2022年8月1日月曜日

ヒッチハイクの話

行きたいところまで、知らない人の車にただで乗せてもらうのがヒッチハイクです。

私が生まれて初めてヒッチハイクをしたのが、北ドイツのハンブルグでした。

スウェーデンから客船で北ドイツのリューベックにわたり、そこから大都市のハンブルグに行って、ハンブルグのユースホステルで、いろいろ話を聞いて、生まれて初めてのヒッチハイクに挑戦しました。

とにかく距離を稼ぐためには、日本なら高速道路の入り口とか幹線道路で車を捕まえることになりますが、ドイツの場合には、アウトバーンの入り口に向かいました。

毎朝、ユースホステルからヒッチで移動しようとする若者たちがいるので、彼らについてバスに乗ったり、歩いたりして、ヒッチハイカーたちに有名なポイントに行きます。

ポイントについたら、順番があるわけで、早く着いた人から車を止めやすいところに陣取り、あとは順番に並びます。

私の場合には、とりあえず南に向かうということで、紙に500キロほど離れた大都市フランクフルトと書いて、それを掲げて車を待つわけですが、車を運転する人にとっては、選ぶ権利があるわけで、まあ、普通は、一人旅か二人旅の女性優先となります。

自分より後ろに並んでいる女性の方が簡単に車に乗ることなどは日常茶飯事だと徐々に悟ります。

男性を乗せるのには乗せる側にもリスクがあるわけで、男性二人とか男性三人だと、もうほとんど不可能に近いわけです。

車が自分の前に止まってくれたからといって、目的地まで行けるとは限らず、どこどこまで行くんだけど、それでもいいかといったこともしばしばです。

私の場合には、車には乗せてもらえたのですが、フランクフルトではなく、ブレーメン方面に走り、なんと、オスナブリュック付近のアウトバーンで、突然下ろされてしまいました。

ひどい話で、アウトバーンの上を歩くことは許されないわけしたけど、歩くしかないから、歩いていたら、上空のヘリコプターから何か叫ばれて、たぶん、下に降りろと言ったことだと解釈し、下に降りられるところを探して、アウトバーンから離れました。

それで、まわりに何もない田舎道をどこかにバス停でもないものかと歩きましたが、どこまで行っても何もないし、とにかく背負っているリュックは重いし、おなかも減ったし、もう疲れ切って、道路わきに座ってしまいました。

それで、少し元気を取り戻したらまた歩くといったことを10キロ以上やって、やっと家があるところまで来たので、そこで座っていたら、おばあさんが近づいてきて、家に誘ってくれました。

こういった時に、人相がいいのは得ですね。

おばあさんの家に入れてもらって、温かいお茶とお菓子をご馳走になり、おばあさんは、戦争に行っていたと思われるおじいさんの写真を見せてくれました。

ドイツ語はまださっぱり分からなかったので片言の英語での会話でした。このおばあさんの親切もドイツが大好きになった理由の一つです。

それで、ヒッチハイクはこりごりで、その後は、列車を使うことになりました。

オスナブリュックは70年代でもすでに駅前にはトルコ人がたむろしているようなちょっと不気味な町だったので、ミュンスターに行って、そこで一泊しました。

その次にヒッチをしたのは、だいぶ後になってからの翌年、ロンドンからドーバーまででした。この時は大成功でした。

当時から、男性でも一人でヒッチハイクをすることは、決して安全ではなく、交通事故だけでなく、事件に巻き込まれたりする可能性もあり、特に性犯罪には気を付けたほうがいいといわれていました。

でも、いろいろな人とお友達になることもあるし、うまくいけば、いい思い出になりますが、時代とともに、禁止されているところも増えているそうです。