2022年10月5日水曜日

フィンランドの話

私がフィンランドに行ったのは1973年の3月9日でした。

3月8日23:40発のモスクワから国際列車で当時のレーニングラードを経由して、当時のソ連の国境を越えてフィンランドに入りました。

フィンランドに入ったら景色も空気も一変した感じがして、車内からは歓声が上がりました。

当時のソ連は社会主義の国で、フィンランドに入ったら自由の国といった印象でした。

列車の終着駅はフィンランドの首都ヘルシンキでしたが、私は、横浜からモスクワまでに知り合ったパートナーがフィンランド人の日本人男性に誘われて、もう一人の日本人と一緒にパートナーの実家のある、Lahatiで下車しました。

3月のフィンランドは雪景色で、真っ白でした。

フィンランド女性の実家は地元でスーパーマーケットを経営しているそうで、お金持ちそうでした。

家の中にサウナルームがあって、本場のサウナを体験させていただきました。

彼女の弟が同世代で、夜の酒場に案内してくれたり、翌日、近くの凍った湖に魚釣りをしに行ったり、楽しい時間を過ごさせていただきました。

日本でも経験したことがなかった、氷に穴をあけて魚を釣るのも楽しかったですが、それよりも、彼が悪乗りして、氷の上を車をスピンさせながら走り回るのが楽しかったです。

この時の体験が、本当に素晴らしくて、まさに森と湖の国フィンランドという感じで、大好きになりました。

それからヘルシンキに行って、彼女のアパートに居候させてもらったり、ヘルシンキの有名なユースホステル・スタディオン・マヤに泊まったりしました。

ユースに行くときに、教会だったと思うけど石の階段で積もった雪に滑って転げ落ちたりもしました。怪我しなくてよかったです。

生まれて初めてのユースホステルで、一部屋に二段ベッドが4つある部屋に一人で泊まったり、オーストラリア人に10マルク貸してくれといわれてそのまま消えてしまったり、一人で不安でしたが、いろいろと楽しかったです。

門限に遅れて、締め出されそうになった時に、スタッフに必死でお願いして、罰金を払って入れてもらった時は、うれしかったです。

ヘルシンキ中央駅の隣に当時有名なカイボグリルというコーヒーショップがあって、そこに行って、一日中、本を読んだり、教えてもらったフィンランド語を覚えたりしていました。

当時カタカナで教えてもらった英語以外の初めての外国語、フィンランド語は、今でも時々思い出します。

冬の北欧は、日没がめちゃくちゃ早いので、すぐに夜になっちゃいます。

凍った港を初めて見たのもヘルシンキ港でした。

寒いし夜が長いので、アルコール度の高いお酒を飲む人も多いようで、歩道で酔っ払いが寝ていたりしましたが、凍死するのではないかと思ったけど、通り過ぎる人はみんな無視で、泥酔するのは人間以下という感じでした。

友人のアドバイスでは、コーヒーショップなどでも、伏して仮眠などしていたら、警備の人に表につまみ出されるから気をつけろと言われました。

夜になると市電に乗って、日本人と日本人のお友達のフィンランド人が集まるという教えてもらったモンディーというディスコに行きました。

ヘルシンキから船でスウェーデンのストックホルムに向かった3月26日まで、そんな風にしてぶらぶらして過ごしていました。

ヘルシンキからストックホルム迄のバイキングラインの船は、当時はナンパ船といわれるほど若い男女がナンパをすることで有名でした。

実際、デッキのベンチで横になって仮眠していると、若い女性に起こされたりしました。

記憶に残っているのは、教師をしているというフィンランドの女性が話してくれた話で、上流に平和に暮らしている人たちが川に流す生活用水を下流に住む人たちが、許せない行為だと怒って、攻め殺してしまったというのが、フィンランドの歴史なんだそうです。

とにかく50年近く昔の話で、現在とはいろいろと違うとは思いますが、昔から、世界三大親日国の一つがフィンランドでしたし、日本人だからといっていやな思いをすることもありませんでした。