人がいたり、死ぬかもしれないのに高い山に登る人がいるわけでしょう。

自然の中で、不便を感じたり、孤独や恐怖を感じたり、真っ暗闇を体験したりすると、自分の中で眠っていた何かが目を覚ますこともあるのではないかと思います。